第331話・ケーオとイリタビリスの再戦

テユーミアから治療魔法と気功による治療を受け、体力を回復させたイリタビリス。

彼女は神殿の入り口である楼門を潜った辺りで、数人の闘士と相対していた。



しかし同じ徒手格闘と言う舞台ならば、表・真人流の継承者であるイリタビリスに太刀打ち出来る訳が無かった。

あっという間にイリタビリスは、闘士達の脳を揺らし昏倒させてしまう。



「ふぅ~、魔法騎士でじゃなくて良かった・・・」

ホッとしたように深呼吸をしながらイリタビリスは一人呟いた。



その時、拝殿の方から女の声がした。

「あら? 貴女一人なの?」



『やはり来たか・・・』

イリタビリスは誰が現れたのか理解し、険しい表情で声のした方を見据える。

その視線の先には、髪の色こそ違えど自分が敬愛した母の姿があった。



「ケーオ・・・いえ、紅蓮の魔神!」

自身の心中に怒りが混み上がるのを感じ・・・だが直ぐにそれを抑えつけた。

今は自分の妄執に囚われている場合では無い・・・身内の長であるプリームスを救うために此処に来たのだから。



ケーオは相も変わらず、柔らかな微笑みを湛えて言った。

「フフフ・・・あなた達は私の事を”そう”呼んでいたみたいだけど、今はケーオと呼んで欲しいわね。何だったらフロンティーダ・・・いえ、お母さんと呼んでくれても構わないのよ?」



例えようのない感情がイリタビリスの心を覆い尽くす。

それは怒りだけでは無く、ケーオが醸し出す”面影”が愛しさと悲しみを湧き起こしてしまうのだ。


『これは所謂、盤外戦・・・言葉に惑わされては駄目!』

イリタビリスは必死に感情を制御し、迷いを振り払うように叫ぶ。

「お前は! あたしの母を喰って記憶を得ただけ! 母の真似を・・・その名を口にする事は許さない!!」




ケーオの顔が少し陰ったように見えた。




予想外のケーオの反応にイリタビリスは怪訝に思う。

だが直ぐに表情を戻し此方へ向かって歩み進めて来たので、自身も臨戦態勢に入る。



「テユーミアさんは・・・どこなのかしら?」

ケーオは歩みを止めると、いきなり問いかけて来た。



「・・・・・」

相手を揺さぶるのに絶好の機会とイリタビリスはほくそ笑む。

そして悟られない様に落ち着いて口を動かした。

「あたしは只の囮で、只の足止め。今頃テユーミアさんは先行して、プリームスの元に向かっている筈よ」



この言葉が真実であろうが無かろうが、ケーオは危惧することになる。

何事にも最悪の事態を想定して行動を決めねばならないからだ・・・それが自分達の運命を決める岐路なら尚更である。



「なら・・・貴女を直ぐにでも殺して戻らないとね。残念だけど・・・」

そうケーオは告げて、その表情を少しだけ険しくさせた。



イリタビリスは大きく両手を広げ、悠然と前へ踏み出す。

その姿は自身の後退を許さず、相対する者の全てを打ち落とし追い詰め、最後には粉砕する──表・真人流奥義”大鳳翼”。


だがケーオとの距離は約15mもあり瞬発力のある魔法を使われたなら、イリタビリスは一方的に攻撃される羽目になるだろう。

なのにイリタビリスはケーオへ猛進した。



『決死? 背水の覚悟と言う訳ね・・・』

「フフフ・・・元より死は覚悟なら、お望み通りその命を奪ってあげるわ!」

ケーオは己の勝利を疑わなかった・・・この距離で魔法を回避、または防ぐ事など不可能だからだ。




次の瞬間、轟音が響き渡り、紫電がイリタビリスの頭上に直撃する。




「!?」

眼前の事実に目を見張るケーオ。

落雷魔法が直撃した筈なのに、イリタビリスは倒れなかったのだ。


ほんの一瞬の事で確証は無いが・・・彼女の頭上で紫電が、何かに阻まれ僅かばかり逸れた様に見えた。



イリタビリスは全く怯むことなく猛進する。

その距離は10mを切り、ケーオを焦らせた。


「くっ!」

瞬時に踏み込み震脚を起こすと、ケーオは遠当てを最速でイリタビリスへ放つ。



音速に近いその不可視の拳撃は、両手を広げ悠然と前進するイリタビリスに直撃した。

否・・・その様に見えた。

実際には超速反応をしたイリタビリスが、その左手で受け止めたのだ。



そしてその遠当ての威力はイリタビリスの上半身を伝い、逆の右手へ達した。

同時にその足が震脚を起こし、体幹を伝い、更に有する”全て”の力がイリタビリスの右手に収束される。




”大鳳翼・気功衝”




イリタビリスの右手から放たれた気と拳撃の奔流は、遠当てなど比較出来ない程の超速度でケーオを襲った。



「ぐっ・・・がっ!?」

全身を焼く様な感覚がケーオを覆い、凄まじい衝撃が身体をのけ反らせた。

『は、反撃を・・・』

それでも何とか意識を保ち、倒れかかる己の身体を支える為に踏み留まる。



だが身体中の細胞が悲鳴を上げ、思い通りに動かない。

のけ反った事で視界が虚空に跳ね上がり、ケーオはイリタビリスを見失っていた。



ミシッ・・・。



ケーオは自身の鳩尾が軋む音を聞いた。

刹那、そこから熱が広がり、骨が砕け内臓が潰れるような振動を感じる。

イリタビリスの頂肘ちょうちゅうが、ケーオの鳩尾にめり込んでいたのだ。



大地の力と気に因る螺旋の威力は凄まじく、ケーオは10mも後方へ吹き飛び、石畳に強く背中を打ち付け倒れ伏す。



「ぅぐうぅ・・・」

何とか上半身を起こし、イリタビリスを見ようとするケーオ。

だが僅かに首をもたげて、視線を向ける事しか出来なかった。


しかし見る事は出来たのだ。

イリタビリスの背後に立つテユーミアの姿を・・・。


テユーミアは迷彩効果が付加されたマントを羽織り、左手に見知った飾り玉を持っていた。

それはイリタビリスの父親の形見であり、人の気配を限り無く希薄にする魔道具でもあった。



この時、漸くケーオは合点がいった。

テユーミアは初めからイリタビリスの直ぐ背後に、姿を消して存在していたのだ。

そしてケーオの落雷魔法からイリタビリスを守った訳である。



仰向けになりケーオは疲れたように呟いた。

「フフフ・・・上手く嵌められた訳か・・・」

『人間とは、本当に面白い・・・』

己の洞察が浅かった事に自嘲しつつも、イリタビリスに・・・人間に感嘆を禁じ得なかった。


人間として振る舞うようになって5年、ケーオは人の思考や感情を熟知したと自負していた。

その上、自身も人間に慣れ親しみ、魔神である事を忘れる程であったのだ。


それなのに、格下と見ていた相手へ遅れを取ってしまった。

故に膨らみ続けるケーオの欲求。

『世界は広く未知に溢れている・・・。もっと知りたい・・・もっと感じたい・・・』



ゴフッ・・・。

内臓を損傷したのかケーオは吐血し、真紅のドレスを更に濃く鮮やかに彩った。



そしてケーオは、イリタビリスが何時の間にか傍に立っている事に気付く。

『あぁ・・・止めを刺すつもりなのだな。フフフ・・・長いようで短い100年だった。こんな事なら、もっと早くに人として振る舞えば良かったな・・・』



ケーオが後悔を胸に宿し、瞳を閉じようとした刹那、イリタビリスが言った。

「紅蓮の魔神・・・いや、ケーオ。お前は本当に、あたしの母の記憶を持っているの?」



この期に及んでの問い掛けに、ケーオは少し唖然としてしまう。

しかし自分は、この少女の仇なのだ。

母親を殺して喰らったのだから、この問い掛けに答える義理があると思った。


『まさか、魔神の私が"義理"などとは・・・』

自分が人間臭くてケーオは笑みが溢れそうになる。


そうして息も絶え絶えに、ケーオはその口を開くのだった。


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