第10話
「ほほう、蛇の飼育ですか。なかなかに珍しい趣味をお持ちなようですね」
ヘレンのことは俺であるモリアーティーの姿をしたワトソンに任せて、俺はグリムズビー・ロイロットに二度目の殺人を思いとどめさせるために話しかける。早まるな、殺したのが一人だけなら死刑にはならないかもしれないぞ。
「な、何だね君は。藪から棒に!」
グリムズビー・ロイロットはおおいに慌てている。無理もない。蛇に殺人のトレーニングを仕込んでいるところを俺に見られたのだ。普通の人間なら慌ててもなんにもおかしくない。
「これは失礼いたしました。小生、ワトソンと申します。娘さんであるヘレンさんに招待されまして」
「ヘレンが? そうか。それは失礼をした。なにせ家が改築中なのでろくなもてなしもできないでしょうが、ゆっくりしていってください」
「それはどうも。しかし、なんでまた家の改築なんてなさっているんですか? 見たところちっとも傷んでいないようですが?」
「ど、どうだっていいだろ。そんなことは」
しらばっくれやがって、グリムズビー・ロイロット。お前はヘレンが結婚することになったから、姉のジュリアに続いてヘレンも殺すことにしたんだろ。だからヘレンをジュリアの部屋で寝させるために急いで家の改築を始めたんだ。
この金の亡者が。犯罪者の風上にもおけない。なんとしても第二の殺人を防がなくては。そのためにはグリムズビー・ロイロットをたっぷりと脅かさなくてはならない。
「しかし、これはまた珍しい蛇ですなあ」
「き、気をつけたまえ。そいつは毒蛇だよ。かまれたらものの数秒で死んでしまうんだよ」
「ひえ、そいつは恐ろしいですな。かまれてすぐに死んでしまうほどの猛毒を持った毒蛇なんて聞いたことがありませんからな」
「そうだろうとも……なんだって? 毒蛇にかまれたら即死するものではないのかね」
「いえいえ。見たところこいつはひし形の頭をしていますが、この類の蛇の毒は出血毒でしてね。かまれたら傷口がはれ上がって数日にわたって苦しんで死ぬのが普通なんですよ」
「しかしジュリアはそうならなかったが……はれなんてなかったし」
「おや、なにか言いましたか?」
「いや、なんでもない」
しらばっくれやがって。今確かにジュリアと言ったじゃないか。義理とはいえ娘であるジュリアを殺した時の様子が蛇のかまれたものと違うのがそんなに不思議なのか。話の都合上聞こえなかった振りをしたが……
そもそも本来の『まだらの紐』ならばこいつはホームズが仕掛けた卑劣な罠によって自分が仕掛けた蛇にかまれて死ぬ結末になっているんだ。なんでその結末を変えて生存させなければならないんだ。なにもかもホームズが悪いんだ。
「コブラのような神経毒を持つような蛇にかまれたら、外見上は何の変化もなしに死ぬこともあり得ますが、それにしたって一時間程度は死ぬのに時間がかかりますし」
「ほ、本当にかまれたら即死するような蛇はいないのかね」
「少なくとも小生の知る限りでは。そんな蛇がいたら、とても手なずけることは不可能でしょうな。逆にかまれてしまいますかもね。そもそも蛇が人になつくなんて話も聞いたことがありませんし」
「そ、そうなのか」
「おや、それはミルクじゃないですか。いけませんよ。蛇はミルクなんて食しません。蛇のエサはネズミや昆虫などの生餌でなくては。まったくひどい飼い主ですね。こんなことをしていては、いつ飼い蛇に手をかまれても知りませんよ」
「そ、そんなにわたしはひどい蛇の飼い方をしていたのか」
「それはもう。おおよしよし。なかなかかわいい蛇じゃないですか。人にかみつかせるなんて芸を仕込ませようとしなければこんなかわいいペットはいないでしょうがね」
「ひ、人にかみつかせるよう仕込むだって? おまえはいったいどこまで知っているんだ」
「あまり多くのことは。そうですね……さっきも言った通り、蛇に芸を仕込ませるなんてまず不可能ですから、仮に蛇に娘をかみつかせてしまったなんて自首をしてきた人間がいても、きちんとした弁護士がつけば事故ということですむ程度のことくらいですかね」
「な、何者なんだあんた」
「グリムズビー・ロイロットさん。なんでも、結婚相手は可愛い二人の双子の娘さんだけでなく、結構な財産も残してくださったそうじゃないですか。それだけの財産があれば、良い弁護士を雇えますよ」
「ううう」
「さあ、姉のジュリアを殺したからって、妹のヘレンも殺すなんて真似はよしてくださいよ。いいですか、仮にこの蛇ちゃんがジュリアをかんでしまってそれが死因だったとしてもそれは事故である可能性がきわめて高いんです」
「ほ、本当か」
「もっとも、似たような事件がもう一度起こればさすがに警察も事故だとはみなさないかもしれませんがね。なにせ、ここに毒蛇がいるんですから」
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