4ーおしり探偵

 次の日の放課後、閉鎖された屋上に続く階段の踊り場にいた。


 窓から見える夜の濃紺と朱色のグラデーションが綺麗だった。

 ここの蛍光灯はかなり前から壊れたままで、辺りはもうすでにかなり薄暗い。もう梅雨が明けたとはいえ、コンクリートに囲まれたこの場所はこの時間になると少し肌寒かった。


 奴が家から持ってきたという双眼鏡を使って窓から職員室を覗いた。

 田村は真面目そうな顔してパソコンの前で何やら作業をしていた。


「って、なんで僕まで張り込みしてんだよ」

 隣で同じように双眼鏡を覗いている奴にクレームを入れる。

「良いじゃねぇか。一人じゃ寂しいだろうが。尻肉だってほら、左右2つあるだろうが」

「意味不明な例えすぎてわかんねぇよ」


 とはいえ、別に帰宅部の僕はこれといって言い訳にできる用事がない、他の人間に比べりゃ暇人なので断りにくい。


「今日もまた田村の手にシリーラが付着してた。しかも両手だ。一刻の猶予もないんだ」

 そのシリーラってのはただの君の妄想じゃないのかい? という言葉が出そうになるのを『友人としての気遣い』でそっと包んで飲み込んだ。


 ふと、ノーと言えない自分の小心さに気付いて嫌になる。

 制服のポケットから取り出したスマートフォンで時間を潰すことにした。画面の明かりがぼんわりと薄暗闇の中で光った。


 しばらくして奴が俺の膝を叩いて言った。

「おい、田村が動いたぞ。後をつけよう」


 双眼鏡を覗くと、職員室を出た田村は廊下を右の方向に歩いて行った。

「あれ、正面玄関と逆の方に歩いてくぞ?」

「チッ気付かれたか」

「まさか」

「いや、田村ほど良い尻に触っているやつなら気付きかねん」

 んなバカな。

 

「ここからは別行動だ。俺は裏口に行く、お前は念のため正面玄関にいて、田村が来たら適当に足止めしておいてくれ」


 それだけ言うと、奴は僕の返事も聞かずに階段を駆け下りていった。

 仕方なく僕も正面玄関に向かうために腰を上げた。


 正面玄関にたどり着いたとき、奴からボイスメッセージが届いた。

 なぜボイスメッセージ? 僕はスマホに耳をあてる。


『リーシ リー シシシ リーシシシ リーリーリーリー シシリーシ シシシ』

 くっそ、何言ってるか全然わからん!


 ちょうどいいところに、部活終わりで帰路につこうとしているクラスメイトがいたので訊いてみた。

「おつかれ、田村しらね?」

「田村? あー、きっと駐車場の方だろ。さっきなんか嬉しそうな顔して歩いてたぜ」

「サンキュー」

 僕は裏口の方にある駐車場に向かった。


 駐車場につくと、何やらニヤニヤしながらスマホをたぷたぷしている田村が見えた。


 そして、

「おい田村ぁ!」

 と大声を出しながら向かっていく奴も見えた。


「わーびっくりした、なんだどうした?」

「てめぇの悪事はまるっとおみとおしぁぶっ」

 僕は咄嗟に奴に膝カックンをくらわせた。


 奴がこちらを振り向く。「え、なんで?」というような目で見てくるが、ちょっと無視しておく。


「先生、車通勤だったんですね」

「ん? あ、あぁ、そうだよ。実は最近買ったんだ。かっこいいだろー」

 田村が愛着を込めてぽんぽんと叩く水色の軽自動車はまだピカピカだった。


「先生ってもしかして、結婚しました?」

 僕は気になっていたことを単刀直入に尋ねた。


「あれ、お前らのクラスにはまだ言ってなかったっけ。すまんすまん、先月入籍したんだよ」

 と、隠しきれていない笑顔と一緒に結婚指輪を見せてくれた。


 これでなんとなく事のあらましが掴めたような気がした。

 さすがの奴もそれを察したようだった。


「あのーよかったら、僕らにお嫁さんの写真見せてくれませんか?」

 と僕が言うと

「えーなんだか恥ずかしいなぁ」

 と言いつつまんざらでもないような顔をする田村。これだから幸せボケしてるやつは。


「お願いします先生! 一生のお願いです」

 奴は僕の隣で深々と頭を下げた。

 明らかに不自然な態度だったけど

「えー、へへへ、しょうがないなぁ」

 と、のろけきった顔でケータイを差し出してきた。

 その画面を確認した奴は安堵した表情を見せた。


「俺、先生のことを見直しました。ささ、早くご自宅にご帰宅のご仕度をなされてくださいませ。シリーラが尻を長くしてお待ちですわよ、ほほほほ」

 

「……? シリーラって誰だ?」

 田村は何故か僕に訊いてくる。


「あーはは、あーいや、なんでもないんです、ポルトガル語か何かでお嫁さんって意味ですよ、たぶん。それじゃ、さようなら」

 そう答えると、田村は一瞬不思議そうな顔を見せたが、すぐにでろでろのノロケ顔に戻った。


「それじゃ、君らも早く帰るんだぞー」

 田村は新車に乗って学校を出て行った。


 エンジン音が遠ざかって静かになった。

 カラスの鳴き声が辺りに虚しく響いた。


「とんだおしり探偵だよ」

 と、僕は嫌味を込めて言ってやった。


「まぁ良かったじゃねぇか何事もなくて。もし田村が痴漢でもしてようものなら俺がシーリングっど♡プリキュアで得たシーリングフラッシュで倒さなくてはならないとこだったからな」


 そうキメ顔で言うやつに、今度は僕は包み隠さず言った。

「どうせただのヒップアタックだろ?」


 奴はこちらを向いて「まぁな」と笑った。

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