第3話 その名はエルゼ

「大丈夫ですか?」


「うっ、うっ」


むせぶような泣き声だけだった。


タケルは女性に絡まっている丈夫そうな、目の粗い網を素早く太刀で切り割いた。

すると手首、足首がつる状のもので縛られている少女の姿があらわになった。


麻を染めたような緑色のワンピース風のものを身にまとっている。



「大変でしたね。怪我はありませんでしたか?」



タケルが太刀先で拘束の蔓を裁つと、少女はタケルに背中を向けて地に膝をついたまま涙を滂沱ぼうだとして流した。



「うっ、うっ、うぅ」



無理もない。

タケルが読んでいたゴブリン殺しを主人公にした有名なライトノベル作品では、ゴブリンたちが女性を攫って凌辱しようとする場面が出てくる。人族の腹を借りて子孫を増やすというのである。

他の作品でもそんな設定は少なくなかった。

それが真実だとすると、少女は捕らえられている最中、気が気でなかっただろう。


肩を震わせて泣く少女の姿はひどく可憐に見えた。タケルは少し離れて彼女を見守る。


「もう大丈夫、ゴブリンは追い払いましたよ」


あの暗緑色の肌の化け物をこの世界でなんと呼んでるかは分からない。

しかし、声をかけて安心してもらいたかった。


少女はひとしきり泣くとようやく立ち上がって、振り向き、面差しをタケルに向けた。

松明の揺らめく炎が彼女を照らす。


現代日本の基準ならば、さしずめ16、17歳ぐらいであろうか。

スラリとした四肢、紫色の髪に赤いリボンのツインテール、目鼻立ちも唇も実に麗しい。


「助けていただいて、ありがとうございました」


頬の涙を手で拭いながら、微笑む美しき手弱女たおやめ

声は銀鈴ぎんれいの調べのように澄んでいる。


(キレイな人だ…)

タケルは少女の顔ばせを見つめていた。


紫紺の髪の毛は額と眉毛を穏やかに隠している。

長い睫毛の下には紫色の瞳が息づいていた。。

鼻はすっとしていて清楚な印象を受けた。

唇は小ぶりで薄い紅色である。

先が少し尖がっているような耳はタケルには好きな形に見えた。

大きさは現代人並みと言える。

頬の肉付きは普通で、肌は白めでなめらかに映る。


少女は最初はタケルと目を合わせていたが、見つめ続けられたゆえか、少し恥じらいを見せて視線をずらした。


少女は白いタイツを履き、緑色の衣服からもそれなりに膨らみを看取できるが、大き過ぎるというわけはない。

彼女がまとう服装は、異世界もののアニメに出てくるエルフが着る服飾を思わせるが、耳はさほど尖がっていないし大きさも現代人並みだから純粋なエルフではないだろう。


遠目には自分と同じ人族にも思えるが、少し尖がった耳や髪や瞳の色といい、どこかタケルの世界の人間とは違うような気がする。

ハーフエルフやクオーターエルフなのかもしれない。



「あの…、さっきは助けていただいて、本当にありがとうございました。とても怖くて、もうだめかと…」



少女がペコリと頭を下げるとタケルは我に返って



「いえ、当然のことをしたまでですよ。お役に立ててよかったです。お怪我はなったですか?」



「大丈夫です。かすり傷ぐらいなので」


そうは聞くものの彼女の手首には紫色のあざが残っていた。

服も破れている箇所が認められた。

彼女はきっと痛い思いをしたことだろう。

心配ではあったが、先ほどの恐怖を思い出させることもないと考えたタケルは、自分が気になることを尋ねてみた。



「ここはいったいどこでしょうか? 実は、目が覚めたら、この森に倒れていたのです…。僕がいた世界とはどうやら違うようだ」



「そうだったんですね…。ここら辺は、境の森のおびと言います。エルフの森の結界の境目にある場所なんです」



「境の森の帯ですか。エルフの森のそばなんですね?」



「そうですよ。ここはエルフ森に張った結界に近いので、ゴブリンが近寄ることはまずないんですが…。

ここら辺のゴブリンは普段はおとなしいんですよ。

よそと違って、芋を作って静かに暮らしています。

襲ってくるようなゴブリンがいるとは!今日は油断してしまって護身道具も持たず…」


彼女の表情には後悔の色が映っている。


「誰でも不運なときはありますよ〜。

僕も気を失って倒れているときにゴブリンに襲われていたら、もうどうしようもなかった。

お互いに実は運が良かったと考えましょう」


タケルは微笑んでみせた。彼女の表情に少し明るさが灯った。


「それとまだ心配なので安全なところまであなたを送りましょう」


エルゼはほっとしたような表情で、


「ありがとうございます。あ、それとわたしはエルゼと言います。

エルゼ・マグノーリヤ・インナ・ウートロと言いますが、エルゼと呼んでくださいね」


「エルゼさんとおっしゃるのですね。僕は一乗タケルと言います。タケルと呼んでくれたら」


「イチジョー、タケル? 珍しいお名前ですね。こちらこそよろしくお願いしますね」


エルゼが小さなお辞儀のようなものをした。

タケルもお辞儀を返して思う。


お辞儀は地球全体で見ればそれほど行われていない作法であるが、日本同様、この世界でも定着している流儀なのだろうか。


「エルゼさん、先ほどエルフの森と言っていましたね。ここはやはりエルフが住む土地でしょうか?」


「そうですよ。ここはエルフの国、エルフィニアの北部です。タケルさんが住んでいるのはなんという国ですか?」


タケルはどう説明したらいいか一瞬迷ったが、


「地球という星にある日本という国です。多分この世界とは違う世界だと思います。人族ばかりがいて、そこには、エルフもゴブリンもいません」


「地球という星の日本?初めて聞きます。そこにはエルフがいない? 

南の国々にはエルフはとても少ないと聞きますが、タケルさんの国にはまったくいないんですか?」


「そう、いないのですよ。想像上の種族で物語などには出てきますが…。

エルフに限らず、ゴブリンも僕の世界にはいません。想像上の生き物なのです。

僕はおそらく不思議な力でよその世界からやって来たように思います」


エルゼは驚きを浮かべていたが、ふと真面目な表情を見せて、


「タケルさんは、もしかしたらマレビトかもしれませんね」


「マレビト?」

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