第31話・道化師

クシフォスの個人的な願いにより、プリームスとスキエンティアは王都に向かう事となった。


しかし慌てれば事を仕損じると言う訳で、今日は英気を養いクシフォスの屋敷で1泊してから明日早くに発つ予定だ。



診療所から屋敷に向かう馬車の中で、クシフォスが話し損ねた事をプリームスは訊いた。

するとクシフォスは申し訳なさそうに答える。

「あ~、忘れる所だった。今回の死熱病の治療で、プリームス殿はかなり名前が売れてしまったぞ」



「む?」と訝しむプリームス。

「どう言う事だ?」



スキエンティアが苦笑いをして説明をし出した。

「プリームス様・・・誰も出来なかった事をしてしまったのですよ。それに美しい容姿が合わされば、噂に尾びれ背びれでは済みますまい・・・。黙っていない人間が、次から次へと押し寄せるかもしれませんよ」



「う・・・」とプリームスは黙り込んでしまった。



2人を見てクシフォスがニヤリと笑みを浮かべる。

「そう言うスキエンティア殿も中々に大変な状況かと思うがね。白き聖女に付き従うほむらの如き髪の麗人、と町で噂されているぞ。診療所内でフードを脱いでいたのが仇となったな」



露骨に嫌そうな顔をするスキエンティア。



かく言うクシフォスもこの2人の麗人の傍に居る訳だ。

只で済む訳がないのは承知していた。

故に深い溜息をついて話し出す。

「貴殿達には出来るだけ、俺の傍に居て貰うようにしようか。でなければ国内の貴族や王族だけでなく、聞きつけた国外からの勧誘が凄い事になるぞ」



そしてクシフォスは懐から何やら書類と、ネックレスに加工された黄金のメダルを取り出す。

それぞれ2つずつ有り、書類とメダルを一式にしてプリームスとスキエンティアに手渡した。



そうしてクシフォスはその2つを指さして説明する。

「メダルはレクスデクシア大公爵の紋章を記し、俺の領地内での自由を保証する物だ。高額過ぎなければ多少の買い物程度、それを見せて俺のツケに出来る。書類の方は、貴殿達の身分を保証する物だ。俺の名と地位を持って貴殿達の後見人になると記してある・・・失くすなよ!」



プリームスは少し機嫌を直すと言い放った。

「気が利くではないか・・・有難く頂戴しておこう」


スキエンティアはプリームスの態度が、とてもこの国の大公に対する物ではないな・・・と苦笑してしまった。







屋敷に着くとクシフォスが2人を労って風呂を用意してくれた。

これに喜んだのは言うまでも無くスキエンティアだった。

一緒に風呂に入り、スキエンティアが慕っているプリームスを洗う事が出来るからだ。



以前の軍師たるスキエンティアの威厳は何処へやら・・・。

今ではプリームスの身の回りを世話する侍女に成り下がっていた。


そんなスキエンティアを見て、プリームスはほくそ笑んでしまう。

『こんな平和な日常なら自分もスキエンティアもこれで良い』

と思えるからだ。



風呂を済ませて寛ぐプリームスにスキエンティアはべったりだった。

外では護衛然とした凛々しい雰囲気を醸し出していたにも拘わらずだ。


この辺りは比較的温暖で、日中は25度ほどの気温になる。

なのでべったり引っ付かれては暑くて堪らない。



かといって邪険に扱うとスキエンティアは拗ねてしまう。

仕方なしに殆ど下着状態のキャミソール姿で、屋敷内で過ごす事になってしまったプリームス。

これにはナヴァルもクシフォスも目のやり場に困ったようだった。



日が暮れて夜になり、夕食を済ませた一同。

流石にこの時間になると気温も20度を切った為、プリームスは屋敷のメイドが用意してくれていたガウンを羽織る。


ホッと胸を撫でおろす屋敷の面々・・・しかしスキエンティアだけが、少しがっかりした様子だった。




時刻は夜の10時を回った頃、プリームスはスキエンティアにとある命令を下した。

それはボレアースの町を気配を消して見回ると言う物だ。

プリームス曰く、

「死熱病原虫を持ち込んだ輩が、まだうろついているやもしれない」

との事だ。



スキエンティアもそれを危惧していた。

死熱病を完全に治してしまった人物が現れたのだ。

この町で発生した死熱病が作為的な物なら、必ず確かめに来る筈・・・そうスキエンティアは考えていた。



プリームスはというと、屋敷の屋根に上がり町を見渡していた。

ただ見渡している訳では無い。

あらゆる物を見通す魔法”千里眼アルゴス”によって町に怪しい人影が無いか監視しているのだ。


しかし、いかにこのアルゴスでも万能では無く、指定した地点を透過して見る事が出来るだけなのだ。

距離にしても千里程の距離は見る事は出来ない。

込める魔力量によって、透過深度と距離の調整がある程度可能と言うだけだ。



その上、常時魔力を消費し集中力も使うため非常に疲れる。

今の身体では余り多用はしたくない魔法でもあった。



「疲れたな・・・」と独り言を呟いてアルゴスを解除した時、背後に何者かの気配を感じた。



「強大な魔力を感じて確かめに来てみれば・・・何と美しいお嬢さんでしょうか!」

と少し中性的な声がした。



振り返ると、プリームスより一段高い屋根に立つ細身の人物が見えた。

距離にして5m程・・・至近だ。



その人物は執事が着るような黒い燕尾服を身に着けており、道化師のような装飾の仮面とシルクハットを被っていた。

また腰には細身の片手剣を帯剣している。

プリームスが扱うようなレイピアに近い物だ。



プリームスは特に驚いた様子も無く問うた。

「何者かね?」



その者はプリームスに一礼すると名乗り出した。

「これは失礼しました。美しいお嬢さん・・・私めは、アポラウシウスという者でございます。親しい知人には道化師と呼ばれておりますよ」



特に抑揚も無い声で返事をするプリームス。

「ほほう。で、道化師が私に何用か?」



再び軽く一礼すると、アポラウシウスは恭しく告げた。

「その前に美しいお嬢さん・・・お名前を拝聴して宜しいですか?」



「プリームスだ」と、はぶっきら棒に、しかも被せ気味で答えた。



「フフフ・・・」と小さく笑うアポラウシウス。

「貴女が今噂の聖女様であらせますか。これは良い所で出会えたものです」



プリームスは話を合わせる事無く独り言のように呟いた。

「スキエンティアの索敵にかからないとは・・・魔術的な隠密に特化しているのか? どちらにしろ好都合なのは私だがな」



「スキエンティア・・・聖女プリームス様の従者の方ですね。あの方は非常に不味い、この世の物とは思えぬ”強さ”を感じます・・・この私でも危うそうだ」

と饒舌に話すアポラウシウス。



プリームスは嫌そうな顔をしてアポラウシウスを見つめた。

「ベラベラとよく喋る道化だな。訊きたい事がある故、大人しくしてもらおうか」



するとアポラウシウスは帯剣していた細身の剣を抜き放ち、嬉しそうな語調で言った。

「訊きたい事が有るのは私も同じです。奇遇ですね~」



「道化が」と言って、プリームスが無造作に屋根の上で一歩踏み出した。



アポラウシウスも一歩前へ踏み出すと、尚も愉快そうに告げる。

「出来るだけ傷付けないように致しましょう。こんな美しい貴女を傷物にするのは、私の良心が咎めますからね!」



鋭い剣による突きがプリームスを襲った。

かなりの速度で全く隙がない攻撃だ。

技術だけならスキエンティアに匹敵するかもしれない・・・とプリームスは危機を目前に呑気に思った。



しかし無造作に伸ばしたプリームスの左手が、その身体へ刃が到達する前に一早く接触していた。

フ・・・とまるで風に煽られるような感覚を剣に感じたアポラウシウス。


次の刹那、プリームスの左肩に突き立てられる筈のアポラウシウスの剣の切っ先が、その身体を避けるように逸れてしまう。



驚愕に目を見開くアポラウシウス。

その目はその刹那をハッキリと捉えていた。

プリームスの左手の中指がアポラウシウスの刀身に触れた瞬間に、剣の軌道が逸れたのだ。



剣と交錯するようにアポラウシウスの懐に入り込んだプリームス。

その右手がソッと優しく無造作に、アポラウシウスの胸に触れた。

その時アポラウシウスは本能的な命の危険を察知する。


何が危険なのかは全く理解出来ない。

だが逃れなければ死ぬとアポラウシウスは咄嗟に判断し、後方へ身をのけ反らせた。



アポラウシウスの左肩に何か熱い感触が走った。

『斬られた?!』


左肩を確認すると鋭利な刃物で切り付けられた切創が見えた。

深手ではなく軽い物だがアポラウシウスからすれば、驚愕で精神的な損害が大きかった。



のけ反ったままプリームスへ視線を移すと、その無造作に差し出された手にはレイピアが握られていた。



アポラウシウスはのけ反った反動で後転をして、屋根の上に器用に着地する。

それを見たプリームスは少し感心したように呟く。

「ほほう、器用な動きをするものだな」



プリームスが有利であったにもかかわらず追撃をしない。

そのプリームスの振る舞いに、絶対的強者の様相をアポラウシウスは感じ取った。

『これは一旦逃げるべきでしょうねぇ・・・』

と逸ってしまった己を自嘲する。



「フフフ・・・」

と不気味に笑い出し、アポラウシウスは言った。

「貴女の従者であるスキエンティア殿こそが最も危険とは・・・私も愚かな考え違いをしていました。その内に秘めた強大な魔力、そして人知を超えた戦闘技術。私が知る限り貴女こそが、この世界の最強に相応しい・・・」



プリームスはレイピアを握った腕を下ろすと、呆れたように言った。

「本当によく喋る道化師だな」



ここにきてプリームスは不味い事態にあった。

長い時間、千里眼アルゴスを使った事に因り目眩がしてきたのだ。

『不味いぞ、不味いぞ。スキエンティア・・・早く帰ってこい!』



片や道化師を捕まえたいプリームス。

片や一旦引き下がりたいアポラウシウス。



二人だけの空間は時が止まったように膠着してしまった。

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