エピローグ

 すでに時間は夜中の二時を回っていた。

 このまま舞宝と入れ替わり、もとに戻るため、私はこの家にいる舞宝の姿を強く思い浮かべた。


 頭の奥がクラっと揺れる。

「お母さん」

 私は最後にお母さんを抱きしめた。「これからも舞宝をよろしくね」


 そして、教えられた通りクォンタムさんの角を握りしめた。


「あちらでは、なぜか髪の色が変わって倒れたくらいの認識だから、特に説明はいらないはずだよ」

 王子はなぜか私の頭をひと撫でしてから、自身も角を握りしめる。

「左様。ではご母堂殿、世話をかけた。ローラ殿は大切に扱うのでご心配召されぬよう」

「はい、よろしくお願いします。ローラちゃん、ありがとね」


 少し寂しそうに笑うお母さんに、私はできるだけ明るい笑顔を見せる。

「じゃあ、行ってきます」



 私の言葉を合図に、私たちは不思議な空間に移動していた。

 クォンタムさんたちには道が見えるらしく、迷うことなく歩いていく。


「怖くない?」

 王子の言葉に彼を見ると、今ははっきり目を開けてこちらを見ている見ていることがわかり、少し手が触れていることもあってドギマギして目をそらしてしまう。

「大丈夫です」

 実際、なんの不安も感じないのは、クォンタムさんを信じてるからだろうか? それとも……。


「さっき聞きそびれたんですけど、どうして殿下が一緒に来てくれたんですか?」

「ああ。……えっと、とりあえず、殿下ではなくナイトと呼んでくれるかな?」

「いえ、それはさすがに無理です」

 即答してしまったら、王子は短くため息をついて歩みを止めるので、つられて立ち止まる。すると王子はあいてるほうの手で私の顎を摘まみ、くいっと自分のほうを向かせた。

「ナイト。ほら、言ってみて。むずかしい名前じゃないだろ?」

「えっと、あの」

 王子を呼び捨てとか、刑罰フラグじゃないですか?

「ナイト、おなごに無理強いをするな」

「……わかった」

 王子はクォンタムさんに窘められ、素直に離れてくれホッとする。


「でも求婚は本気だから。忘れたふりとかしないように」

「え?」

 あれは、あの場でお母さんを安心させるために言ってくれたんですよね?


「なんで驚く? 私……いや、俺は嘘や冗談で、女性の母親を前にあんなことは言わないよ。言えるわけがないだろう」

 王子は素に戻ったらしい、少し砕けた口調でそう言う。

 私は王子の射抜くような、真剣な視線を受け止めることができなくて目をそらすけど、視線がずっと感じられてクォンタムさんに助けを求めてしまった。


「ナイト。あまり見続けると、姫が減るぞ」

「っ! 減るわけないだろ? 今まで見るのを我慢してたんだから仕方がないじゃないか」


 そう主張する王子に、クォンタムさんは盛大にため息をついた。

「お前、しつこい男は嫌われるからな」

「なっ!」

 慌ててこちらを見られても、もうどうしていいのか分かりません。

 王子、意外と子供っぽい。


「ローラ殿。ナイトは普段こんな我が儘は言わないよ。今は私たちしかいない空間だから気が抜けているのだろう。しかも今は初恋に舞い上がってるだけだ。少し大目に見てやってくれるかね」

「えっ?」

 思わずはしたない大声を出してしまい、慌ててあいてる手で口元を押さえる。


「どうしてそこで驚くかな。俺、もう一度会いたかったって言わなかったっけ。会えてうれしかったって」

「そんなことを言われたような気もしますが、それって舞姫発見に喜んだという意味では」

「ちがうね。舞姫とローラは別。たまたま同じ女の子だっただけ。そりゃ、君が舞姫なら結婚のハードルがぐっと下がるから、俺ツイてると思ったのは確かだけど」

 きゃああ、また結婚の話が出た。


 トウルでは結婚は男性主体だから、女性の婚姻年齢は曖昧だけど、王子だってまだ十五才じゃないですか。一人前になるのは、まだ十年は先ですよね。

 大体日本なら高一ですよ。結婚どころか、彼氏彼女で放課後デートとかして、キャッキャしてるお年頃です。


「俺、婚約してもそんなに待たせない自信はあるんだ。実力もあるし、努力もするし」


 もう、この方何を言ってるのかわかりません。

 身体の内にある熱が、私のものか舞宝のものかわからなくなる。いえ、これ完全に両方だわ。


「王子なら、周りに綺麗な女性がたくさんいますよね」

 絶対あちこち口説きまわってると思ってそう言うと、王子は心底心外だという風に目を見開いた。


「ローラ殿、あまりいじめてくれるな。ナイトは姉妹以外の女性に触れるのさえ、舞踏会以外ではないのだ。ましてや側に女性がいても如才なく逃げ回ってるのだぞ。自分が恋をしたら、その女性が結婚相手だと思ってる理想主義者ロマンチストだからな」

 笑いを含んだクォンタムさんの言葉に「なんでばらすかな」と、王子の耳が赤くなってうつむいてしまう。


 意外。

 ガイなんて、特定の恋人を持たなくても、いつもそばに女の子を何人もはべらせて見せつけてたから、王子なんてその比じゃないと思い込んでたわ。

 また勝手に思い込んだことを反省する……。


「すみません。……では、ナイト様?」

「ああ、今度からはそう呼んでくれ」

 本当にうれしそうににっこり笑われ、心臓破裂しそうだけど、とてもうれしくなる。

 でも……

「結婚のことも、舞姫のことも、じっくり考えさせていただいてもいいですか」

 無理強いしないって言ってくれましたよね。

「私はまだ半分なんです。この状態で伴侶を決めてはいけないと思うんです。……それに、もしかしたら日本で好きな人ができることも、あるかもしれないですし……」

 一瞬制服姿の男子がちらっと脳裏をかすめ、慌てて打ち消す。

 これはたとえ話だからね、うん。


「舞宝から口説くべきだったのか」

「えっと、いえ、あの……」

「冗談だ。きちんと考えてくれればいいよ。俺は、割と気が長いからね」

 そう微笑まれ、この話はいったん保留になる。

 そのことに安心した私が、質問を思い切りはぐらかされていたことに気づくのは、ずっとずっと後の事だった。


 スーシャ町に入る前に、クォンタムさんから、自分が言葉を話すのはナイト様と私の前だから気を付けるように注意を受けた。

 そしてナイト様からは、目が覚めたらまず騎士団が話に行くだろうことも告げられる。

 表向きには私たちが日本にいたことは、まわりには全く気付かれていないとのことだった。もう不思議を不思議と思うことはあきらめたほうがいいかもしれない。


 ◆◇◆◇◆


 スーシャに戻り、私はつかの間舞宝と記憶を共有した。

 私と入れ替わりうちに戻った舞宝は、顔が真っ赤だったのでお母さんに「また熱が!」と心配されたけど、幸い熱はすっかり下がってた。たぶん王子のせいだと、不思議な道であった事を話すと、お母さんは楽しそうに笑っていた。

 娘と恋バナをするのが夢だったと、照れ臭そうに笑うお母さんが可愛い。

 でもまだ恋とかじゃないって否定しておいたけど、「はいはい、明日は学校行くんでしょ? もう遅いわよ」と、さっさと寝室に追いやられてしまった。

 ちょっと拗ねちゃうけど、それでもお母さんがちゃんと舞宝を見てくれたことに幸せを感じて、眠りについたのだ。


 ◆◇◆◇◆


「ローラ!」

 目が覚めると一番にお父さんの顔が見えた。

 ケイシィやジンまでそばにいる。せっかくの結婚初日に悪いことをしてしまった。

「大丈夫か?」

 後ろのほうから、遠慮がちにガイが顔をのぞかせる。

 髪を見てみると金色だったので、間違いなくローラだと安心し、ガイに「大丈夫」と答えた。


 目が覚めたローラは、騎士団に会えるかと打診された。待たせているのも申し訳ないのでさっさと終わらせようと、騎士団四人と一角獣の待つ広場にこちらから向かうことにする。

 そこにいた王子は、ついさっきまで一緒にいたとは思えないほど遠い存在に見えて、少し寂しいと思ってしまい、そんな自分の気持ちにちょっと驚いた。


 広場には事の成り行きを見守るためか、こんなに夜遅くなのにたくさんの人が集まっている。すっごく期待されているのを感じて、けっこう重い。

 強い風が吹くなか、私の予想に反し、ルビー王女がカツカツと私の前まで歩いてくる。人々のざわめきが一瞬にして消え、その静寂の中、強い風にバサバサと王女のマントがはためく音だけが、やたらと大きく聞こえた。

 すらりと抜き放った剣のように、凛として美しい王女はおもむろに私の前に跪き、甘やかにきらめく瞳で私を見上げた。

 そして、深く柔らかい声で

「姫」

 と、私を呼んだのだ。


 その声は、耳障りな風の音の中でも、まっすぐ射抜くように私の心まで届いた。

「私たちはあなたのことを長い間待っていました。一緒に城まで来てくれますか」


 私はこくんと息をのむと、風の音より耳障りになった自分の心臓の音を無視する。

 そして私は、王女の目をまっすぐにのぞき込み、返事をするため口を開いた……。


 ◆◇◆◇◆


 ――――あの夜から三か月。


「どうしてガイがここにいるのかしら?」


 白の騎士の訓練場に入った私の前に、騎士訓練生としてガイが立っていて心臓が止まりそうなほどビックリする。

「お前を一人、王都になんかやれるわけないだろ?」

 のんびり意地悪そうにそう言われ、保護者か! と内心突っ込んでしまう。


「大体お前、城へ呼んだのが王子やほかの騎士だったら絶対断っただろう」

「うっ」


 そうなのだ。話をするのは王子やほかの騎士だと思っていたのに、私の前に来たのはルビー王女だった。

 その静かに燃える炎のような赤い髪をなびかせ、鮮やかに冴えた美貌の王女に見つめられた私は、思わず「是」と答えてしまったんだけど、こいつはそれを責めているのである。


「だって、きれいなお姉さんの頼みを断れるわけないじゃない」

「お前なぁ。ほんと、女に弱すぎるだろ。そのうち絶対痛い目見るぞ」

 はいはい、おっしゃる通りですよ。

「だって、準備期間二か月くれるっておっしゃってたし、あそこまで譲歩してくれたなら、断るのも申し訳ないじゃない」


 すぐには無理だろうと、王女は王都に来るまで二か月余の時間をくれた。

 護衛に、一緒に来た二人の騎士をつけると言われたのはさすがに断ったけど。


 その後お父さんにはこっそり泣かれ、心配したケイシィがお父さんに一緒に住もうかと持ち掛けている。

 また、いつのまにかガイは保安隊の訓練に出掛けたと聞いたのに、なぜここにいるかな?

「俺が優秀だから引き抜かれたんだよ」

「そうなんだ、すごいね」

「……」


 実際、その後のガイを見ていると、庶民とは思えないほど魔力の扱いに長けていてびっくりした。これは田舎にはもったいないと思われても仕方がないわね。

 それに、天性のなにかなのか、王都でも相変わらずお姉様方には人気で、かといってお兄様方に敵を作るどころか可愛がられているガイは、どこに行っても生きていけるタイプだと感心する。

 気心知れた相手が近くにいるのは確かに心強いので、ま、ありがたいと言えばありがたいかな。


 ただ、舞姫としての私を、王都の人たちがもう一つの月と称してと呼ぶのだけは、本当に恥ずかしいのでやめていただきたいんだけど……。

「ピッタリではないか」

 とルビー王女に言われ、それ以上文句が言えなくなる。

 でもでも、町の人に聞かれたら絶対笑われると思うわ!



 これから始まる新しい生活は、まったく想像もつかない未来だ。

 それでも、ゆっくり舞宝と乗り越えていく決意をしている。

 大人になるまでには、まだ時間はあるからね。


「よし、頑張ろう」


      Fin

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いずれ続きをと考えてますが、ひとまず物語はここで終了です。

次回はおまけとして閑話を入れます。舞宝の妹・美緒視点のSSです。

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