第69話 生存競争


 母さんは僕に言った。


「愛だの恋だのに惑わされて、人生を棒に振るなんて莫迦々しい……そんな人達を母さんはずっと見てきたの、人間や動物はね、種族保存と言う本能だけで男女が、雄と雌が繁殖をする。それを人は恋だ、愛だって言ってるだけなの」


 ショックだった……母が言った事はつまり、自分の意志なんて無い……自分なんて無い……DNAがそうなっているだけという事。


 DNAはただ生きる為の情報、人も動物も生まれたてで、何も教わっていないのに、食物を、母乳を求める。

 生きていく為に何も教わっていないのに、がむしゃらに乳を吸う。


 猫は成長した後でも柔らかい物を押そうとする。

 ネット動画では飼い主の肩や腰を揉んでいる様な、ほのぼのした映像として取り上げられているが、あれは兄妹姉妹よりも、自分がより多く乳を飲む為に行っている生存競争の一つの名残。

 雛鳥が餌を求め自分の身体よりも大きく口を開けるのも、母鳥から他の兄弟姉妹より多く餌を貰おうとする為の本能。


 そして……全ての教育を終え、母さんは最後、僕に言った。

 

「……貴方は負けたの……妹に、楓に……だからお父さんが楓を教育する事になったの。海外に連れて行き、より良い教育をする為に」


 そうか……僕は負けたんだ……生存競争に種族保存の競争に……。

 僕と妹は愛し合って出来たわけでは無かった。

 より良い遺伝子を残す為だけに行った父と母の実験によって生まれて来たんだって……。



 ◈◈◈



 突然お風呂に乱入してきた妹、一度じっくり話し合いたいと言った。


 俺はずっと避けてきた。

 あの母の最後の言葉を隠す為に……。


 妹は父さんに教育された事をたまたまだと信じている。

 俺が海外は嫌いだからと言った事を信じている。


 でも……遂に妹は切り出して来た。

 この逃げられない状況で……。


「……俺は…………俺は雪乃に助けられた……絶対だった母さんの教育、母さんに教えから逃れられた……」

 どっちが好きかと言う妹の質問……単純に答えられる事ではない、俺は妹に順を追って説明する。


「……うん」

 真夏、お湯の温度は低い……のぼせる事は無いだろう……そして妹の言う通り、もう逃げ場は無い……。


 俺は覚悟を決め全てを語る事にした。俺の思いを、隠していた全てを……。


「愛だの恋だの幻想だって、じゃあこの気持ちはなんだって……でもわからなかった、だってまだ子供だったから、雪乃にそんな事を……その……性的な事を思った事は無いから」


「私はね……だからそれが本能だって……そう思った」


「俺も最初はそう……でも、それだけじゃ自分の中の理由がわからない。そんな感情じゃない、無かったんだ。雪乃を見た時の感情は、それだけじゃ無いって確信した。そして俺はその気持ちを雪乃への気持ちを、母さんが言っていた様な、DNAだのとか複雑な物なんかじゃない、愛や恋はちゃんと存在する筈だって……単純な物だって……」


「……そか……それでお兄ちゃんは……本に救いを求めたのか……」


「ああ、単純な感情、単純な思い……自分の思いの肯定……母さんの言葉の否定、単純な恋の物語に……依存した……」


「そか……」


「だから俺はずっとこれが恋だって、雪乃への思いがずっと愛だって思って……いた……」


「それは……奇跡……だね」

 妹は微笑んだ、今まで見せた事の無い表情で俺を見つめる。

 そんな笑顔を見て心が痛む……俺はお前が嫌いだ。嫌いになる様に自分に言い聞かせた。表向きはそうではない様に振る舞った。楓を悲しませたく無かったから……でも、今はキチンと向き合うって決めた。自分トラウマに、妹に……。

 

 だから俺は楓に言った。ずっと隠していた事を遂に……。


「楓……楓にはずっと言って無かった事が……俺はさ、お前が好き……だった、本能とは関係無い感情……好きっていう気持ちを唯一信じられる存在……でも……俺は負けたんだ……お前に負けた……母さんにそう言われた」


「……え?」


「さっき父さんと母さんのどちらかに教育をって話……あれは嘘だ……俺はお前に負けた……だから父さんがお前を海外に連れて行った、より良い教育を受けさせる為に」


「……お兄ちゃん」

 遂に言ってしまった……俺がずっと妹を避けてた理由を……。


「俺はお前を避ける様になった……嫌う様に……唯一の気持ち、恋や愛を信じられる気持ちを……そしてその気持ちを、兄妹愛って気持ち、家族愛って気持ちを……俺は雪乃に求めた……求めてしまった」


「──そうか……だからお兄ちゃんは……」


「この間さ、人づてだけど、雪乃の気持ちを……本心を聞いた……俺の事が気持ち悪いって……それを聞いてショックだった……けど、でも今ならなんとなくわかるよ……雪乃が俺の事を気持ち悪いって言った理由が……。だってそうだろ? 俺がお前とセックスしたいなんて思ったら、兄妹でそんな気持ちを持ったら気持ち悪いよな? 雪乃にそう言われて俺も思った……気が付いた……気持ち悪いって……自分が気持ち悪いって……」


「…………」


「やっぱり恋なんて、愛なんて無いって……母さんの言った事は本当なんだって、俺はまた生きていく意味なんて無いってそう思いだした時……出会ったんだ」


「……それが……同級生?」


「ああ、いやまあ、色々と違ったんだけど……いや、結論はそうだった……ってこないだ知ったんだけど」

 簡単に説明出来ないし、した所で意味はないからそこは省略する。


「なにそれ?」


「と、とにかく楓が言った質問の答えは、どっちも好きではない……だな、今の所」


「……は? ちょ、雪乃さんはわかったけど、その同級生は違うの?!」

 俺はニヤリと笑う、そして自信を持って言った!


「ああ、違う! 俺は綾波様に、ああ、綾波って言うんだけどね、そんな気持ちは種族保存……セックスしたいだなんて思いを、気持ちを持ち合わせた事は無い! かといって、楓や雪乃に思っている気持ちとは違う、家族愛なんかとは違う! 彼女は尊いんだ、俺ごときが簡単に手を触れて良い存在じゃない!」


「──うーーーーわ…………」


「うーーわじゃねえ、引くな! 俺は明日その神に初めて会うんだ、正確には、神と認識して初めて会うんだ、だからそろそろいいか? 身を清めないと!」


「──はあ……駄目だこりゃ」


「うるせえ、全部話したぞ!」


「うん、途中までは泣きそうになったけど、最後で全部醒めたよお兄ちゃん」


「シリアスは嫌いだ、俺の乗りはラノベだからな!」


「ハイハイ、じゃあそろそろ出るか」

 と、そう言って立ち上がったその時、妹のバスタオルがお湯の重みで落ちた。


「あ……」

 

「あ……って……き、きたねええぞ。 嘘じゃねえか! 何が裸の付き合いだ!」

 妹は……水着を着ていた……小学生の時のスクール水着を。


「何よ! 裸よりも恥ずかしいよ! お兄ちゃんの趣味に合わせたスク水を着てあげたんだから!」


「誰がスク水趣味じゃ! ってかそれって実際に着てた奴……か、楓……ううう、全く成長してないじゃねえか……」


「うるさい! バカ! 死ね!」

 

「ぎゃあああああああ!」

 妹は俺の顎に肘鉄を食らわすと、そのまま浴室から出ていく……いてえええ……クラクラするうう……。


 なんだよ! 結構シリアスな話をしたのに……この落ちって……。


 でも俺はホッとしていた。ずっと隠していた妹への思い、母さんの言葉を言えて、そしてそれでも変わらず俺と接してくれる妹に、俺は心の底から……ホッとしていた。

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