第2話 予選

 オルガンコンクールが他の楽器のそれと大きく違うのは、出演者から審査員が見えないことだ。同時に審査員からも演奏者の姿が見えないようになっている。


「音が……遠い」

 音を鳴らしてみて祐輔はそう思った。コンクール会場は吉祥寺の教会より広い。何とか気持ちを落ち着かせて順応することに務め、数分後には自分の音楽に集中することが出来た。


 出番が終わってホールの外で深呼吸していると、「菅野君!」と声をかけられた。振り向くと、艶々した黒髪の、背筋のスラッとした女性。

「柏葉先生……」

 柏葉麻優かしわばまゆ……祐輔の大学時代の恩師だった。

「一次予選バッチリね、すごく良かったわ」

「いやいや……そう言えばフォークト先生も『日本へ行ったらマユによろしく』と言っていました」

 フォークト教授には現在祐輔が師事しているが、麻優の恩師でもある。

「懐かしいわねえ、先生お元気かしら?」

「元気ですよ。最近ソロキャンプにハマってて……」

「まあ!」

 麻優はクスクスと笑う。もう三十路の大台だが、笑うとその表情は途端にあどけなくなる。ふと、麻優が足元の白い花に顔を近づけて言った。

「むらさきの花ね……」

「むらさき? 白だと思いますけど……」

 すると麻優はまたクスクスと笑った。

「〝むらさき〟というのはこの花の名前よ。武蔵野の名草もしても知られているのよ」

「へえ……」

 祐輔が生返事をすると、麻優は青空を見上げて深呼吸した。

「ねえ菅野君。……何かいいことあった?」

「え……」

 祐輔の顔が一瞬で茹蛸ゆでだこになった。

「ふふふ、何となくあなたの演奏聴いてそう思ったの」

 麻優は意味ありげな笑みを浮かべながら去って行った。


 その日の夕方、ホールのロビーで一次予選の通過者が発表された。祐輔はその中に自分の出演番号があるのを見て胸をなでおろした。ホールを出ると、先ほどのむらさきの花が目に入った。そして予選通過の記念に、その花を1本だけ抜き取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る