第15話

 放課後はすぐにやってきた。

 帰りのホームルームは普段より大分ざわつき、皆口々に『委員会』のワードを挟んで会話している。

 部活の先輩曰くどこの委員が楽だの、誰々先輩があの委員に入っているから自分も入りたいだの、噂と願望の入り混じった話で盛り上がっていた。


「皆さん、静かにしてください」


 聞こえてくるのは、雀のような学級委員男子のか細い一声。まぁ、そんな言葉だけで盛り上がった空気を壊すことなど、できる訳もないが。

 そんな彼に同情するも、彼の名前すら知らない俺にできることなど何一つとしてない。

 しかし、そうだな。学級委員であるなら、今後関わることを見越してあだ名くらい付けておいてあげるのも悪くないな。

 とりあえず、雀君というのはどうだろうか。口にするときには忘れているだろうけどさ。


「はい、お前ら静かにしろよ。ホームルーム始めるぞ。委員長挨拶お願いな」


 担任が教室に入ってきたのを契機に、クラスメイトたちは話を続けながらも自席へ戻り、次第に会話が中断されていった。

 明らかに雑音の小さくなった教室の角席で、ホッとする委員長。彼が起立と礼を言動の両方で行うと、クラスの皆が続けて「お願いします」の常套句を口にしながら頭を下げた。

 

「はい、じゃあ、いつも通りプリントを配るが、今日は委員決めもあるから手短にいくぞ――」


 帰りのホームルームでやることなど特にない。大体の人間はスマホを机の下で弄り始めて、担任の話を聞くフリをして終わる。ガヤガヤするよりかはいいとでも言いたげに、静かになる代わりにスマホが熱を持つのだ。少しくらい話している連中もいるが。

 筋肉質で短い癖のある茶髪の、足を組みながら細い目をさらに細くさせた男子が、同じく茶髪の女子と談笑している。そこへ話題を膨らませに交ざろうとするのが、おそらく野球部であろう坊主の男子。他にも、女子が二人程笑って場を作ってはいるが、比較的顔が整っているくらいの印象しか抱かない。

 このクラスで過ごすようになった当初は、よくあるいじめっ子ポジションなのかと彼らに注意していたが、どうも彼らはそういった『他人を蹴落とす』盛り上がり方はしないようだった。

 別に明確なクラス内カーストがある訳でもない。が、彼らがクラスで発言力のあるグループであることは、クラス分けされて二か月弱しか経っていない今の時点で、もう既に認識されつつあった。


「(俺としては、彼らがこのクラスでどれ程地位があるだとか、そんなことどうだっていいけどさ)」


 実害が出なけりゃいい。本当に、それに尽きる。

 実際、大して話したことすらない彼らと俺とで、何か関わることすら考え付かなかった。

 そんな無益な思考で時間の浪費を精一杯楽しんでいると、担任の言葉ばかり響く教室の空気が五分程経過して。

 

「――と、話すことはこれくらいだな。質問はあるか?質問がなければ、早速委員決めに……」


 やっと終止符の合図がかかった。

 大抵、話の後に質問の有無を問うが、基本的に質問なんぞする生徒は現れない。担任の話を聞いている奴が少数だからである。

 ほぼほぼの奴らが話を聞いている連中から又聞きして、担任の話を聞いた気になって終わるのだ。

 だが、俺の視界にスッと綺麗に上がる細い手が映った。

 紛れもなく、斎藤の手だった。


「その委員決めは立候補式ですよね?それは構わないんですが、去年は奉仕委員だけ最後まで決まらなかったので、最初に決めませんか?」

「あ、あぁ、そうだな。例年、奉仕委員はみんなやりたがらないからなぁ。最初に決めた方が良いだろうな。ありがとう、咲菜」

「いえ、早く終わらせたかっただけです」


 その一部始終を見ていた俺は、唖然とした。斎藤がクラスで発言することなど想像だにしない。周りの目を比較的気にしない彼女の性格からすれば、彼女の行動におかしな点はないが、多人数の前で発言することは考えにくかった。

 だが、俺は知っている。斎藤の予想外な行動は自主的のようで、主体的ではないことを。

 これを仕込んだであろう女子を見遣る。どうせ俺にとってロクなことではないだろうと、渋面になることはもはや仕方がなかった。


 ――が。


 斎藤の真後ろの席である『はるか』ちゃんの顔は、口が僅かに開き瞬きをせず、何かを言いかけて時が止まってしまったような、つまるところ、先程の俺同様に唖然としたものだった。


「(もしや、斎藤の意思で発言したのか?)」


 どうにも信じられない事実だが、『はるか』ちゃんの反応からして、どうやらそういうことらしい。俺は『はるか』ちゃんの唖然顔が演技でないか疑いつつ、斎藤の真意を思量する。

 とはいえ、その結論など簡単に出るのだが。斎藤のことだ。『はるか』ちゃん絡みでなければ、部活のことに決まっている。

 そんな思考で頭を埋め尽くしている俺だが、きちんと担任の話は耳に入れていた。


「ということだが、どうだ。異論のある奴はいるか?」


 担任の一言に返す生徒は当然おらず。何の話かを探るように、周囲をキョロキョロしている奴らばかりだった。

 担任もそれを理解してか、特に生徒の反応を伺う様子はなかった。彼に代わり、学級委員の男子が教壇に立つ。


「じゃあ、まず男女それぞれで立候補を募りたいと思うんだけど……やりたい人っているかな」


 話題が示されながらも、ざわつき始めることのない教室。

 その静けさを加速させるように、冷ややかな視線がクラス中を飛び交っていた。

 人を蹴落とす時に似た雰囲気。是が非でも、自分が犠牲になることのないように、先程までスマホに集中していた視線は空気中に散乱していた。


「えぇっと……、…………………。やりたい人はいないみたいだから、誰か適任そうな人を推薦で――」

「大丈夫だよ、委員長」


 戸惑いながらも、流れを作ろうとする学級委員の彼を言い止める声は、斎藤の一つ後ろの席から聞こえてきた。

 何かを企んでいそうな含みのある女子高生の声。そして、思い起こされる昼間の出来事とメッセージアプリの脅迫内容。

 『俺が奉仕委員志望だと、俺と彼女のどちらが発言するべきか考えろ』などという訳の分からないメッセージは、簡単に行ってしまえば、俺のクラスポジションの話だ。

 もし、『はるか』ちゃんの口から俺を推薦する文句が出てみれば、俺と彼女の間で何かしら関係があることをクラスメイトらに感付かれる。

 性格がどうであれ、校内において彼女の知名度が物凄いのは確固たる事実。そんな彼女と関りを持っていれば、それが気に食わない連中は当然出てくる。

 クラスでひっそりとしていたい俺としては、それは害悪にしかなり得ない。

 だからこそ、俺には彼女に逆らうことがデメリットでしかないのだ。


 ——だが。俺は、奉仕委員なんていう真面目集団の仲間入りする気など毛頭ないし、そもそも『俺の奉仕委員志望』自体、完全なる捏造である。

 しかし、そんな俺の心情など気にも留めない彼女を、止めることはできる訳もなかった。


「女子枠は私で構いません」


 予告通りの『はるか』ちゃんの奉仕委員立候補。

 皆の注目を浴びる中、気にせず彼女は二の句を継ぐ。

 

「男子からもきっと候補者がいますよ」


 まるで『私と一緒の委員会に入りたい男子がいるから』とでも、前振りしていそうなセリフ。

 彼女の言いたいことはその意味合いではないのだが、たぶん俺と春人以外の生徒はきちんと理解してやいないだろう。

 と、案の定、こんな声が聞こえてきた。


「裕太がやったらいいんじゃね?結構、適任っしょ」

「太田もそう思う?俺もさ、奉仕似合うんじゃねぇかなって思ってたとこなんだわ」


 示し合わせたような男子のやり取り。やはり、こんな間抜けなことを言い出すバカな男子が出没したか。

 見れば、立候補者は例の茶髪君だった。それを後押しする様に会話を繋げているのが坊主君。

 そもそも奉仕が似合う人間ってどんな奴だ、とツッコミたいところではあるが、それ以上に俺は彼らを激励したい。俺の代わりによくやった、と。

 まぁ、そんなことをせずとも、彼らの勢いは止まらないのだが。


「どうする?やっちゃう?」

「他に誰もいないんだし、これはもう立候補するしかねぇっしょ!」


 何を根拠に立候補するしかないのか疑問を呈したいところだが、俺にとっては好都合でしかない彼らの勢いを邪魔する道理はない。

 周囲も案外あっさりと奉仕委員決めが終わりそうなことに安堵を覚えたのか、何を言うでもなく成り行きをジッと見守っている――


 ――はずが。


「(……ん?みんな静かになって、どうしたんだ?)」


 先程までの無関心の静けさが一変し、空気を読んだような静けさが辺りに充満していた。

 明らかに、見つめ合う目、目、目。

 一か所に向けられていた視線の散っていく様子が見て取れた。

 そして、誰の目も向けられていない先に見える女王の姿。


 そこに映るのは、ノリで奉仕委員に入ろうとした裕太君を無表情でありながら、睨みつけるような威圧感を周囲にばら撒いている『はるか』殿だった。


「(やっぱり、こうなったか……)」


 浅いな、クラスメイト達よ。

 お前らが知らない彼女の側面を見知っている俺には、この事態を想定することなど容易。そんな俺からしたら、何事もなく振舞うことなど朝飯前よ。

 自然と、俺の口角が上がる。その無様な姿に、込み上げてきた嘲笑が涙腺まで圧迫しているようだ。

 はは。ははハハ。ハハハハハ。ハハハハハハハハハハハ――――――


 ――――――はぁぁぁあぁあぁああああ…………………。


 『はるか』ちゃんが楽し気な表情を浮かべて、ある一点を注視する。当然、皆の視線もその一か所に集中する。

 まるでスポットライトを当てられた犯人の如く。果たして、その犠牲となった人物は。

 

「え……っと、その……。自分、奉仕委員やりたいかな……って」


 断る勇気を持てなかった、情けなくも右手を挙げる俺であった。

 もはや笑うしか、自身を納得させる手段を思いつかなかった。

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