第7話 離れてわかることもあるよね
お母さんが子供みたいに泣くから、私も泣きたくなってしまう。
でも、誰も見てないからいいや、我慢はやめようと思って、二人でわんわん泣いてしまった。
よくわからないけど、何かを吐き出すように泣いて泣いて泣きまくった。
どれくらいそうしていただろう。泣きながら、お母さんは私の帽子をとって、頭をなでてくれた。妹の美緒が生まれる前みたいで、私は幼稚園児に戻ったような気持ちになった。だからかな。抱っこが当たり前だった小さな子供のころみたいに、ずっと甘えて泣き続けてしまった。
「のどが渇いたわね?」
散々泣いてグスグス言い出したころ、お母さんが微笑みながらそう言って立ち上がった。
そして、自動販売機でお茶を買って渡してくれる。私はそれをごくごく飲んで、やっと落ち着きを取り戻した。
「お母さん、ローラのことがわかるの?」
思い切ってそう聞いてみると、お母さんは私をじっと見て、少し悲しそうに笑った。
「小さいころ教えてくれたでしょう? 舞宝の夢の中ではお空に月が二つあって、自分はローラって女の子なんだって」
そう言ってお母さんは持っていた大きなトートバッグをごそごそすると、何か紙の束を取り出した。
「これ……」
それは、舞宝が幼稚園の頃書いた落書き帳だった。とっといてくれてたなんて思わなかった。
ペラペラとめくると、その中にクレヨンで描かれた、黒い髪の女の子と黄色い髪の女の子。それからピンク色と水色の二つの月がある絵が何枚かあった。
『こっちがお姉ちゃんのケーシーちゃんでね、こっちがローラちゃん。まほね、お月様が二つあるところだとね、ローラちゃんなの』
突然自分の言った言葉が甦る。そして、その時のお母さんの顔が、怖い顔ではなく、とても悲しそうだったことを確信する。小さな舞宝には怖く見えた。でも今のローラには、悲しそう見えたことに、目の前が開けるような不思議な気持ちがする。
舞宝のままだったら、きっと気付かなかった。もしかしたら舞宝もあっちで、ローラが見えなかったことに気づくのかしら?
「お母さんは、舞宝が嫌いなわけではないのね?」
思い切ってそう聞くと
「嫌いなわけないでしょ!」
と怒られる。
私、もうここで死んでもいいくらい幸せだわ。
「どうして、舞宝にはいつも冷たかったの?」
怖いものが無くなった私は、お母さんをじっと見て思い切って聞いてみた。どんな答えでも、今なら受け止められるって思ったから。
お母さんはしばらく考えをまとめるように視線をさまよわせた後、一つ頷いて昔話を始めた。
◆◇◆◇◆
「お母さんが結婚したのは二十六才の時だったわ。お父さんとは婚約はしていたけど、子どもができたので入籍を早めたの」
その言葉に私は首をかしげる。舞宝が生まれたのはお母さんが三十五才の時だし、美緒以外の兄弟がいたなんて聞いたことがないもの。
「でもね、結婚してすぐ赤ちゃんはダメになってしまったの」
お母さんは、子供がお腹の中で育ちにくかったらしい。
そのあとも何度も子供ができては流れるの繰り返しで、三十才を過ぎてからは不妊治療をしても成果が出ず、
「たぶん、少しおかしくなっていたんだと思う」
そう言って、泣きそうな顔でお母さんが笑った。
この世に生まれなかった兄弟が何人もいたことに、自分でも驚くほど動揺する。でも当時のお母さんのことを思うと、それ以上にいたたまれない気持ちになる。
スーシャ町では、子どもを亡くしたお母さんは多い。その姿とお母さんが重なるのだ。
そんなある日、体外受精で授かった命がまたダメになった。なんでお母さんになれないのと、病院の小さなベッドで泣きながら、いつのまにか眠ってしまったんだそうだ。
「気が付いたら、変なところにいたのよ」
「変なところ?」
それは、何もない空間だった。
誰もいないし、何もない。暗くもないけど、明るいというわけでもない。
でも誰かがいるのがわかるし、その誰かはお母さんに何かを訴えていた。
「言葉はわからないのに、理解ができたわ。その人は、赤ちゃんを抱いていた。お願いだから、大人になるまで預かって育ててくれって必死に頼んでた」
何か理由も言っていたけど、その時はよく理解できなかった。
でも赤ちゃんを育てろという言葉に、お母さんは飛びついたんだそうだ。
「大人になるまでって条件だった。そしたら子供はこの世から元の世界に帰って、私も、この世界の誰もが、子どもの事は忘れてしまい、何もなかったことになるから安心してくれって言われた」
「……」
「つまり、つかの間の夢を見ているものだと、お母さんは理解したの。それでも、私はその誰かが抱いている赤ちゃんがほしかった。抱いてる人は見えないのに、赤ちゃんだけははっきり見えた。一目ぼれとでもいうのかしらね。絶対この子を育てたいって思ったのよ」
「それが、舞宝?」
おずおずと尋ねると、お母さんは本当にうれしそうににっこりと笑った。
「この手に子どもを抱けるなんて夢みたいだった。いつのまにか母子手帳にも私が産んだことになってて、ちゃんと出生届も出したのよ。だから、あのことは夢だったんだと思ったの」
宝物を授かった。舞い踊るほどうれしいと、お父さんと手を取りながら、本当に踊ったんだそうだ。
「だから、舞宝、なの」
お母さんの言葉に、またポロポロっと涙がこぼれる。
「思いがけず美緒も授かって、本当に幸せだった。でも……」
お絵かきを覚えた舞宝は、ローラの世界のことを話したり絵にかいたりして見せる。最初は夢物語かアニメの話かな、とニコニコして聞いてたお母さんは、ふと怖くなったんだそうだ。
理解できなかった、あの誰かの言葉を思い出したから。
『この子の力は強すぎる。千二百年に一度生まれる〇〇の子供たちです。このような魂は一つの体に入れておくと、体が耐え切れなくてすぐに死んでしまいます。魂を分けてできるだけ遠ざけておくしか、この子が大人になれる方法がないのです。お願い……』
あの時は何を言ってるのかわからなかったのに、あの誰かが必死に頼んでたのは、違う世界へ魂を分割するという意味ではなかったのかと、突然ストンと理解した。
そうすると、ローラちゃんの話は舞宝の半身? もう一人の舞宝? あれは夢ではなかったの? この子は大人になったらいなくなってしまう子なの?
そう思うと、子どもを失い続けた恐怖が甦り、いずれ消える舞宝の事を思うと怖くてまともに接することができなくなった。愛して、失うことが怖かった。
「ねえ、ローラちゃん。ローラちゃんのお母さんは元気なの?」
ふと思いついたように尋ねられ、私は首を振る。
「ローラのお母さんは、ローラを産んですぐに亡くなったの。その時私も死にかけたらしいんだけど、お母さんが助けてくれたって、お産婆さんが教えてくれたわ」
それを聞くとお母さんは黙って目を伏せ、何か祈りのような言葉をつぶやいた。
「あれは、あの誰かは、あなたのお母さんだったのかもしれないわね」
舞宝の高熱がひどくなり始めたのは、舞宝に初潮が来てからだという。覚えてはいなかったけど、突然舞宝とローラのつながりが強くなったのはそのころだったことを思いだした。
お母さんは、あの誰かが言っていた“大人”の定義がわからないことにその時気が付いた。日本で成人は二十歳だけど、地球にだって国によってはそうではないところもある。
十五才? 十八才? それとも初潮が来たことは、大人になったって証拠なの? いったいいつまでが、この子の「子供」時代なの?
高熱が続く舞宝に、毎回このまま消えてしまうのではないかと怖かったのだと、お母さんは言った。目の前で舞宝が消えたら、とても耐えられないと。
でも今日初めてローラの姿を見て、出て行く背中を呆然と見送った後、愛することにおびえたまま、愛していると伝えないまま舞宝を失うほうが嫌だと痛烈に思い、とっさに食器棚の上に仕舞っていた箱から舞宝のお絵かき帳をつかんでバッグに入れると、車であちこち探してくれたんだそうだ。
そして私は、舞宝は高熱の間、ローラのことが夢うつつでも、かなりはっきり見えていたことに気づく。
「じゃあ、今日の出来事も、舞宝には見えてたんだ」
同時進行では見られないと思ってたのはローラだけ。
「今日、何があったの?」
そして、尋ねられるままに、私はローラの世界の事をお母さんに話した。家族のこと、魔法のこと。ケイシィのドレスを縫ったことや結婚式の話に、お母さんは少女のように目をキラキラさせた。
もしかしたら、ケイシィは、自分が失った子供のうちの一人かもしれない。それは、絶対にありえないことではないわよね? と。
その娘が幸せに嫁いでいくことがうれしいと、本当に本当に、嬉しそうにお母さんが笑うので、ケイシィにもこのことを教えてあげたいなって思った。
「ねえ。ローラちゃんの舞を、お母さん見てみたいな」
そう言ってくれるから、
「もちろん、喜んで」
私はベンチ前の空き地に進んで、お母さんに一礼し、月の光を浴びながら舞を舞った。
それは、女の子が嫁ぐ日に、母親に見せる感謝の舞と、未来永劫の平和と幸福を願う舞を合わせた即興の舞。
母親に見せる舞は、ローラには叶わないはずの舞だった。お父さんは再婚はしないって宣言していたから、私がこれを踊る日なんて来ないのにって、習ったときには思ってた。
今は、ずっと私を失うことに怯えていたお母さんを慰めたい。ちゃんと愛されてたことがうれしい。だから感謝をこめて、身体の内に入れた金色の月の魔力も使って、精一杯舞った。
私とお母さんの周りに、祝福の金色の光の粒がキラキラと舞って、とても綺麗だ。
最後にもう一度一礼すると、お母さんはいっぱい拍手をしてくれた。幼稚園のお遊戯会の時もそうだったなって、忘れていた光景に涙が出る。
◆◇◆◇◆
「どうすれば舞宝に戻るかわからないの」
再びベンチに座って並び、お茶を飲みながら私はお母さんに打ち明けた。
「外見が少し違うだけで記憶が同じなら、学校でも困らないのよね? でも、いきなり金髪パーマに青い目じゃ、お母さん学校に呼び出されちゃうかしら」
まじめな顔でお母さんが言うから笑ってしまう。でも、それも楽しいかもしれない。
そろそろ帰ろうかと立ち上がった時、ふわんと覚えのある風が吹く。
あわててふりかえると、さっき私が踊っていたあたりにやわらかな光の輪が現れた。そして、それは徐々に大きくなると、その中から一角獣と鎧姿の騎士が現れたのだ!
お母さんがびくっとして、私の手を握る。
「王子?」
それは、なぜか目をつぶったまま一角獣の角を握って立つ、ナイト王子殿下だった。
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