第2話 ゴブリンと少女

誰か、助けてー


若い女性の悲鳴が森の静けさを再び破った。


早く行かないと危険だ。

太刀のさやを握る力が強まった。


日本語が使われているのか…。


タケルはそんなことも思いながら走る。

地を這う太い樹根につまずかないようにしつつ、悲鳴が聞こえた方角に急いだ。


数十メートル先に松明たいまつのようなものが見えた。得体の知れない何かが複数動いている。


炎の灯りを手にしているのは、小柄で緑色の皮膚を持ち、とんがった耳と鼻が認められた。

角はない。

異世界ものに出てくる小鬼、つまりゴブリンそのものだ。


地球上に無論、こんな生き物はいない。

タケルは自分が別世界に転移したことをここではっきりと悟った。言わば、タケルの「日常」は終わったのである。


見たところゴブリンは4体いて、1体が松明を掲げ、残りの3体が網で包まれた動く存在を頭の上に掲げ、今にも持ち運ぼうとしているらしかった。


網に包まれているのが悲鳴をあげた女性なのだろう。

声を上げていないのは気力が失せたのか、あるいはゴブリンに痛めつけられたのか?


近づくにつれ、タケルはゴブリンの異形な姿に恐怖を覚えていた。

しかし、幼少から剣道と剣術を修得してきたタケルは、女性を助けなければ男がすたるという丈夫ますらおぶりを、恐怖の中にあっても持ち合わせていたのである。


タケルは、ゴブリンたちが向かおうとする前方まで走りそこで立ち止まった。


「その人を離せ!」


ゴブリンたちに通じるはずもない。

ただ正直な思いを載せて、言葉を放ったのであった。


ギュルル ギュルル


松明を掲げるゴブリンが歯をむき出しにしてタケルを睨む。

するとその後ろからもう1体のゴブリンが飛び出してきた、手には石の斧のようなものを持って。

ゴブリンの大きさはいずれもタケルより二回り小さいが、膂力りょりょくはありそうに見える。

斧が当たれば、致命傷だろう。


タケルは振り回す斧の一撃を避けて慎重に後に下がる。


ギュルル ギュルル


先程攻撃してきたゴブリンに加え計4体のゴブリンが歯をむき出しにしてタケルを威嚇する。

松明を持たない残りの2体もまた石斧せきふ棍棒こんぼうような武器を手にしていた。

網に捕らわれた女性は地面に下ろし置かれ、もにょもにょと動いている。


戦わなければならないのか、やはり…。


タケルは右手で柄を握り、鞘から長い太刀を抜き、鞘をそのまま側の木の根元にそっと置いた。


勝つ筈の者は再び鞘に刀身をしまう。

投げ捨てるような真似はできるだけしない。


タケルが学んだ一乗流剣術の教えである。


刀刃のまばゆい光が松明の炎だけの空間に現れる。

タケルには、太刀の重さが急に軽くなったような気がした。

刃をひっくり返し峰打ちの形で両手で中段の構えをとった。手のひらにしっくりくる革が巻かれた柄。


グガー、グガー


ゴブリンたちは気持ちが高ぶったように叫び声をあげて3体同時にタケルに襲いかかる。

タケルは剣術で鍛えられた足さばきで、ゴブリンとの間合いをすぐに詰め、斧や棍棒を握るそれぞれの手首に小手を見舞った。


ギャッといううめき声に続いて、ドサッという音を立てて続けて落ちる3つの武器類。


すぐに3体ともに己の武器を拾うことなく、タケルに噛み付くかのごとく突進してきたが、タケルは肩や腕に巧みに峰打ちを喰らわせたのであった。


残る1体のゴブリンは松明を振り回して、タケルに迫るも、刀身の斬れぬ側を胴に打ち込まれ、地に倒れた。


ゴブリンに対して峰打ちだったのは甘過ぎるかもしれない。相手はタケルを殺そうとしていたのだから。

しかし、タケルは殺生は好まないたちだった。


生きとし生けるもの、命は平等だ。

タケルの母がよく言って聞かせたことだった。

彼女は蚊を叩いて殺すことにも躊躇ためらいを覚える人だ。


この世界でのゴブリンはどんな存在かは分からないが、彼らも何らかの存在理由があって命を受けているのだ。

できるなら切り捨てることは避けたい。


そんな気持ちがタケルの胸に去来していた。


タケルがゴブリンに近づいて再び刀を構え、


「おっしゃー!」


と気合を込めると4体ともに臆して逃げていったのである。


タケルは地に倒れてもいまだ燃えている松明を土に挿し直して灯りとした。

そして網に覆われ転がっている人のもとへ歩む。

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