第332話・別離と残された心

「私の中には、フロンティーダの記憶と感情が息づいているわ・・・」

ケーオは石畳に仰向けに横になったまま告げた。

その声は小さく弱々しい・・・人間を模倣した魔神とは、とても思えない姿だ。


それはイリタビリスの奥義”気功衝”と、渾身の頂肘をケーオが受けてしまったからであった。




ケーオの答えに、イリタビリスは胸が締め付けられる思いがした。

「そんな馬鹿な事がある訳が無い!! お前は・・・二重人格だとでも言うの!?」

母の仇が、母の記憶と心を持っているなど、この世界の理に反している・・・そうイリタビリスは、どうしても考えてしまう。


魔神が人を喰らい、その情報を得る事は知っている。

恐らく統一意志の制御を受けない魔神特有の能力なのだろう。

そんな事を頭で理解出来ても、どうしても心が納得出来ないのだ。



ケーオは虚空を見つめ、か細い声で告げる。

「フロンティーダの様相を模して、ケーオとして私は5年ほど生きてきたわ。モナクーシアの妻としてね・・・。でも、それでも・・・フロンティーダの記憶と感情は私に強く影響して、貴女イリタビリスを忘れる事が出来なかった」


そして、その目は何かを堪える様に細められ、絞り出す様に切れ切れの声で続けた。

「娘が・・・イリタビリスが愛しい・・・この気持ちは嘘では無いわ」



最早、ケーオ自身も己がフロンティーダなのか、ケーオなのか、また紅蓮の魔神なのか分からなくなっていた。

『食らった人間の記憶と感情に支配されるなんて・・・本当に私って愚かで、矛盾した存在だわ・・・』

自身の願いと目的が志半ばで破綻しようとしているのに、何故かケーオは心が満たされる思いがした。


それは知りたかった物を自身で体現し、最も強い人の感情を知り得た所為だったのかもしれない。



「さぁ・・・私に止めを刺し、貴女の妄執に幕を下ろしなさい」

そうケーオに告げられて、イリタビリスは右拳を振り上げた。


ケーオは瞳を閉じ最後の時を待つ。

しかし無音の時間が僅かだけ流れ、何も起きなかった。



「何故、私を殺さないの?」

瞳を閉じたままケーオは、気配でイリタビリスが振り上げた拳を下げたのを察していた。



すると泣きそうなイリタビリスの声がきこえた。

「出来る訳が無い・・・。お母さんの姿と声をした相手を手にかけるなんて・・・」



『甘いわね・・・』

そうケーオは内心で呟く。

助かりたいが為に、自身の中にあるフロンティーダの事を話した訳では無い。



テユーミアがイリタビリスの肩に手を添えて言った。

「肉親を模した相手を殺めるなんて、普通だったら出来なくて当然よ・・・それより、」

そしてケーオを見下ろして言葉を続けた。

「ケーオ・・・貴女はそのまま生恥を晒すといいわ」


その後は、何事も無かったようにケーオを捨て置き、本殿へ向かうテユーミア。



『生恥か・・・その通りよね。私は人として手を汚してもらう資格も無い・・・矛盾した存在なのだから』

死ぬ事も容易には許されない自分に、ケーオは自嘲した。


「・・・?!」

ケーオの右手が、何か温かくて柔らかい物に包まれるのを感じる。

不思議に思い目を開いて確認すると、傍に屈み込み手を握るイリタビリスが居た。



「お前が本当に母の記憶と心を持っているなら、伝えたい事があるの・・・」

そう告げたイリタビリスへ、ケーオは静かに頷く。


「あたしは・・・プリームスと新しい人生を行くわ。だから何も心配しないで」

とケーオへ言ったイリタビリスの目は、強い希望と例えようの無い切なさを湛えていた。


それから徐に手を離すと、

「さようなら・・・」

そう辛うじて聞き取れる小さな声で言い残し、テユーミアの後を追ったのだった。



『ぁ・・・』

ケーオは目から涙が流れているのを感じた。

自身の中に在るフロンティーダの感情が、無意識の内に涙を流させていたのだ。


そして”さようなら”の後に、微かに聞こえたイリタビリスの言葉・・・。

"あたしを生んでくれて、ありがとう"







 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※







死神アポラウシウスは、丸腰のままモナクーシアへ歩を進めた。

その表情は仮面に隠され伺い知る事は出来ないが、その悠然とした足取りから自信に満ち溢れているように見えた。



『武器無しで向かって来るとは、もしや他に武器を隠し持っているのか? そうでなければ余程無手に自信があるのか?』

そうモナクーシアは勘ぐり、迫るアポラウシウスを見つめた。


しかしこのまま先制されるのを黙って見ているのも愚行。

ならば後の先で確実に返り討ちにすべく、モナクーシアは裏・真人流の奥義を使う事にした。



気に満たされた右足で、勢いよく大理石の床を踏み込むモナクーシア。



”裏・真人流奥義──気塵空隙”



踏み込んだモナクーシアの右足を中心に、祭壇の間が”何か”に覆われた。

敏感な者や、気功に精通する者なら感じ取ったかも知れない僅かな変化。


それは空間に張り巡らせた極小の気を触覚の様に扱い、相対する者の動きを”相対する者が意識するより早く”察知する、後の先の為にあるような究極の奥義であった。


またこの技はプリームスとの一戦で使用しており、全く兆しを感じさせないプリームスの攻撃を察知し、完全にモナクーシアは躱していたのだ。

因って相手を選ばない事から、”気塵空隙”の能力は非常に汎用性が高いと言える。



空間の変化に気付いたアポラウシウスは、

「う~ん・・・? 何かしたようだが、私には通用しませんよ」

と言い、まるで近所を散歩するように歩を進めた。



増々以て死神の不気味な言い様と振舞いに、モナクーシアは背筋に悪寒が走るのを感じる。

これまで多くの危険な魔神と戦ってきたが、それらを遥かに凌ぐ”嫌な予感”がして成らなかったのだ。



そしてその”嫌な予感”とは、自分の技が通用しない可能性がある事を指していた。

実際に最初の邂逅で、死炎掌を容易く受け止められてしまっている。

それがモナクーシアの脳裏に深く刻み込まれ、不安をより一層掻き立てていたのだ。



互いの距離は約10m。

素手で戦うには遠すぎ、魔法ありきなら至近だ。



突然モナクーシアが笑みを浮かべて、プリームスが寝かせられた祭壇に触れて言った。

「良いのか? プリームス殿が我が手中にある事を失念しているのでは無いか? 今ここで、この細く美しい手足の1本や2本を切り落とす事も出来るのだぞ?」



互いが衝突する寸前で出鼻を挫かれ、少し不機嫌になるアポラウシウス。

この期に及んで盤外戦を仕掛けてくる相手の肝の小ささに、苛立ちも感じてしまう。

「今更何を言うのかと思えば・・・。 私はプリームス様を救う義理は有っても義務は無いのだ。勝手にすればいい。その間に貴様の心臓を握り潰してやるがね」



これは詰まる所、プリームスの味方では無いと言っているに他ならない。



『おいおいおい・・・折角、モナクーシアに悟られぬ様に気を使ったのに・・・』

とプリームスは愕然とするしかないのだった。


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