第9話

「おや、お嬢さん。ロンドン駅に向かうんですか。こんな田舎のウォータールー駅からとはちょっとした長旅になりそうですね。お気をつけてください」


「ど、どうしてわたしがロンドン駅に向かうことがわかったんですか?」


 『まだらの紐』の依頼人であるヘレン・ストーナーがウォータールー駅に来るのを待ち構えていた俺は、すでに『まだらの紐』を読んで知っている情報をさもたった今推理したかのように披露する。


「なに、お嬢さんのそのめかしこんだ服装を見ればそんなことはすぐにわかりますよ。それにしても、ずいぶんと思い詰めた表情をなさっていますねえ。ひょっとして、なにか悩みがあるんじゃあないですか。もしかしたらロンドンの警察であるスコットランドヤードに行くつもりじゃあ……」


「すごい! その通りです。なぜそれを?」


「いやね、最近イーノック・ドレッバーおよびジョゼフ・スタンガスンなんて二人が昔の罪を警察に自首してきたって新聞がおおげさに書き立てていたじゃありませんか。ひょっとしたら、その記事を読んでお嬢さんのような純朴な少女が自分も警察に相談しようだなんて考えているんじゃあないかと思いましてね」


「おっしゃる通りです!」


 イーノック・ドレッバーおよびジョゼフ・スタンガスンが警察に自首したことを、どこの新聞もセンセーショナルに書き立てていた。おおかたレストレード警部が警察の手柄話を吹聴しろと新聞社に圧力をかけたのだろう。


 まあ、事件を解決してくれる名探偵的な存在がなかったらそもそも事件の依頼人が現れないから警察あたりがそんなものになってくれないと困るのだが……


「そういえばまだ名乗っていませんでしたね、お嬢さん。俺はワトソン。ロンドンから少しばかりの気晴らしにここサリー州までたまたま足を延ばしていましてね。良かったら事情を話していただけませんか」


 本当は俺はたまたまではなく、ここサリー州でどす黒い陰謀が渦巻いていると知っていて来た。いま俺と話しているヘレン・ストーナにどんな事情があるかも完全に知っている。だが、質問しないと話が始まらない。


 なにせ、今回は探偵役のホームズをベイカー街に引きこもらせているからな。俺一人で探偵役も助手役も語り手役もこなさなければならない。まったく復讐は大変だ。


「わたしはヘレン・ストーナと申します」


「ほう、ヘレンさんと言うんですか。ひょっとして双子の姉か妹がいらっしゃいませんか。いえ、いらっしゃいませんでしたか?」


「え! その通りです。わたしには双子の姉であるジュリアがいました。二年前に他界してしまいましたが……どうしてそれがわかるんですか?」


「なに、簡単なことですよ。ヘレンさんは見ての通り美しい女性でいらっしゃるのに、左前のボタンの服を着ていらっしゃる。それでおそらく、同じデザインでボタンの部分だけが右前になっている服をいっしょに来ている双子の姉妹がいるんではないかと思いまして」


「なるほど」


「ミラー・ツインと言いまして、一卵性の双子が右利きと左利きであることはよくあることですからね。その利き腕の違いを生かして双子が左右対称に服を着る動きをするなんてこともよくある話です」


「ですが、どうして姉が死んだことまでわかるんですか?」


「それはもう。それだけ仲の良いご関係である双子であるのに、今こうしてヘレンさんがおひとりで深刻そうな表情をしているのが何よりの根拠ですよ」


「そんな論理的な謎解き聞いたことがありません!」


 全部が俺の口からの出まかせだ。ヘレンが双子の姉であるジュリアと死別しているなんてことは『まだらの紐』をあらかじめ読んでいて知っていたことだ。


 そもそも、一目見ただけで双子の姉をなくしているなんてわかるわけがない。ボタンが左前だってたまたま男物の服を着ていただけかもしれないし、ヘレンが一人だからってジュリアが死んだと決めつけられない。


 だが、ここはヘレンに俺が名探偵だと見せつければそれでいいのだ。そうして、ヘレンに身の上話をするように仕向ければいい。


「じつはわたしには亡くなった母が残してくれた財産があるんですが、母の再婚相手である義父のグリムズビー・ロイロットがその財産を管理しているんです」


 そうだ。そのグリムズビー・ロイロットが財産目当てで姉のジュリアを殺し、ヘレンも殺そうとしているのだ。だが、そんなことをさせるわけにはいかない。


「二年前、姉のジュリアが結婚することになったんですが……姉は『真夜中に口笛音がする』と思い悩むようになり、『まだらの紐』と言い残して死んでしまったんです」


 それは姉であるジュリアが結婚することで、財産を管理できなくなることを嫌ったグリムズビー・ロイロットの仕業だ。『まだらの紐』とは蛇のことだ。『speckled band』だからってジプシーの一団だなんて勘違いは俺はしないぞ。


「そして、最近わたしの結婚が決まったんですが……家が改築されることになり、私が部屋を移って姉の部屋で眠るようになったんですが、わたしにも夜中に口笛音が聞こえるようになりまして」


 それはグリムズビー・ロイロットがヘレンさんも殺そうとしているからだ。そんなことを絶対にさせるわけにはいかない。ホームズを名探偵にさせないために。


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