109.

「こんな時間に申し訳ない! 彼女が頭を打ったんだ! 診てもらえないだろうか!」

「まあ、ガイラル様ではありませんか……!? こちらへ!」


 ガイラルはツェザールを置いていき、急いで病院に駆け付けた。時間外だが緊急を要することと、名前と顔が売れていたため簡単に受け入れてもらうことができた。

 クレーチェをベッドへ寝かせていると、少し年配の医師が慌ただしく別の扉から入って来くる。看護師と共に顔の傷と血を処置し、目を開いて瞳孔の確認などを行う。

 

「コブができていますが、脳に損傷があるような感じではなさそう、というくらいでしょうか……」

「そ、そうですか……良かった」


 しかし医師は『目が覚めたら通院は必要です』と念を押した。ガイラルはそれでも無事ならいくらでも通うと伝える。息はしているしひとまず安心かと考えていたところへ追って来たモルゲンとミエリーナがやってきた。


「ガイラル! クレーチェの容態はどうだ!?」

「モ、モルゲンさん、夜も遅いし大きな声は……」

「そ、そうか……」

「命に別状はないらしいよ。……ツェザールの奴、いきつくところまでいったな……」

「ああ……」


 ガイラルが視線をクレーチェから離さずに呟くと、モルゲンも立ったまま力なく返していた。そこでミエリーナが口を開く。


「……すみません、ツェザールが……」

「なにを言うんだ。君が一番の犠牲者じゃないか! ツェザールに怒っていい!」

「あ、あはは……それでも、優しかったのは、じ、事実……ですから」

「……」


 弱々しく笑いながら涙を流すミエリーナ。

 彼女もツェザールのつまらない計画のために利用されたため、ガイラルはかける言葉が見つからなかった。

 するとモルゲンがミエリーナの前に立って話し始めた。


「こうなったらツェザールとは別れるべきだ。なにかしてくるなら僕が排除する」

「は、はい……ありがとうござい、ます……ただ――」

「「?」」


 ミエリーナがお腹に手を置いてから顔を伏せる。なにごとかと思っていると、とんでもない告白が耳に入った。


「……お腹に、赤ちゃんが……いるんです……わたしは……どうしたら……」

「な、なんだって……!? あの馬鹿野郎……! クレーチェを手に入れるつもりで近づいただけで飽き足らず……!!」

「モルゲン……!?」


 モルゲンが今までに見たことが無い形相をし、ガイラルが驚いていた。

 今までにあったクレーチェに対すること、今まさにその妹がツェザールによって傷ついたこと、そして恐らく好きであろうミエリーナに対しての仕打ちを聞いて怒りが頂点に達したというところである。


「堕胎は……」

「できますが……するつもりはありません……子を殺すなんてとても……」

「そう、か」


 ミエリーナの性格は訓練などで接しているので、ガイラルもモルゲンもよく分かっている。とても気を遣う優しい人だと。気の強いクレーチェとは短い期間で親友とも呼べる間柄になっていた。

 どうしてこんなことに……友人とはいえ、早く縁を切っておくべきだったのか? ガイラルがそんなことを考えながらクレーチェに目を向けると、彼女の目がうっすらと開いた。


「ん……」

「クレーチェ!」

「きゃあ!? ちょ、ちょっと! いきなりなんですか!?」

「え?」


 身を起こしたクレーチェに、ガイラルが半泣きの笑顔で抱きしめると拒絶された。きょとんとなるガイラル、それと同時にモルゲンとミエリーナも目を丸くした。


「あの、どなた……ですか? 私、どうして病院に……?」

「クレーチェ? いったいどうしたんだい?」

「私の名前を知っているの?」

「……!? お、おい、僕のことは覚えているか!?」

「えっと……」


 ガイラルを押しのけて、モルゲンがクレーチェに問いかけるが、彼女はモルゲンを見ても曖昧な表情で目を泳がせていた。


「嘘……そんな……」

「頭にショックを受けたせいでしょう。一時的なものだと思いますが……」


 青ざめるミエリーナに、医師が冷や汗をぬぐいながら語ってくれた。それでも現時点でクレーチェが自分達の記憶が無くなっているという事実に目の前が暗くなった。


「――なるほど、あなたが兄なんですね。それとガイラルが恋人……ミエリーナは友達で……私に怪我をさせたのが共通の友人だったツェザール、と」

「そういうことだ」


 モルゲンが身分証を見せて、クレーチェと兄妹であることを証明すると彼には安心したようで話を聞く態勢になってくれた。

 そこでここまでの経緯を話すと、概ね理解していた。


「僕のことは思い出せないかい?」

「……うん、ごめんなさい……」


 ガイラルがクレーチェの手を取ろうとすると、びくっと反応したのでやめて声をかけるだけにする。クレーチェは困った顔でガイラルを見つめて謝罪を口にする。


「先生、クレーチェは帰っても?」

「ええ、問題ありません。ですが、頭を打つと後から症状が出る可能性があるから通院はお願いします」

「わかった。クレーチェ、家へ帰ろう」

「え? ええ……でもガイラルさん達は……」

「また話をする機会を設けるとしよう。ミエリーナ、また……」

「お、おい、待ってくれモルゲン! クレーチェと話せば記憶が――」


 クレーチェを立ち上がらせて引き上げようとするモルゲンの肩を掴みこちらも珍しく焦るガイラル。


 だが――


「……元々、僕は君とクレーチェの交際を良しとしていたわけじゃあないんだ。記憶が無くなったならそれは解消されたということさ。お前にはもう任せられないんだよ、ガイラル」

「モルゲン……!?」


 モルゲンは悪態を付きながらも友人として付き合ってきた。口は悪いがモルゲンはガイラルを認めていたからだ。

 しかし振り返ってガイラルを見るモルゲンの瞳は酷く淀み、憎しみに近い感情を露わにしていた。

 それはガイラルに対してではなく、ツェザールに対してでもない。モルゲン自身に対してだと、ガイラルは直感でそう思った。


「行くぞクレーチェ」

「あ、ちょっと……!?」

「……」

「ガイラル、さん……」


 なにかを言いたそうなクレーチェと目が合うも、その場を動くことができなかった。ミエリーナと共に病室に残され、二人はなにも言えずに佇むのだった。


◆ ◇ ◆


 ――そしてあれから数か月が経った。


 今だにクレーチェの記憶は戻ってはいない。


 しかし、変化はあった。


 ツェザールとの縁を切ったガイラルは組織から姿を消した。ミエリーナは献身的に支えてくれたモルゲンと付き合うことになり、そしてツェザールの子を産んだ。


「……この子の名前はカイル……どうかしら?」

「ああ、いいと思うよ」

「いずれあなたの子供も欲しいわね」

「……」

「どうしたクレーチェ」

「あのガイラルって人、どうしてるのかなって……」

「……」


 クレーチェの言葉にモルゲンは黙り込む。

 何度か会いに来たが、妹に会わせまいと追い返していたからだ。


「恋人かどうか覚えていないのではないか?」

「部屋にね、たくさんのプレゼントとかあるの。それとこうやって冷静になってから、あの人のことを思うと胸が苦しくなるわ。ねえ、家は知っているんでしょ? 教えてよ」

「……お前は僕と一緒に暮らしていればいい。その内、僕のようないい男が現れるさ」

「このシスコン……!! もういい! ……ミエリーナ、おめでとう。こんな兄だけど、よろしくね」

「ふふ。うん、よろしくね」


 モルゲンの頭を引っぱたいた後、クレーチェは病室から外へ出ていく。


「……ガイラル、会わないと……」


 クレーチェはずっとガイラルの足跡を追っていた。だが、どうしてか会うことができなかった。

 モルゲンはなにも答えない。


 その答えは――

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