入院患者
第12話
「それで、その蛇をラダーと名付けたわけかワトソン君。いや、ラダー君を初めて見た時のハドスン夫人の顔と言ったら傑作だったなあ。今思い出しても笑いがこみあげてくるよ」
くそ、ホームズめ。俺が押し付けられた蛇と遊んでやがる。俺が蛇の名前をすごろくゲームの『蛇と梯子』にちなんでラダーにしたと知ったら、さっそくラダーが『蛇と梯子』を遊べるように仕込み始めやがった。
気をつけろ、ホームズ。そいつは毒蛇なんだぞ。お前には今回の『まだらの紐』の唯一の被害者であるジュリアみたいに死んでもらっては困るんだ。お前にはしっかり怠惰な日常を過ごすという生き恥をさらしてもらわなくてはいけないんだからな。
「おっと、ラダー君。残念。そこは殺人の悪徳のマスだよ。いやいや、話によるとラダー君はロイロット博士に命じられて人を一人殺してしまったそうじゃないか。そんなラダー君が殺人のマスに止まるなんて。しっかりと罰が当たったようだね、ははは」
ホームズめ。殺人蛇のラダーが殺人のマスに止まったことを何のくったくもなく楽しんでやがる。やっぱり殺人事件を謎解きゲームの対象としてしか見ていないような人間はどこかねじがぶっ飛んでやがるな。
こちとらお前への復讐のためにその殺人事件を阻止して回っているって言うのに。気楽なもんだ。
「いいかい、ラダー君。このすごろくの状態は吸収的マルコフ連鎖であらわすことができてね。そもそも全部が運の要素で決まるゲームだから非常に数学的に解析しがいがあるゲームなんだよ」
ホームズのやつ。蛇のラダーに数学の講義を始めやがった。たしかに『ゲームとしての蛇と梯子は、完全に運任せで熟練してもうまくなることはない。大人向けではない』なんて数学を解さない人間は言う。しかし、それはゴールするまでのさいころを振る平均回数を求める楽しさを知らない愚か者のたわごとなのだが……
「モリアーティー君。さあいっしょに蛇と梯子ゲームの数学モデルをラダー君と楽しもうじゃないか。あれだけの論文を書く君ならマルコフ連鎖なんて当然知っているだろう?」
「いや、ホームズ。それはその……」
そら見ろ。お前が話しかけているモリアーティーの姿をしたワトソンにはマルコフ連鎖なんてチンプンカンプンだという顔をしているぞ。いつもそうだったではないか、ホームズ。お前の推理に対して『なに、どういうことだホームズ』なんてワトソンは愚かな質問を繰り返してきたではないか。
ホームズよ。お前の膨大な知識に基づいたうえにあっちこっちに飛躍する話を理解できるのは俺くらいのものだぞ。ワトソンも医者だけあって多少は頭が回るようだが……それでもお前の数学的アプローチにてんてこまいではないか。
「おい、ワトソン。ぼくたちは大事な大事な用事があるんだよな。そうだよな」
「さあて、どうだったかなモリアーティー」
ワトソンめ。自分がホームズの話についていけないから俺に助けを求めに来やがった。ざまあみろ。ろくな数学的素養もないくせに、俺の書き上げた二項定理の論文を自分の手柄にするからそうなるんだ。
「助けてくれよ。ほら、そろそろ何か起きる頃合いじゃないか。ほら、僕が書いた『入院患者』の事件が起こるころだろう」
ワトソン。今回は自分から俺と一緒に殺人事件を防ぎに行こうとしているみたいだな。無理もない。前回のクロスワードと違って蛇と梯子の数学的解析は素人には荷が重いからな。
それにしても、『入院患者』か。あれは非常にお粗末な事件だったな。依頼人であるトレヴェリアン医師の必死の頼みにも関わらず、ちょっと被害者であるブレシントンの態度が気に食わなかったたからと言って捜査をほっぽりだして帰ってしまう始末。
結局、その直後にブレシントンは首吊死体で発見されてしまった。そのうえ、殺害犯である三人であるブリドル、ヘイワード、モファットを逃がしてしまうというていたらく。さらにその三人が乗った客船は沈没してしまったではないか。
ホームズよ、お前がいてもいなくてもブレシントン、ブリドル、ヘイワード、モファットの四人の運命は変わらなかったのではないか。お前がしたことは真実の探求という自己満足にすぎなかったのではないか?
しかし、今回はこのモリアーティー様が歴史を改変して見せるぞ。ブレシントンは死なせないし、ブリドル、ヘイワード、モファットにも殺人を起こさせはしない。
ホームズ。今回も貴様が活躍することはないのだ。貴様の活躍が『入院患者』としてベストセラー小説になんてならない。ざまあみろだ。
ホームズ。貴様がワトソンに小説のタイトルを『ブルック街の怪よりも入院患者のほうがいいよ』なんていやみったらしくいう事もなくなるのだ。自分の解決した事件についてワトソンが小説にすることを確認したうえでタイトルにケチをつけるとはなんたる傲慢。そんな歴史は修正してやる!
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