第3話
初デート前日の夜は、遠足前の子供のように眠れなくなると昔小説で読んだことがある。
それ程に興奮するであろうイベント。俺のようなボッチ君には、かなり喜ばしい行事を目前に控えているというのに。
俺は徹ゲーをすることもなく夜の十時過ぎには就寝し、晴れ晴れとした青空を見上げて「晴天だなぁ」と目覚めの良い挨拶をし、学校に行くような気分で「行ってきます」と家族に告げて家を出た。
一切緊張することなく、気付けば駅に着いていた。
「おはよう。俺の最寄駅の集合で悪いな」
「いえ、私も別に遠くはないから大丈夫よ」
そんな風に、簡易に挨拶を済ませる俺達。
俺は地元の小中高で十年近く自転車通学をしている身。つまり、地元の小中学生ならば、最寄り駅が同じになるはずだが、斎藤とは小中の学生時代を共に過ごした記憶はない。
したがって、斎藤は別の地区から電車で来たであろうはずなんだが、それを「遠くはない」と言ってしまえるのが、彼女の凄いところだ。
斎藤がベンチに座り続けたまま、スマホで今日の予定を確認し始める。彼女の隣に腰掛けながら、俺は横目にその姿を見る。
ベージュのデニムスカートとストライプ柄のスキッパーシャツを合わせた、なかなか斎藤に合ったコーデネートだった。
やはり女子なだけあって、服には拘りがあるのだろうか。今度、一緒にショッピングも悪くないなと考えてしまう俺だった。
そうこうして、口を開くこともないまま、あっという間に数分が経ち。
「そろそろ行きましょうか」
斎藤のその一言で、俺達はベンチを後にした。
ド田舎でも大都会でもない住宅街に、ひっそりと立つ手狭な駅から四十分程電車を乗り継ぎ、バスで二十数分掛けて移動する。その出向いた先に、俺と斎藤が目指す植物園があった。
そこそこ有名で、デートスポットに指定するカップルも多い場所ではあるのだが、同じ植物でも
まぁ、そうは言っても、斎藤に告げたように植物が嫌いではない訳で、少しは期待してるのだ。
きれいに咲き乱れた花のことも。花を見て微笑む彼女の笑顔も。
さて。フリーネット環境が当然の昨今において、チケット購入はオンラインで済ませることが多いらしい。
なにせ、楽だし。当日並ばなくていいし。
入場する際QRコードを翳すだけで済むのは、当日受付に比べて極めて効率的だと言えるだろう。
が、そういった気の利かせ方を知らない俺が、そんな方法を思い付く訳もなく。
よって、入場口のチケット売り場で案内を受けることになった。
「こちらが入場券になります。当植物園は午前九時から午後五時までの営業となっております。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
受ける案内といっても、この程度だったのだが。
「ありがとうございます。楽しみます」
「くっ……」
もはや業務ルーチンと化していてるそんなセリフに、斎藤が真面目に返答する。彼女のどこか抜けたような生真面目さに、俺はつい吹き出してしまうのを止められなかった。
「どうかした?」
「あ、いや、何でもない」
「そう。じゃあ、行きましょうか」
天然とも言い難い斎藤の独特な性分に戸惑いつつも、早く花を愛でに行きたいとでも言いたげな表情をこちらに向ける彼女の後ろを、「はいはい」と俺は付き従う。
入場口から離れ、アーケード街にあるようなアーチ状のガラス天井を過ぎると、そこには色とりどりの花のみならず、鬱陶しい程の
「午後一時より、メインホールを出てすぐ右側のフジ見通りの一角を、花見スポットとして開場します。メインのフジ以外にも、ツツジやサツキなども見頃を迎えて綺麗に咲き誇っております。ぜひ足を運んでみてくださいね」
メインホールの入り口付近に設けられた館内の案内センターのスタッフから、そんな声を掛けられた。
案内センター近くを通りかかった来場者全員に言っているだろう接客台辞に対して。
「ありがとうございます。行ってみます」
そう丁寧に返している彼女に戸惑っているスタッフさんの挙動が、妙で面白い。
まぁ、それを気にせず、スタスタと先を進んでしまう斎藤はさらに面白いが。
後ろで俺が口元に手を当てながら立ち止まっていると、振り返ってきて「どうしたの?」と尋ねてきた。
「どうしたもこうしたも、なぜ毎度言葉を返すんだ?スタッフさん、困ってたぞ」
「……?それは悪いことなの?」
良い悪いはそこにないと思うが、例えば客の皆が皆店員の「いらっしゃいませ」に一言添えて返していたら、駅前のコンビニは朝から大渋滞を起こすぞ。
「いや、そうじゃないが……」
「ならいいじゃない」
「まぁ、そう……だな」
結局、曖昧に肯定することしかできなかった。
*
植物園のメインホールの天井は、通路同様ガラス張りになっていて、日差しがもろに当たる構造になっていた。つまるところ、最悪だった。
なにせ、今日は晴天。気温は摂氏三十度。花々だけが室内空間の空気を堪能するかのように、元気よくその姿を露わにしていた。
花々には喜ばしいその天気も、恒温動物でありながら密集している俺たちにとっては、かなりの難敵であって。
天から注がれる熱線に加えてかなりの
そしてさらに辛いのは、隣りを歩いているのが斎藤だということだった。
「なぁ、斎藤。その恰好暑くないか?」
「……そうね」
「飲み物でも買いに行くか?」
「園内は飲食禁止でしょ?」
「そうだけどさ……」
見るからに、斎藤は心底花見を楽しんでいる。そんな彼女に向かって、弱音を吐こうなんて気概は生まれない訳で。
すると、俺の取れる行動の選択肢は必然的に限られてくる。
「斎藤も無理はしないで言ってくれよ?まだ五月中旬とはいえ、熱中症になるリスクはあるんだ。体調が優れないときは遠慮するなよ?」
そう。斎藤の方から弱音を吐いてもらうという寸法だ。
なに?普通に休もうって言えって?そりゃ、俺のプライド的に無理だね。
「大丈夫よ。体調管理くらいできるから」
「そ、そうか……」
はい、俺の『相手を気遣ってる体を装いつつ休憩しないかアピール』は彼女には効果がなかったようでした。まぁ、わかってたけど。
にしても、反応薄すぎないかな。それに結局、俺は問題解決していないしな。
とにかく早くこの熱気から脱しないと、見栄云々の前に俺がヤバい。
けれど、斎藤が花から離れて彼女から笑みが失われる……なんてことは、俺はあって欲しくない。己の情けなさを、これでもかと露呈しているようなものだからな。
「なぁ、ここは人も凄いし、外でのんびり観賞にでも行かないか?」
せめて屋外ならば、人の熱気もさほど気にならないだろうし。
……と思って言ってみても。
「まだすべて見切れてないわ」
はい、俺の切実な願望は彼女に届く前に霧散したようです。
でも、まだだ。どこかの監督さんも言ってたじゃないか。諦めたら、そこでゲームオーバーだと。
「また後ででもいいだろ、それは」
「ダメよ」
「なんでだ?」
「室内の花には、午前中にしか展示されていない花もあるらしいもの。今の時間に外に行ってしまったら、全て楽しみ切れないわよ」
「そうは言ってもだな……」
そんな展示事情なんぞ知らんし、楽しみ切ることよりも俺の体調の方が優先だわ。
だが、それを斎藤に言う訳にもいかないし。そもそも言いたくないし。
というより、俺の体調管理が理由で彼女を悲しませるのは、忍びない。
「……わかったよ」
「私より、あなたは大丈夫なの?」
「……え?」
斎藤の心遣いの様な一言に、俺は一驚の声を漏らす。
「それはどういう意味で……?」
「さっきから暑そうにしてるじゃない」
「……そ、そうか?」
斎藤に暑がっていることがバレていた事実を、俺は素直に受け止めきれなかった。
手や服で仰いでいたりだとか、汗を拭ったりだとか、そういった斎藤に感付かれるようなことはしていなかった。
「はい、ハンカチ。休みたいなら、そう言ってくれればいいのよ。私、トイレに行ってくるから、それなら少し休憩できるでしょう?」
「……え?」
そう言うと、彼女はスタスタと歩いて行ってしまった。
普段の彼女からは、あまり想像できない言葉だった。
あまり『気を遣う』ことをしない。
そう思っていたんだが。
「……わかった気ってやつか」
俺は斎藤がくれたハンカチを見つめながら、少し反省する。けれども、案外と申し訳なくは思わなかった。
「しかし、やはり。斎藤はいつでもどこでも斎藤なんだな」
どこまでもぶれずに自分のペースで突き進む。そこに彼女の真面目な性格が加わって、彼女の人となりというものが完成している。
願望ばかりで行動を起こせない俺とは、正反対だと思えてしまうのが悲しい。
「(それにしても、斎藤はトイレに行きたい素振りなんてしてたか?俺が気が付かなかっただけだろうか?)」
それとも、俺からは休憩を言い出しづらいと思って……。
……まさかな。斎藤に限って、それはないだろ。
ありえないとは思いつつ、「こういうのも悪くないかな」と俺は呟いて、ハンカチもなしにトイレに行った斎藤を汗を拭いながら待つのだった。
斎藤に対して、俺は理解が足りないとは思うけれど。しかし、これだけは言えると思う。
あいつ、天然なんだな。
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