第9話 一角獣クォンタムの話(2)

 クォンタムさんによると、今日のイザーナの怒りだと思われた現象は「扉の振動」だったという。


「扉、ですか?」

「もしくは壁だな」

 そこから始まるクォンタムさんの話は、神話のようだった。



 トウル国の女神イザーナは、扉の鍵、もしくは番人でもある。

 命の母でもあるイザーナは、子である国と民を守るため、異界との過剰な干渉がないように壁を作り国を守っているのだそうだ。

 だが、イザーナの夫であるザキが時折その扉をこじ開けようとする。

 夫は妻に会いたいのだが、浮気性でもあるザキはあちこちの女神や人間と交わるので、イザーナは夫に顔を見せなくなったのだという。

 顔を合わせはしないが、やはり夫がほかの女と交われば――


「怒りますよね」

 お母さんがボソッと呟いた。

 それが噴火なんだなと、ちょっと納得。いままでイザーナの怒りは、単純に女神の癇癪だと思われていたけど、それではあまりに理不尽でかわいそうな話だわ。


「ザキはなぜか、ほかの女との間に設けた子供を妻に見せたがるのでな」

「「最悪ですね」」

 お母さんとハモった。


 というか、まさかとは思うけど、ザキ神は人間に混ざってふらふらしてるという事かしら。

 え? それってまさか、近所のおじさんだと思ってたら神様でした、なんてことがあったりするの?

 ローラの姿でなんですが、それでも中身日本人の感覚だと、とてもじゃないけど受け入れられません。


「そのザキの子供の一人に、グツノという息子がいる。普段は地の底で半分ねむりながら過ごしているのだが、今日は父親の要請を受け、イザーナに向かって光の矢を放ったようだ。この程度ではイザーナを傷つけることなどはできないが、壁を傷つければ、イザーナにも隙ができると踏んだのだのだろう。そこをザキがこじ開けようとしたのだ」


 事実白の騎士団がたどり着いたときには、イザーナの山の上には亀裂のようなものが入っていたという。

 だが舞姫の加護を受けたことで、グツノの矢を消し去るのは容易く、亀裂の応急処置もすぐにできたのだそうだ。



 それは、子どものころ聞いたトウルの神話とはずいぶん違う話だった。

 神様の話は、もっとざっくりとしていたからだ。子供向け、というか、庶民向けだったのかと不思議な感じがする。

 そして、私が今まで地球と同じような普通の天災だと思っていたものが、実はそうとも言えないものだったことにも驚いてしまう。それは私の日本感覚のせいだったみたいで、引きずられているつもりはなかったのにずいぶんと片寄ってたみたい。これは少し反省だけど、庶民が知らないのはなぜかしら。


 ふと、なんでこんなことを教えてくれるのだろう? と疑問がかすめた。知らなくていいことは多いから情報が開示されていないことには気づいていたから。けど、教えてくれるなら知りたかったので、疑問は無視することにする。ここで話をやめられたらモヤモヤして、きっと眠れないもの。



「私たち白の騎士団は王都へ戻ると、すぐに王のもとへ報告に向かったんだ。そこで、私達が得た思いがけない加護の力を王へ報告したんだよ。そして、聖獣クォンタムの目を使って、姉のルビー王女たちと共に加護の力の軌跡をたどり、スーシャ町にたどり着いたんだ。私が伝令に降りた町だからね。あのときは気づかなかったことが少し悔しかったよ。約二百年ぶりに現れた聖なる舞姫に気づけなかったんだから」

 そう言いながらも、王子は少し楽しげな感じがする。


 ――でもそれは、たまたま結婚式で皆が舞ったからだわ。


 そう訴えたかったけど、王子にこんな反論をするのはさすがに不敬にあたると困るので、グッと我慢する。

 あの闇のなか、ガイの歌で舞ったのをきっかけに、皆で踊った。皆の心が一つに穏やかになったのを感じだった瞬間だった。


「たしかに、町の人々の祈りの力も大きかった。ナイトの言ってた通り、あの土地は清涼で素晴らしい力に満ちていた」

 私の心を読んだようにクォンタムさんがそう言った。


「だが、騎士たちが町の広場で舞姫を探していた時、再び異変が起こった。閉じたはずの亀裂が一瞬大きくなったのだ」


「ローラ姫……ローラ殿」

 クォンタムさんの呼びかけに、姫じゃないとプルプル首を振ると殿に代えてくれたので、ちょっとだけホッとする。


「ローラ殿は、あの時何を考えていたのか教えてくれるかな」

「……あの……私の髪が黒かったらって思ってました」

 クォンタムさんと王子が、先を促すように少し首をかしげる。

「私は、姉のケイシィが舞姫だと思っていたんです。でも姉は、今日結婚したばかりなので連れていかれると困ってしまうから、せめて私が黒髪だったら身代わりになれるのではないかと……」

「聖なる舞姫は、人身御供ではないのだが」

 クォンタムさんに、呆れをにじませてそういわれ、恥ずかしくなってうつむく。

 子どものころから、思い込みで突っ走る癖をよくお父さんに叱られるのに、なかなか直せないのよね。だめだな。


「舞姫は、どうやって見分けるのですか?」

 物語を聞いていた感覚なのか、お母さんは私が一番聞きたかったことをサラリと尋ねた。


「クォンタムの力を借りると、私たちには舞姫が紗(うすぎぬ)を纏ったように光に包まれて見えるんだよ」

 王子がそう言った。

「ローラ……。あのとき、君の髪は黒い髪だったけど、昼間目が合った女の子だってすぐにわかった。私の個人的希望だけど、もう一度会いたいと思ってたからうれしかったよ」

 王子に嬉しそうにそう言われ、もうどうしていいかわかりません。

「君が舞姫だと分かって嬉しい」

「違います!」

 ふわふわとシャボン玉のようにキラキラ舞い上がっていた心が、ぱちんとはじけ冷たくなる。

「私が舞姫の訳がありません」

 そんなはずがない。

 たしかに自分が普通じゃない自覚はある。それでも、これ以上の不思議なことなんて、受け入れることはできない。


「聖なる舞姫は歴史の中に現れるものだわ。つややかな美しい黒髪の可憐な乙女でしょう。見た人が、その輝きにひれ伏すほどの美しい容姿で、美しい舞を舞い、その舞で神の加護を受け、それを大切な人に届ける存在だもの。私のわけがないです!」


 怖い、と思った。伝説じみた存在が自分だなんて言われても、受け入れられない。


「ローラちゃ……、いえ、舞宝……」

 重すぎる圧に取り乱す私を、お母さんが抱きしめる。


「私は、君を美しいと思うが……」

 王子の言葉に、私はお母さんの服をぎゅっと握りしめる。

 嬉しかった言葉が、今は怖い言葉に聞こえてきたから。

「殿下は、今私の姿なんて見えてないじゃないですか」

「ん、今はまあ、そうだけど。ちゃんと見えていたよ。さっき母上の前で舞っていただろう? 私たちはそれを目指して来たんだから」

 そしてボソッと呟くように、君の姿は脳裏に焼き付いてるんだ、という言葉に私は耳をふさぐ。


「この子は私が預かって育てている娘です。それが何か関係しているのですか」

 お母さんが、硬い声でそう言うとクォンタムさんが「左様」と頷いた。


「舞姫は突如現れるが、ローラ殿はその中でも稀有な存在だ。舞姫であると同時に、セレの子供でもあるのだから」

「セレ?」

「エイゴウには、千二百年に一度、セレの子供たちが誕生する。セレは月の神。引き寄せの力をもつ女神だ」

 お母さんはそこで何か合点がいったようで、小さく「ああ」と呟いた。

「セレの子供はか弱き人に生まれると、その力の強さから人の体では形を保つことが困難で、幼いころに命を落とすことが多い。だが運が悪ければ異形となりはて、醜い凶暴な化け物となりエイゴウを彷徨う」


 化け物……。彷徨う……。

 どちらもなんて恐ろしい。

 お母さんが私を助けてくれなかったら、私はそうなる可能性があったんだ。


「エイゴウとはなんですか?」

「……この国の言葉で言えば、宇宙だろうか。――世界は紗を重ねたようなものだ。一つではなく無限に織り合ってできている。トウルも日本、いやこの地球もその一つにしかすぎぬ存在だ」

 やっぱり異世界ってこと、だよね。

「ローラと舞宝は、その強大な力を持つ子供なんですね?」

「そうだ」

 お母さんは何かを考えるように黙ったので、私は顔を上げてクォンタムさんを見る。


「私たちが入れ替わったのはなぜですか? 舞宝はスーシャ町にいるんですよね」

「そうだ。君の力が、偶然この世界の君を呼び寄せてしまった。だが君の体はまだ未熟だ。一つになることができずにはじかれ、入れ替わってしまったのだろう。舞宝殿は今高熱を出して意識がない。かと言って連れてくることはできない。それには手順がいるからだ」


 舞宝はきっと、私の目を通してこの話を聞いている。

 唐突に、自分の中の舞宝を感じた。頭の奥に、ボーッと重い熱を感じる。それは初めての感覚だった。

 舞宝は、私がはじかれた後、そのまま意識を失った。そのまま昏々と眠り続けて、こちらの出来事を静かに見ている。


「まあ、こういっては何だが、逆のままでも問題はないのだがね」

 突然、クォンタムさんに軽い調子で言われ、目をぱちくりとする。

 がんじがらめに体を縛ってた鉄の茨が、ぱちんとほどけたような、悪夢から揺り起こされたような気がした。

「問題、ないのですか?」

「左様。ローラ殿はまだ成熟しきってはいない。魂を一つにするのは危険だ。ならどちらの魂がどちらにあっても、離れていれば問題はないわけだ。ローラ殿が稀有な存在と言ったのには、ほかにも理由があるのだよ。普通、二つに分けた魂は、お互いの存在を感知しないのだ」

「え?」


「幼いころから両方の世界を共有するセレの子など、少なくともこの数万年の間、聞いたことがない。成熟直前にはじめて共有し始め、融合するものなのだ」

「それは、怖いですね……」

 異なる世界のもう一人の自分を知らずにいて、大人になったら突然一つになりますよってことでしょう? それは想像するだけで怖いと思う。

「それでも通例はそうなのだよ」


 なぜ私は、どちらの世界も見聞きすることができるのだろう。どちらも自分だと、どちらも自分の人生だと実感することができるのだろう。


「それは、研究の余地があるかもしれないな」

 パサッと尻尾を振って、クォンタムさんが楽しげに言った。


「さて、舞姫よ。大人になるまでの時間をどちらで過ごしたい?」

 改めて選択させてくれることに驚き、考え込む。

 トウルでは覚えていなかった様々なことを、ここで改めて学んでみたい気もするから。

「いや、残念ながら、そうもいかないぞ」

 また読まれたらしい。

「エイゴウには理(ことわり)がある。均衡を崩すようなものははじかれるものだ。でなければ、魂を分けた意味もないのだよ」

 諭すような言い方に、なぜか王子も神妙な顔をして聞いていた。


「舞宝とローラが、大人になる目安は何かあるのでしょうか」

 何か考えていたらしいお母さんがそう言った。

「できれば、こちらで高校くらいは出してやりたいと思います。それに成人式を迎えさせたい。この国では成人は二十歳なんですよ。叶うなら嫁がせる日まで手元に置きたいですが」

「この国の母御は、皆そう言うな」

 ん?

「もしかして、この子以外にもセレの子供がいるのでしょうか」

「歴史の中ではそうなるだろう」

 なんだか曖昧な言い方をされたような気がする。


 そこで王子が、

「ローラ姫の母上殿。嫁ぎ先なら、私のところでどうだろう?」

 と言ってきた。

「これは冗談や、ローラ、君が舞姫だってことで言っているわけではないよ。私は第三王子だし、兄も姉も二人ずついる。かなり自由の利く身なんだ」

 本当にまじめに、どちらかと言えば切羽詰まってるようにそう訴えられ、困ってお母さんと顔を見合わせる。

 あまりに突然だし、私はこういうことには慣れてないのだ。


 お母さんは私の目を見て、王子に向き直った。

「舞宝とローラはまだ子供です。結婚よりも先に見たい夢もあるでしょう。お話はとてもありがたいことですが、返事は先でも構わないでしょうか」

 無礼とか関係ない! そんな強い意志を感じさせる言葉に、クォンタムさんは笑い出し、王子はふわっと笑顔になった。

「心の隅に置いてくれるだけでも構いませんよ、今はね」

 その言葉にホッとする。時間がたてば、きっとこんなこと忘れてくれるわ。


「成人は、ローラ殿の力の大きさから考えて、おそらくあと二~三年は先だろう。場合によっては、その成人式とやらの参加も叶うかもしれん」

「「本当ですか!」」

 クォンタムさんの言葉にお母さんとまたハモった。

「私には約束はできん。予言者ではないんでね。それはローラ殿たちの身が自然になすことだ。それは誰にも分らぬこと」

 

 ……そうよね。人の成熟なんて目に見えるものではないものね。

 それでも、舞宝はここで高校時代を過ごすことができる! そう思うと、それはすごく楽しみだ。

 そして、私は舞宝として日本で過ごしたいなと思った。私の中の舞宝も頷いている。

 ローラとしては、やっぱりスーシャ町に帰りたいけど……。


「ローラがあちらへ帰ったら、王都に行かなくてはいけないのですか?」

 断れることではないと思いながらも、少し考えたいと、時間がほしいと思いつつそう言ってみる。

「無理強いはしないよ。君の気持ちを大切にする。だから考えてくれるかい」

 王子が噛みしめるよう、誠実な声でそう言ってくれたので、

「はい」

 私は、素直にそう返事をすることができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る