武蔵野ってなんだ?

貴音真

武蔵野について語ろうか。

武蔵野と聞いて、俺が最初に思い浮かべたのは武蔵野線だった。

俺は都内在住なので武蔵野線という言葉は否が応でも耳にすることになる。

そうは言っても、俺は頻繁に電車に乗るわけでもないし、件の武蔵野線もそんなに多くの回数を利用したことがあるわけではない。

恐らく片手の指で足りる程度の回数しか利用したことがないだろう。

そんな俺でも、武蔵野と言えばなに?

そう聞かれたのならば、即座に武蔵野線と答えるだろう。

それくらい、武蔵野線というワードが強烈なのである。

ところで、武蔵野ってなんだろう?

そう考えたとき、俺には何も思い浮かばなかった…

恥ずかしながら、俺は武蔵野線は知っているが、武蔵野そのものについては全く知らなかったのである。

自分の無知を正当化するつもりはないが、武蔵野線を利用している人々の多くが俺と同じなのではないだろうか?

ではなぜ、武蔵野線は知っているが、武蔵野そのものは知らない、ということが起きてしまっているのか?

その答えは簡単だ。

それは、ただ一つ。

これは、あくまでも俺の個人的な意見ではあるが、武蔵野線を知っているが、武蔵野そのものは知らない、という現象は、武蔵野があまりにも広大だからではないだろうか?

武蔵野台地があまりにも広大過ぎたために、人々はどこからどこまでが武蔵野台地に含まれて、どこからどこまでが武蔵野台地に含まれないのか、その判断が出来なくなってしまった。

そして、その判断が出来なくなった結果、武蔵野のことがわからなったため、結果として、武蔵野そのものはピンと来ないが武蔵野線はわかるという、そんな矛盾が生じてしまっているのではないだろうか?

果たして人々は、いや、我々はそれでいいのだろうか?

否。

いいわけがない。

武蔵野線を知っているのに武蔵野そのものを知らずにいていいわけがない。

武蔵野線は知っているが、武蔵野そのものは知らない。

この状況を音楽に例えるなら、よく耳にする曲があるけれど、歌手も曲名も全く知らないというような状況だ。

あなたは、この様な状況で曲の詳細が気にならないのだろうか?

確かに、この様な状況であっても、興味がない曲ならば気にならないかも知れない。

では、興味がある曲であるならばどうだろうか?

きっとあなたは詳細が気になって仕方がないはずだ。

俺は、武蔵野線を利用しているあなた方に言っている。

俺は、武蔵野線に乗り、ショッピングモールに行くあなた方に言っている。

俺は、武蔵野線を利用しているのに、武蔵野を知らないあなた方に言っている。

俺は、武蔵野線を知っているのに、武蔵野を知らないあなた方に言っている。

そして、これは俺自身にも言っていることである。

俺の言いたいことがわかっただろうか?

もしわからないのであれば、わかるまで最初からこの文章を読み返し、繰り返し繰り返し読んでわかって欲しい、とは言わない。

わからないのであれば仕方がない。

だがもし、俺の言いたいことがわかったと言うのであれば、今すぐにでも武蔵野について

調べて欲しい。

幸いなことに、今の時代の日本という国においては、知りたいことがあればネットでも何でも簡単に調べられる時代だ。

ネットでもいい。

図書館なり書店なりで武蔵野に関わる書籍や文面を探すのでもいい。

方法は何でも構わない。

例え、調べたことを直ぐに忘れてしまったとしても構わない。

武蔵野について、一度でもいいから深く掘り下げてみてはいかがだろうか?

もしかしたら、武蔵野にはあなたが強く惹かれる魅力的な何かがあるかも知れない。


では、そろそろこの辺りで失礼する。


















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