第12話 ミスターM氏の憂鬱

ミスターM氏は不動産業に努めている。


「住まう不動産」という会社で、マンションや建売住宅の販売員をしている。当然宅建物取引士の資格は有しているし、さらには「不動産鑑定士」に「マンション管理士」「土地家屋調査士」や「司法書士」の資格さえ持っている。


つまり不動産業のエリート中のエリートがミスターM氏なのだ。


午後五時、 ミスターM氏はすでに自社マンション二室に、会社が土地開発した住宅の契約を数件上げた。定刻になりミスターM氏は帰宅を始めている。


住まう不動産会社が手掛けているマンションや建売住宅のほとんどを、ミスターM氏が売ってくるのだ。超トップの販売員である。しかも評判もすこぶる良いのだ。


会社では社長を越えたスーパー社員がミスターM氏なのだ。


ゆえにミスターM氏は、会社の勤務時間に縛られることなく、自由に出退社が認められている。が、ミスターM氏はそれをしない。


街の一介の不動産仲介業に過ぎなかった住まう不動産は、近年飛躍的に業績を上げ不動産業としての地位を確立しつつあるのも全ては突然現れてたミスターM氏のたまものなのだ。ミスターM氏がいなくては住まう不動産は成り立たない。


そんなミスターM氏ではあるが、彼はどんなに業績を上げても奢ることなく淡々としている。


住まう不動産が中堅業者になった時に、住まう不動産からミスターM氏にだけに与えられた特権が自由出退社である。いや、実際はミスターM氏はそれさえも辞退したのだが、社長からのせめてもの謝意を表す報酬として今や形骸化した辞令でもある。


もちろんミスターM氏の年収は既に数千万円に上っている。


そんな高給を取っているミスターM氏だが、普段はとても質素な成り立ちをしており、出勤時もどこかのくたびれた中堅サラーマンといった有り体である。


あまりにもそのパッとしない姿を見かねた社長が、会社の制服と称してプラダのビジネススーツや靴にビジネスバッグなどを支給している。それらがミスターM氏に与えられたもう一つの特権だ。


全てはプラダのメイド・トゥ・メジャーであるから、ミスターM氏がこれらの制服を着込んで仕事に就くときの総額は、優に数百万円は超えるのだ。


一流企業であっても雇われ社長クラスでは、ミスターM氏の服装だけで恐れ入り感じ入ってしまい、それだけですんなりと大口契約がまとまってしまうほどだ。


ミスターM氏は貸与されたプラダの制服から、いつものくたびれたような中堅会社員的な服装に着替え退社した。


その姿は、どこからどう見ても人生の先行きの目途さえ立っていないような、それでいて小さなマンションのローンの支払いに汲々としつつもなんとか家族を養っている会社のお荷物社員にしか見えない。


ミスターM氏は目立つことを恐れている。


ミスターM氏は、とある廃屋同然な五階建てマンションの、とある一室のドアをノックした。


「合言葉は?」


「浪費は美徳」ミスターM氏はが答えた。


ギ~イッィィと音を立ててドアが開いた。


ミスターM氏は空いたドアから滑り込むように室内に入り込んだ。


薄暗い明り、閑散とした室内に、男女合わせて十数名がたむろしていた。「それではミスターM氏はも来たことだし、我らが目標の唱和を始める・・・」とリーダー格の者が言った。


 一つ、お金に依存しない!

 二つ、物品に依存しない!

 三つ、人に依存しない!


「よ~し、それでは我らの本分に則って、あらゆるものからの拘束から、自分を解放しようではないか」


「おお、我らは解き放たれた!」


「解放されたのだあっ!」


解放された喜びが口を突いて出てくるのか、それぞれが小さく呟いて幸福感に包まれた表情をしている。


物に依存し執着してきたこれまでの自分は、いったい何だったのだろうとミスターM氏は思う。以前と今では、これほど心の解放感による幸福感は得られなかったような気がしていたとミスターM氏は思う。


リーダー格と思われる人物が話す。


「物に囚われなくなり、全てはこの世に喜捨することで我ら団体は成り立っている。今やインターネットを通じその啓蒙活動をゲリラ的に行っている」


「断捨離。すなわち断捨離では我らは決してない。我らは物に囚われずに、心を開放し、必要最小限なものだけで生きるを旨としているだけなのだ」


「今や我らの趣旨に賛同する仲間は増えつつある。ブログでも公に我らの活動趣旨を理解し、記事として宣伝啓蒙してしてくれる者が増えつつあるのだ」


誰かが「リーダー、こんなブログを発見しました」と言った。


「おお、なんと素晴らしきかな、見知らぬ我が同胞伝道師よ!」


さらに続けて「お前なにを捨てた、言ってみろ」リーダー格の者が言った。


言われた男は「女房家族を捨てました」と答え、お前は「なにを捨てた」とミスターM氏を指さす。


「私は自分を捨てました。稼いだ金は恵まれない人たちの為に全て寄付しております。もとより私はひとり身ですから、家族もなく所有する物はなく物品からも解放されています。所有する物は唯一社会との繋がりを保つための、あ・の・衣服のみです」と言ってミスターM氏は、壁にかけたくたびれた感のある衣服一式を指さした。


「素晴らしい、さすがはミスターM氏だ!」続けて、「そこのお前、お前らもミスターM氏を見習え!」とリーダー格の女は数人を見回しながら言った。


「なにをしておる、真のミニマリストであるならばパンツからも解放されるのだ。ブラジャーも外せえぇぇっ!」


まだ、パンツまでは脱いでなかった三人がパンツも脱ぎ捨てた。女達もブラジャーとパンツを脱ぎ捨てた。


「おおっ!」と歓声が上がる。


リーダー格の女が「おお、ついにこの日がやってきた。今日、初めて我ら同胞全員がフルチンでフル〇〇のヌーディストとなったわけだ。これぞ究極最高奥義のミニマリストだ!」と、オカルティックに言った。


さらに「おおっ!」と大歓声が上がる…


◇◇◇◇◇


ミスターM氏は…


俺は、ヌーディストになりたくてミニマリストを始めたわけじゃない。ただ物品から解放され、依存心を断つことで心を開放したかったのだとミスターM氏は思う。


しかしリーダーのいう、物に依存した物品マニアックな人物もいないわけではないが、それはコレクターという性質であって、物に依存していると言われればそうではあるが、それが趣味であり生きる上での楽しみであるのだ。それを奪う必要はないとミスターM氏は思うようになってきていた。


そのような人は往々にしてコレクター以外では、返って質素であって倹約家で、しかも慎ましやかな生活を送っているってこともネットで知った。ミニマリストとは対極にあるかもしれないが、そこに充足感はそれなりにあるようだなとミスターM氏は思う。


誰が、部屋の掃除をするたびに、物をどかさなければならないほど物が溢れた部屋に住んでいるというのだ。そのようなことがあるなら、そのこと自体がすでに愚かである。分かってきたことは、そんな異常者が世界の総数を占めているなんてことは、あり得ないと理解するに至ったミスターM氏でもあった。


そういう部屋があるとしたらそれは汚部屋というべきで、それこそ必要不必要の取捨選択が出来ない上に生活がルーズであるか、「ため込み症」という病気で自信をコントロールできないのだろうとミスターM氏は思う。


猫屋敷もそうであろうしゴミ屋敷もそのたぐいだろう。人の目にとってはゴミでも本人にとっては必要で大事なものだから溜め込むのだろう。本人が必要と思っているものを、必要ないものと誰が定義づけられるのだろうかとミスターM氏は思う。


それを決めることが出来るのは、自分自身だとミスターM氏は思う。が、それはそうであっても猫屋敷やゴミ屋敷で地域社会に迷惑をかけるのはいけないとミスターM氏は思う。


しかしミニマリストが、ミニマリストを公言しその啓蒙活動を行うことが、既にミニマリストではない証しとなってはいないのだろうかとミスターM氏は疑問に感じ出してきている。


ミニマリストを宣言することによりその益をわざわざ喧伝することが、既にミニマリストということに囚われ執着している証左でもあると、ミスターM氏は思うようになってきていた。


ミニマリストって誰かに対して喧伝することではないだろう。内なる思いを自身が実践することで成り立つのが、ミニマリストではないのかとミスターM氏は思う。それを喧伝するのは、ミニマリストを宣言することでの勘違いと思い違いによる多幸感のなせる業で、一種の脳内麻薬のようなものなのかともミスターM氏は思う。


ミニマリストになって幾つものメリットがあったなんてことの総てが我田引水的こじつけで、そのことで、どこにミニマリストになる必然性があるのだろうかとの思いを、今ではミスターM氏は打ち消せないでいる。


そんなメリットは普通に考えればミニマリストでなくても当たり前に実践するべき事柄なのに、ミニマリストだからと特に因果関係づける事態がミニマリスト依存というべき事柄なのではないかとミスターM氏は疑い出している。


世界の富はまだごく一部の人のためにあるだけである。


満足に医療も受けられない世界も多いのだ。


お金に依存心がなくなるならすべて寄付すればいいのだ。


稼いで寄付することでそれらの人々が多少なりとも救えるのに、ミニマリストになってお金が貯まるなど、本末転倒ではないかとミスターM氏はそこにささやかな憤りさえ感じてきている。ミニマリストでお金が貯まるなど、ミニマリストはお金に執着しないのではなかったのかとミスターM氏は思うのだ。


ミニマリストになってお金や物への依存心が減るなんて、自分の能力の限界を知った言い訳だけじゃないのだろうかとミスターM氏は思う。


この世はなんだかんだと言っても資本主義社会だ。病気してもお金が必要だ。お金に拘らなければいいだけで稼ぐことが悪いわけじゃない。稼いだら人のために使う。それが内なるミニマリストだとミスターM氏は思う。


いつからかミスターM氏は、ひょっとしてミニマリストとか関係なくて人間としてヒューマニティを持って生きることが大事なのじゃないだろうかと悩むようになってきているみたいだ。


こんなことに拘りだしミスターM氏をジレンマが襲う。

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