第9話 剣は何のために

めーん


幼い声が道場に響く。


タケル、踏み込みが甘い!」


祖父の竹刀が頭の防具を小突く。


めーん


祖父はタケルが力を込めた打ち込みを簡単にいなし、


「バシッ」


祖父は弱く打ったつもりではあったが、8歳に対しては強めの打撃であったのだろう。

タケルは板葺きの床に尻餅をついた。


祖父は笑って


「手加減したつもりじゃが…。まぁ、ちょっと休むか」


祖父はタケルの防具を外させ、縁側に移って並んで座る。

心地よい春の昼下がりだった。

前の庭ではソメイヨシノがちらほら咲いている。


子供用の防具面を外したタケルは


スハースハー


と空気をゆっくりと吸っていた。


「建はまだまだ強くなるぞ。建、何のために剣術を学び、強くなるか、分かるか?」


「う〜ん、立派な男子になるためかな」


「結構、いい線いってるのぉ」


と祖父は目を細めて微笑む。


「立派な男子になるためももちろんある。じゃが、強くなるのは」


「強くなるのは?」


タケルの表情に強い好奇心が浮かんでいた。


「人を守るためじゃ」


「人を守るため?」


「そうじゃ」


こう言って、祖父は幼いタケルの瞳を見すえた。

剣術の名門、神刀一乗しんとういちじょう流の総代の強い眼差しであった。

タケルの背筋は自然と伸びた。


「剣は人を守るためにある。お前が剣を学ぶのは、人を守る心と技を養うためだ。特に大切な人を守るための」


「ふーん。そうなんだね〜。剣は人を守るため…か。うん、お祖父ちゃん。分かった」


タケルはうなずいた。


「そうか、分かったか」


そう言った祖父の表情はいつになく優しげだった。


***********************

「突き!」


バスッ


という音とともに対戦相手が後ろに飛ぶように倒れ込んだ。


ズシーン


タケルの一本勝ちだった。

高校最後のインターハイでタケルはついに個人戦で日本一に輝いたのである。

亡き祖父も喜んでくれるだろう。

万感こもごもの思いが極まってタケルは男の涙を流した。


しかし、程なくして、嫌な予感がよぎった。

対戦相手の好敵手長柄ながらたもつが立ち上がらないのだ。

医務班が担架で選手を運んでいく。


準優勝者がいない表彰式となった。


その後、分かったのは、保がタケルの鋭い突きで倒れた際に打ち所が悪く、体に半身に麻痺が残ったこと。

長いリハビリが必要になり剣道を続けられなくなったということだった。


正々堂々試合をした上での不運な結果であり、タケルに過失はない。

相手が不運だったという声は聞こえたが、タケルを責める声はほとんど無かった。


病院に見舞ったときも保は、


試合の上でのことだ、

恨みはない、

気にするな、

リハビリを頑張るから、また試合をしよう


と逆に気遣ってくれた。


武人のごとき心を持った保に頭が下がり、タケルはありがたくも思った。


しかし、タケルは自責の念に苦しんだ。

祖父の言葉を噛み締めていた。


剣は人を守るためにある。


対戦相手の未来と剣道を奪った自分は、人を守るどころか傷つけたのである。


ここ数年の自分は思えば奢っていた。

平成の沖田総司などとちやほやされて、自分でもまんざらでもないと自惚れていた。


剣の心構えを忘れ、ただ、勝ちたいだけだったのではないか?

試合で相手を思いやることもできなかった。


祖父が生きていたら、最近の自分を見て、きっと嘆かわしく思い、叱責したことだろう。


このまま剣道を続けていく資格はあるのか?


そんな自問自答から、タケルは剣道や剣術から離れ、剣道の活躍でほぼ内定していた名門大学の推薦も断り、一般受験で地元の国立大学を受験したのである。

中途半端な勉強では合格は難しかった。


不合格の通知を受け取り、将来への展望が見えない中、タケルは悩んでも仕方がないと気持ちを切り替え受験勉強に励むことを決めた。

推薦入学を辞退し親にも迷惑をかけたという思いから、

午前中はスーパーの野菜コーナーでアルバイトをし、午後、衛星授業中心の予備校に通うという浪人生活だった。


自分の心身を持するために剣術の修養は日々怠らないようにした。

対戦相手は求めず自分一人で行う形式のものばかりであったが…。

保の剣道を奪ったことに対するせめてもの償いという気持ちがわだかまっていた。


そのような浪人生活を数か月送っていたところ、

持ち上がったのが、妹、舞姫まきの霊夢の件だった。

7月の下旬、タケルは、行き慣れた多家良たから神社へ舞姫と赴いた。

参道を挟む鎮守の杜の様子がなぜか目に浮かぶ。


桜、楓、栗、小楢、落葉広葉樹が多い森。

季節によってその趣を大きく変える。

初夏は特に青楓が実に美しく目に映る頃合いであった。


その鎮守の杜が不意に光に包まれて…。


眩しく感じたタケルは目を覚ました。

すると、見知らぬ森で出会った少女、エルゼの可憐な顔ばせがあった。

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