第18話 忘れられた神様
このようにみずぼらしくなってからどれだけの時間が経ったろうか。
近場に村が存在した頃は時折、
重税に凶作、それに加えて疫病まで重なっては村が無くなるのも致し方のないこと。
恥ずかしい話じゃ。
信仰されていた頃なら頼まれれば雨を降らして、大地を潤し豊作にしてきたというのに。
誰からも忘れられた今では人の形を保つ事すら出来ぬ上、草で空腹を満たし雨水や泥水で乾きをしのぐ日々。
いっその事と考えた時もあったが、もう一度、もう一度だけでよいから人の子と会ってみたい。
こんな人々に忘れられた土地の、人里離れた場所。そんな事は決して起こり得ないと頭では分かっておるのに、その呪い染みた願望が思いとどめ今なお生き長らえておる。
あといったいどれだけの時が過ぎれば、この思いもかすれ、妾の命が終わりを迎えるのであろうな。
◇
「あ゛っづい゛」
ミオが呼ばれているという場所の最寄り駅。
ちょうど陰になっているベンチに荷物を置いて俺は一人アイスをかじりながら待っていた。
澪歌とミオは昨日予約したレンタカーを取りに行っている。
一緒に行ってもよかったのだろうがその店まで少し距離があるのと、そこまでこの荷物を運んでいくのを考えたら一人荷物番で待っていた方が良いと思い今に至る。
運転は幸い全員出来、澪歌も運転する気満々だったが、運転免許証持ってるのか聞いてみると、死んだ時の遺品整理でその類いも持っていかれたそうなので、残念ながら運転させる事は出来ない。
「…この暑さ、たまったもんじゃないな」
さっき買ったこのアイスももう溶けてきてるし。
あぁ、帰りたい。
この暑さも、汗で張りつく服も、溶けたアイスでベタつく手もなんもかんも勘弁願いたい。
帰ってクーラーの効いた部屋でバカみたいな動画撮ったり配信したいわ。
そうしてへばっていると前方から走ってきた一台の車が目の前で停車し、軽快なクラクションを鳴らしながらドアを開けた。
「優君、お待たせ」
「待った?」
「いやそんなには。悪いな、二人に任せて」
トランクに荷物を入れる際、涼やかな風が体を過ぎる。
積み終わって後部座席に入ると、外とは全く違い冷房の風でだいぶマシな温度になっていた。
「それじゃ出発する」
持ってきた荷物を中に入れると、車は来た道をゆっくりと戻っていった。
「こっからどれぐらいかかるか分かる?」
駅前を抜け繁華街もそろそろ終わりを見えた頃、ふと疑問に思いミオに聞いてみた。
「ん、もうすぐだしそんなにかからないと思う」
車はどんどん人里離れた方へ進んでいき、ついに車では入れない道の終わりに到着してしまった。
数分前に最後に民家を通り過ぎた後、人工物といえばかなり昔に作られたと思われる短いトンネルだった。
車を降りると目の前に広がるのは大人ほどの背丈がある草、草、草。
長らく誰も手入れをしていないのが丸分かりの雑草が伸び放題の地帯となっていた。
「ミオ、ここに居んの?」
「ん、正確な場所は分からないけど、この辺に居るのは確実」
「これは…、探すの大変そうだね」
帰りたい。
なんで草刈り鎌必要だったのかと思ったけど、これここで使うためか。
うーわ、虫除けあるけど、絶対その辺の草からも出てきそうだし嫌だわ。
まぁやるよ? 澪歌の事で助けられたし、やるにはやるけどさ。
もうそろそろ冬だったら帰宅を促すアナウンスが学校から聞こえてくる時間だし、これ下手したら泊まりになるのでは?
「どうするよ? 掻き分けて進むのも手だと思うが」
「でもその場合、草もこんなに高いんだし、もしかしたらこの中で迷子になるかもしれないよ?」
「それは怖いな」
「…近くのから刈ってくしかない」
ミオはもうタオルを肩にかけ鎌をその手に持っていた。
「早く見つかるといいけどな」
やっぱこうなったか。しゃーない、こうなったら早く見つかる事を願ってバリバリ草刈ってく他ないわ。
そういえばここってどれぐらいの広さなんだろうか。そんなに広くなければ時間もかからずに済むしそっちのがありがたいんだがな。
「二人とも頑張ろうね」
「ん」
「そうだな。――飲み物とかはトランクのクーラーボックスにあるから飲みたくなったら我慢しないで飲めよー」
この季節だと熱中症も怖いからな。
適度な水分と塩分補給は欠かさないようにしないと。
「よい、しょっと」
草刈りなんて初めてするが、これ結構しんどいわ。
視界確保の為、そこそこ下の方の草を纏めて持ってやってるけど、これが中々。
鎌そのものは新品だから切れ味に問題はないけど、一連の動作がしんどい。
しゃがむ、刈る草を取る、鎌で刈る、刈った草を纏めてる場所まで持っていく、戻ってさっきの繰り返し。
しんどいわ。ブラック企業で働いてた時は精神的にキツかったけど、これはまた違った意味でくるな。体育会系じゃなかったから尚更。
草刈りを初めて早数十分。次第に空は赤く染まりつつあり、刈った草を集めた所は小さな山のようになっていた。
三人とも草刈りで大粒の汗をかき、澪歌とミオは張り付いた服からうっすらと下着が透けて見えていた。
目のやり場に困るが、それ以上に眼福でもあるのは間違いない。
この場に他の男が居なくて良かったと心から思うし、これだけでここまで来たかいがあったというもの。
「――ん、こっち」
「ミオちゃん、どうしたの!?」
突如何かを感じ取ったのかミオは立ち上がり、まだ刈り終わってない草の中へ入っていき、澪歌も驚いたように後に続く。
遅れながら俺もその後を追いかけた。
「見つけた、この子が――」
草を掻き分けながら進んだ先にあった少し広がっていた空間。
他より心なしか涼しく感じるその場所で、ミオは自身を呼んだであろう相手といた。
毛色もくすみ、艶も無く、ろくに食べていないのが一目で分かるほど痩せこけたボロボロの狐が立って固まったまま、こちらをじっと見つめていた。
「――狐? ずいぶんと弱ってるみたいだが」
「優、澪歌、この子に何か食べ物と飲み物をちょうだい」
「――よしきた! ちょっと待ってろ」
「取ってくるから少し待っててね」
ガサガサと音を立てながら通ってきた道を急いで戻る。
「優君、狐って何食べるのかな?」
「分からん、取りあえず適当に持ってけ」
「そうだね、分かった」
水は直接飲むか? いや、紙コップも持ってくか。
「持ってきたよー」
「はぁ、はぁ、しんどっ」
「二人ともありがと」
「とにかく先ずは水だろ水。頼んだ澪歌」
カメラは、――スマホしかないか。仕方ないこれで撮ろう、ミオが呼ばれたって言ってたんだし何か動画のネタになると良いが。
「うん。だいじょーぶだよー、怖くないよー」
狐の前に紙コップを置き並々と水を注ぐ。
狐は紙コップとこちらを交互に見ると、恐る恐るといった様子で紙コップに口を付けた。
よっぽど喉が渇いていたのかそこからは勢い良く水を口に運んでいた。
「人の子よ、感謝するぞ」
紙コップの水もあっという間に半分ほどにまで減って狐が顔を上げると、確かにその狐が口を動かし人の言葉を話していた。
とんでもない瞬間を撮ってる気がする。狐って人の言葉喋んないよな、当たり前だけど。でもこれは、この目の前で起こってる事はなんだってんだ。
走ってきて息も荒いし、腹も減ってる、何より汗が鬱陶しい。これが夢だとしたらこの上なくリアルだな。
「君が私を呼んだの?」
ミオの問いかけに狐は小さく首を横に振った。
「特定の誰かを呼んだつもりは無い。――ただ、それでももう一度だけでよいから人の子と会ってみたいと思ったのは事実じゃ。まさか真になるとは夢にも思わなんだ。――のう、人の子よ」
「なに?」
「いま妾はほとんど力が無く、この有り様じゃ。何か食べ物を供物として差し出してくれんかのぅ?」
「そもそもそのつもりだったし構わないが、何か好物とか苦手な食べ物ってあるか?」
俺の問いに狐は前足を自分の鼻先に当て考える素振りを見せる。
「ここ数百年、草ばかり食ろうてきたので何でもよいのじゃが。……そうじゃな、強いていうならあんこのように甘い物じゃと嬉しいのう」
「澪歌、あんこって――」
「無い、かな。でも甘い物なら乾パンに入ってる氷砂糖ならあったよ」
「ほう、砂糖とな。ほれ、ここに――」
狐は氷砂糖を入れるよう前足で指し示しながら口を開けていた。
その動作に違和感は微塵も無く、まるで人間がやっているようにすら思えてくる。
「はいどうぞ」
澪歌が丁寧に狐の口に入れると、コロコロとした音が狐の口から聞こえてきた。
「ん、んん――、これは
嬉しそうに吠えたかと思えば、狐の体が白い光に包まれ始めた。
「な、なんだこれ!?」
「眩しい――!」
「んん、見えない」
次第に光が収まっていくと、そこには一糸纏わぬ小さな子供の女の子が現れた。
泥などで汚れ濁って見える肌と長い金の髪。パッチリとしたまぶたからはきつね色の瞳が見える。
ここまでなら俺達と何らかわりない人間として見れるのだが、最大の違いは頭から生える二つのきつね耳と、腰の付け根から生えている大きな尻尾。
両方とも大部分が髪と同じ色をしており、先の方が黒くなっていた。
狐が人になったぞ、どうなってんだこれ。狐に化かされたとかそういう話だったり? いや、でもカメラにもちゃんと撮れてるしな。どっちにしろここは使うにしてもモザイクかけまくらんと駄目だけど。
「感謝するぞ人の子よ。汝らの供物のお陰でこの形に戻る事が出来た」
すっぽんぽんだというのにこの狐の少女は、一切隠す事もせず堂々とした態度で礼を述べていた。
「服、服ってなかったっけ? ――優君! 撮っちゃダメ!」
「大丈夫、ちゃんとモザイクかけるから」
「そういう問題じゃ――ないの」
「ああっ!」
撮影していたスマホは澪歌に没収され、代えの服を取りに行く羽目に。
しっかしあんな事ほんとにあるんだな。実際に目にした今もまだ半分夢なんじゃないかって思ってしまう部分もある。
えーっと代えの服ねえ。この季節だし、一応着替えの服持ってきてたけど、これで良いか。
あー、あと水も持ってこ。あんなに泥だらけなんだし着せる前に軽く洗った方が良いだろ。おっと、タオルも忘れずに。
一連の物を持って戻ってみると、澪歌とミオは二人して狐の少女に持ってきた食べ物を与えていた。
「甘露、甘露。これも甘露。どれもこれも実に美味じゃのう。かような物を持っているとは、さては汝らかなり位の高い者とみた」
「んーん、こういうお菓子、今は誰でも買える」
「なんならもっと美味しい物だっていっぱいあるんだよ。今は持ってきてないけど」
「――なんと! 真か!? であれば、あれからずいぶんと時が流れた、ということかのう」
「はいはい、お待たせ。着替えと水とタオルも持ってきたぞ」
「ありがとー優君。でも水とタオル?」
「着替えさせる前に泥は洗っといた方が良いだろ」
「ん、確かに。――私がする」
「ん? なんじゃなんじゃ!?」
「泥流すから目、閉じてて」
「うむ、よろしく頼むのじゃ」
ここにシャンプーやボディーソープなんて洒落た物があったらもっと綺麗に出来たんだろうが、それでも水で洗い流しただけでもそこそこ汚れは落ちたように見える。
少女が風邪を引かないよう、ミオはしっかりとタオルで体についた水分を拭き取ると、着替えの洋服を手に取った。
「はい、万歳して」
「んー」
着せる際、狐耳に少し引っ掛かったものの、服の大きさは問題なく服だけで膝下ぐらいまで覆い隠せた。
「少し落ち着かんのう。これは着物ではなかろう」
「それは洋服っていうの」
「よう、ふく。――……ふむ、まだ慣れぬが、その内問題無くなるじゃろうて」
そう言って少女は着せられた服をじろじろ見、クンクンと匂いを嗅いでいた。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は優で」
「私が澪歌」
「僕はミオ。よろしく」
「ゆう、れいか、みお、か。よろしくのう、ゆう、れいか、みお。妾は、――妾の名前はそういえば無いのう。昔、人の子には稲荷神様とは呼ばれていたが。名前なんて考えた事もなかったのじゃ」
「じゃあ今名前を決めてしまおうか。――……狐だからコンちゃんとかどうよ?」
「優君は相変わらず安直すぎるよ。神様なんだからもう少しこう、ね?」
「…これとか、どう?」
近くに落ちていた枝でミオは地面に「縁」と書いた。
「みどり? どっちかといえば髪とか金色では?」
「違う。こう書いてゆかりって読む。人と人との
あっ、そうだった。みどりは
縁とは微妙に違うかったな。素で間違えてたわ。
「少なくとも優君のコンちゃんよりは良い感じに聞こえるね」
「まあ、それは、…まあそうだな」
「その、言いづらいんじゃが妾、豊穣の類いしかほとんどやった事ないんじゃ」
「良い
「なんと、かような修羅の時代となっておったのか?」
「少しオーバーだと思うけど、でも色々出来た方が良いのは確かだな」
「う~む、そうじゃのう。せっかくみおが考えた名前じゃ。これからは
一拍置いてゆかりは言葉を続ける。
「決意を新たにしたのはよいのじゃが、この
「それは――」
厳しいってか、絶対に居ないといっていいレベル。
俺達だってミオが呼ばれているって言ったからここまで来たんだ。そうでないと来る事は決してなかっただろうな。
ここに繋がる道だってコンクリートですらなかったんだ。放置されて久しいどころか、地元住民ですら立ち入った形跡が見受けられないんだから。
「詣でるってここ神社かなんかだったのか?」
社も無ければ鳥居も無く、少しの空間が広がっているだけ。
ここが神社だといっても百人中百人とも信じないだろう。
「そうじゃぞ。もとより小さなものではあったが、な」
「縁、僕達と一緒に来ない?」
「そうだよ! ここで誰かが来るのを待っているより、一緒に行ってみんなに紹介した方が絶対に知名度も上がるよ」
「みんな、とは汝らはそんなに大所帯なのかのう」
「ううん、インターネットっていうのを使って」
全く聞いたことの無い単語にゆかりは首をかしげ聞き返す。
「その、いんたあねっとなる物なら妾のすっからかんの信仰力も少しはみれるようになるのかのう」
「もちろん。何せ世界中の人が見れる物なんだから!」
「世界、日の本に限らず、大海を越えた先に住まう人の子らにも知られうるとは。――凄い時代になったものじゃ」
想像を越えるスケールの大きさにゆかりは思わず大きく息を吐いた。
「――とても魅力的な提案じゃ。本来なら二つ返事で了承しておるのじゃが、残念ながら妾はここから動けぬのじゃ」
「…どういうことだ?」
「見てもらった方が早いのう」
そう話すとゆかりは歩きだしたが、その歩みは直ぐに青白い半透明の壁に阻まれた。
俺達には何の効果も無いが、確かにゆかりには効果があるようで、ゆかりが押しても引いても壁の外に出てくる事は出来なかった。
「……こういうことじゃ。とうに社や鳥居が壊れ、何百年も人の子と会ってすらおらぬ。神域としての価値なんぞはるか昔に無くなっておるのに、未だ妾はここから出れぬのじゃ」
これは――、もしかしたら澪歌と同じパターンか? もしそうだとしたら、
「「優」君」
短く名前を呼ばれただけだが、澪歌とミオも同じ考えだったようで俺を見てきた。
やってみるだけやってみようか。
「じゃからのう、汝らの――ってなんじゃ!? いきなり手を引い、て――…………な、なな、なんじゃと!」
予想通りというか、俺がゆかりの手を引いて結界の外へ歩いてみると、ゆかりも外へ連れ出す事が出来た。
「夢、ではないかのう。まさかこんな、外へ出れるとは――」
感極まったゆかりの頬には大粒の涙が流れ、自分でそれを拭こうと優の手を離した途端、また戻された。
「あ、あれ――? …そんな、夢に見た外に出れたと思うたのに」
「これなら――、澪歌かミオかアレ持ってる? 爪の方」
「ん、ここに。縁、これあげる。これ持ったままさっきみたいに外行ってみて」
「なんじゃ、これは?」
大粒の涙を拭きながら当然の疑問をゆかりは投げかける。
「ん、お守りみたいなもの。これ持ったままだと外に出れるかも」
「…さっきの例もあるからのう。やってみるのじゃ」
大事そうに包みを抱えたまま歩いていくと、先ほどまでどんなに頑張っても微動だにしなかった壁を、まるで最初からそこには何もなかったかのように通りすぎることが叶った。
「――……出れた、出れたのじゃ。ほれ、ほれっ、さっきみたく戻されるなんて事もないようじゃし、妾は自由を手に入れたのじゃ~!」
澪歌の予備だったけど、持ってきてくれて良かったわ。
しかしあれだな。壊すことは出来なくても、もし失くしたりしたらえらい事になるし、更なる予備は作っといた方が良さそうだ。
後でミオに言ってみよ。
それにしても数百年間、こんな所でずっと一人ぼっち。
ろくな食い物や飲み物は無く、娯楽なんてあるはずもない。
俺の想像なんて出来ないぐらいキツかっただろうな。
俺ならどれだけ持ったやら。多分一週間も持たんだろうよ。
「縁、改めて聞くけど、僕達と一緒に来てくれる?」
「もちろんじゃ! 妾も外の世界を知ってみたいしのう。ゆう、れいか、みお、三人共これからよろしく頼むのじゃ」
ミオの言葉に、まるで幼い子供のような満面の笑みでゆかりは答えた。
茜色の空に染まりつつある中、夜が訪れる前に帰るべく、行きより一人多い人数で帰路についた。
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