第3話
「しかし、この部屋には怪しげな科学実験の道具がそこかしこに転がっているねえ。見たところ、ヘモグロビンの検出でもしているのかな。たしかにそれができるようになったら法医学におおいに役立つことだろうね、ホームズ」
「なに! 見ただけで僕が何の研究をしているかわかったというのか? この発見を知る人間はまだ数少ないはずなのに。ワトソン君、君はいったい何者なんだ?」
「ホームズ、お前の推理した通りだよ。アフガニスタンで負傷した帰還兵の軍医さ」
「そんな馬鹿な。戦地にいながらにしてそれだけの最先端の科学の知識を持っているだなんて……」
原作では、ワトソン相手にホームズの野郎がヘモグロビン検出のすごさがどうだとかそれがあれば過去の事件がどれだけ解決できただとか得意げに解説していた。
しかし、それがいまや俺に一見されただけでどんな研究をしているか言い当てられたホームズの野郎があたふたしているのだ。実に愉快な光景だ。
「ホームズ、そんなものよりも面白いものがあるよ。18世紀のスイスの数学者のオイラーが考案した魔法陣を使ったパズルなんだけれどね。こうして9かける9の正方形の枠を作って数字を入れていくんだけどね……」
「むむむ。9かける9のマス目の正方形だが、3かける3のマス目の正方形が9個で構成されているようにデザインされているな。これは……もしや」
「ほう、気づいたかい。その通りだよ。縦横どの一列にも1から9の数字が一つずつ。そして3かける3の正方形の中にも1から9の数字が一つずつ入るように数字を埋めていくんだ。ナンバープレイスって言うんだけれどね」
「こんな面白そうなもの見たことがない。ワトソン君。君ってやつはまったく何者なんだ……いや、いまは君のことはどうでもいい。いまはこのナンバープレイスについて探求をせずにはいられない!」
けけけ。ホームズの野郎。すっかり俺が教えたパズルのとりこになってやがる。このナンバープレイスが世間に知れ渡ったのは、このヴィクトリア朝時代よりもずっと後だ。
もしホームズの野郎がこのナンバープレイスを周囲に言いふらしたらタイムパラドクスが起きるかもしれない。
しかし、ホームズの野郎は事件の真相さえ解明したらあとは警察に手柄を譲るといういやみな野郎なのだ。実際に本物のワトソンがそれに憤慨してシャーロックホームズシリーズを執筆したのだから間違いない。
そんなやつが自分のお楽しみを周りに言いふらしたりするだろうか。いや、絶対にしない。このベーカー街221Bの一室でひとりで楽しむに決まっているのだ。
さあ、ホームズ。このモリアーティー様が未来ではやった楽しい楽しいパズルをいっぱい教えてあげるからね。きっとヘロインやコカインなんかよりも君にとってはずっとスリリングなはずさ。
ホームズ。君はこのモリアーティー様にプレゼントされるパズルを探求することで一生を終えるんだ。どんな難事件の解決がホームズに依頼されることもないし、名探偵としての名声が世間に広まることもないんだよ。
「あらあら、ホームズさんったらすっかり夢中になっちゃって」
「これはハドスン夫人。ホームズは少しばかり子供っぽいところがあるようですな。まあ良いではありませんか。きっと近所の子供になつかれることでしょう」
ホームズの野郎。原作ではベイカー街の子供たちを味方にして自分の推理の手ごまにしていたな。だが、そんなことはさせないぞ。
ホームズ。貴様の未来はいい年をしたさえないおっさんが近所のガキどもとゲームに興じているものになるのだ。さぞかし世間から後ろ指を指されることだろう。
「ところでハドスン夫人。ひとつ馬車の馭者を依頼したいのですが。せっかくロンドンに戻ってきたのですから少しばかり観光をしようかと」
「それはいいお考えですね、ワトソンさん」
「戦地で聞いたんですよ。ジェファースン・ホープと言う馬車の馭者がするロンドンの観光案内はピカイチだとね。はばかりながらこのワトソン、名誉の負傷と言うことで少しばかりの年金をいただけることになりましたもので……」
「それはそれは。ワトソンさん、お国のために尽くされたうえでの名誉の負傷なのですから余生をのんびり楽しまれるとよろしいですわ」
へっへっへ。ジェファースン・ホープと言う馬車の馭者が『緋色の研究』の真犯人なのだ。馬車の馭者と言う、ほかの人の意識にとまらない存在だからこそ意外な真犯人だと読者はびっくり仰天したのだ。
しかし、このモリアーティー様がホープによる殺人なんて言う最低の犯罪を未然に防いでくれる。ホームズ。貴様はそこで俺がプレゼントしたナンバープレイスに没頭しているがいい。
貴様が原作では何よりの楽しみにしている殺人事件なんてものはけして起こらないのだ。ざまあみろ。このモリアーティー様をライヘンバッハの滝に突き落とした罰だ。
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