第4話 マイバッグ

「もしもし、お客様… 」


「ふぁあ?」


「なんじゃ!」


「いえ、お客様、まだ精算のお済みでないお品が、そのマイバッグに入っているのではないでしょうか?」


「ふんなもんは、ねえよ!」


「申し訳ありませんが、念の為、ちょっと事務所の方へお越しください」


「代金はレジで、カードで払ったよ」


「お金のやり取りで、新型コロナウィルスで現金には触りとうないからな」


「わ、わかりました」


「念の為ということで、ご足労願いたいのです」


「お金は払ったし、疑われるいわれはないから嫌じゃ!」


「そうおっしゃらずに、なに、すぐに済みます」そう、男は言って、お客様という方の腕を掴むようにして、スーパーの裏手に引っ張って行こうとした。



「うわあ、なにするんじゃ。行くのは嫌だと行ったじゃろうがあ!」お客様と言われた男が逃れるように掴まれた腕の反対側へ体を持っていこうとする。


男の手ががっしりと客の腕を掴んでしまった。


体力的にもお客様と言われた男では、何やら万引の疑いをかけてきた男に敵いそうにない。それもそのはず声をかけてきた男は万引対策の警備員だった。


お客様と言われた男は、犯人のごとくにスーパーの裏手方向に歩いて行かざるを得なかった。


スーパーの事務所に連れて行かれた、お客様と言われた男はおとなしく進められた椅子に座っていた。


お客様と言われた男は椅子に座ってうなだれて肩を落とし、顔は目に生気を失ったかのような雰囲気で机の上をボーッと見ていた。


その様子を見てスーパーの警備員は「こいつはやったな」と万引を確信した。


そこから警備員のこいつ犯人だろうという調子での詰問調の声掛けが始まった。「おじいちゃん、レジでは全部の商品の会計をしなくちゃあいけないんだよ」


客の男はもうお客様ではなかった。


「…」万引き犯と思われた男は、何も言わず肩をうなだれて机の上の一点を焦点の合わない雰囲気で見るともなしに見ていた。


警備員は万引き犯は「こいつ、観念したな」と思った。警備員こと万引 G メンはブラブラしているだけの仕事みたいに思われるけど、こうやって万引き犯を確保することで店に恩を売ることが出来る。


なんたって万引のせいで店の売上は順調でも、潰れる店もあるんだから。

それに万引と言っても客ばかりが万引をするわけじゃない。

パート店員も中に、万引まがいの者もいるんだ。


最初は賞味期限切れで値段を下げても売れなくて本当に賞味期限切れになったものなどを持ち帰っていたのだけど、そのうちグレーゾーンの日付の品物にも手を出し始めると生鮮以外にも手を付けだすやつさえいるのだ。


万引被害から守るために俺たち万引 G メンがいる。


万引をしてくれる人がいなくっちゃ、俺たちの仕事は飯の食い上げになっちゃう。だから程々に万引をしてくれるやつがいることがありがたい。


今日も一人捕まえた。

そんな思いで、気持ちも明るくなる。


「もうやってしまったことは仕方ないんだから、ね、おじいさん。取ったものを自分でマイバッグから出してよ」


お客様から「おじいさん」と呼ばれた男は一層肩を落とした。

落とした肩が僅かに震えている。


「万引をしたことを今頃悔いても遅い、お前は俺の餌だ」そう捜査員は思いつつ、勝ち誇った思いでこの現場と同じシーンを何度経験したことかと思い出す。

多くはシーンとして記憶があるだけで、万引の相手が誰だったかは思い出せない。


いや、一人だけ覚えている。

まだ40代なかばのちょっとばかり小綺麗な女だった。

化粧品など数点万引をしていた。

問い詰めると泣き出した。


女は、警察だけは主人に怒られるので勘弁してくださいと言った。

女は私の体で良かったらとも言った。

体を提供するから内密にしてくれという意味だ。

捜査員は独身であった。

女には飢えていた。

捜査員はその女と寝た。


女が万引した品物は女に持たせた。


それは相手に罪の意識を感じさせることで、その女と寝た事を有耶無耶にする目的もあった。

捜査員は女が万引したのと同じ品物を系列店で購入した。

捜査員の警備する店に女が万引したのと同じ品をそっと戻しておくのだ。


スーパーの棚卸しは早い。

月に一回はやってくる。

そのときに売上と在庫の乖離が大きいと、捜査員への非難的な眼差しが向けられるから、出来うる限り同じ品物を買ってその分を補充しておくのだ。


万引されたと分かったけど、捕まえられなかった場合などもそうすることがある。

多少の売上と在庫の違いは経費だが、ある一定の割合を超えると捜査員へのプレッシャーは増してくる。


「どうするの、自分で出せなければ私が取り出すよ、良いかいおじいさん」と、捜査員が猫なで声で元お客様のおじいさんに声をかける。


「もうこんなことをしちゃあ駄目だよ」捜査員は、この後は早く始末書を書かせて手柄仕事を終わらせたかった。


おじいさんと呼ばれた男の落とした肩が、なおのこと小刻みに揺れている。


そのときに捜査員は「へっ、なに?」と思った。


おじいさんと呼んだ男の肩の震えが大きくなるとともに、おじいさんの口から「くっくくっく」という笑い声のような音が小さく漏れてきたのだ。


捜査員は戸惑った。

「居直り笑い?」


「ふざけるなっ!」おじいさんと呼ばれた男は突然に大声を出すと、自分のバッグを掴んで放り投げるように中の品物を机の上にぶち撒けた。


机中に広がったスーパーでの買い物の数々。


安いものから高いものまで色々だ。

「ころんころん、がたん」と、机から床に転がり落ちる品物もあった。


おじいさんと呼ばれた男がマイバッグをパンパンと振るうと、ひらひらと一枚の紙片が落ちてきた。


「てめえで調べてみろよ」おじいさんと呼ばれた男は、上身をぴしっと起こし捜査員を睨むように椅子にかけたままで言った。


「レシートもあんだろうよ」と言いつつ男は、右足を机の上に乗せた。


あっけにとられた捜査員はぶち開けられて床に落ちた品物を拾いつつ、オタオタとしていた。


ややあっておじいさんと呼ばれた男はレシートをピラピラさせながら、捜査員の目の前にちらつかせた。


捜査員はレシートと品物を比較しつつ買い物チェックをしていた。

抜け落ちもなにもない。

買い物途中でマイバッグに品物を入れるような素振りはなんだったんだ。

捜査員は自分の感が悪くなったのかと思うと同時に、顔色が青くなった。


しまった、ブラック老人に引っかかってしまった!


「おう、店長を呼べ」お客様からおじいさんになり、今はブラック老人と思われたお男がドスを籠めて言った。


「お、お客様っ」

「大変失礼をしました」

「この件は、どうぞご内分にお願いいたします」



「内分に、だあ、てめえ、人を万引き犯扱いにしやあがって、今更なんだ。許せるわけがねえだろうがあ」と、ブラック老人が凄む。


目に異様な威圧感さえある。


「これでどうぞご内分に…」


「って、3万ポッチかい、う~んん。まあ今日のところはこれで勘弁してやらあ」とブラック老人は凄む。「本当は、誤認確保で名誉毀損で訴えたいところだ。このことで店の前で大暴れしたっていいんだぜえ」


「で、ケチのついた買った品物とマイバッグも要らねえからなあ」


「その分、あと1万付けて弁償しな」


「こんな験の悪い品物はもう要らねえんだよ」


「胸糞が悪い」


「じゃあな、ありがとうさん」ブラック老人はそう言って、スーパーの裏の事務所から外に出てきた。


太陽の光が眩しい。


「まだ、早いな」


「あと一件ぐらい稼いで帰るとするか…」

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