エピローグ 〜花火大会〜

      * * *


「おい! 夢なのに、なぎちゃんが裁判にかけられるってどういうことだよ!?」

「ひどいじゃないですか! なぎさんが幸せな夢を見るシステムだったんじゃなかったんですか!?」


 紫庵とリゼがキャンディに詰め寄る。


「もっとゆっくりしながら見てたらどうなんだ? そこに現れて救うのがホンモノのヒーローだろ?」


「えっ、じゃあ、この後、なぎさんの本命になろうという人が登場するんですか!?」

「ピンチの時に救ってくれた人が、真のヒーローとなるのさ!」


 余裕の笑みを浮かべるキャンディだった。


 その時、ガチャッと、休憩室の扉が開いた。


「あんた、なんでそこにいるの?」


 静かな、だが迫力のある幼い女子の声に、キャンディがビクッとした。


「……プリンセス・ありす……!?」


「鏡にチラッと映ったから、まさかと思って早めに戻ったのよ」


 ありすの後ろには、緑のシルクハットを被り、緑のスーツを着た老人アッサム博士も立っていた。


「こら、眠りネズミのキャンディ! どうやって封印を解いたのだ!?」

「封印していたポットが落ちて壊れたりしたのかしら?」


 ガラスのように透き通った青い瞳が、じっと少年を見つめる。


「あんたはアズサの時にも似たようなこと仕掛けてたわ。もうイタズラするなって、あたし、言ったわよね? 二回くらい」


 冷や汗をかいて逃げ腰になったキャンディの首根っこを、紫庵が素早く捕まえた。


「はっ、離せ、ネコ!」


「僕のプリンセスがお前におきになってるんだよ。ちゃんと答えろよ、ネズミ」


 ありすに無表情な瞳で見つめられているうちに、キャンディはぶるぶる震えるとみるみる涙目になっていき、「ごめんなさいっ、怒らないで!」と小さく言った。


「寝てなさい。ポットの中で」


 その冷淡にも聞こえる冷静なありすの言葉に続き、アッサムが声を張り上げた。


「グレイ、奴をしっかり捕まえておれ! ダージリン、ポットを持ってくるのだ!」


「オーケー!」


 弥月はキッチン棚から大きめのティーポットを持ってきた。


 博士は冷蔵庫からジャムを取り出すと、暴れているキャンディの鼻にべったりと塗った。


 キャンディが、ほわんと幸せそうな表情になり、足をばたつかせなくなると、すぐに弥月がティーポットにぎゅうぎゅうと押し込んだ。


 十歳ほどに見えた少年は、あり得ないことに、するするとポットに収まっていく。

 その上から、博士がシロップをぐるぐるとかけ回し、蓋をした。


「キャンディを封印してしまったら、彼の夢の中にいるなぎさんはどうなるんです!?」


 リゼが慌てると、ありすが普段の表情の表れていない顔を向ける。


「キャンディと出会った場所にいるはずよ」




 ありすの言う通り、なぎはローズガーデンにあるベンチの一つで眠っていた。

 ありすにリゼと紫庵、弥月、博士も続いていく。


「ナギ、起きて」


 ありすに揺り動かされて、なぎは、うっすらと目を開けた。


「良かった! なぎさん、大丈夫ですか?」

「……は、はい。あら? ありすちゃんと博士、もうスリランカから戻られたんですか?」


 ベンチでゆっくりと身を起こし、なぎは皆を改めて見た。


「リゼさん、ごめんなさい! ここで待ち合わせて買い物に行こうとしてたのに、わたし、遅れた上に寝ちゃってたみたいで! あっ、今何時ですか? 今日の夜は川崎の花火を見に行くんでしたよね? 若菜と日和ひよりとも待ち合わせてたんだった!」


「記憶はあるみたいだね、なぎちゃん」


 紫庵が、同様にホッとしているリゼと顔を見合わせた。


「……良かったです。本当に……」


 思いの外安心したような皆の顔を、なぎは不思議そうに見回していた。


 ありすが少しだけ笑った。そうすることは珍しいが、なぎに対しては時々あることだった。


「買い物は明日にして、そろそろ花火大会に行く準備をした方がいいかも?」


「あ、そうよね! さすが、ありすちゃん! そうしましょう! ありすちゃんにも確か浴衣があったわね。みんなも着替えましょうか!」


 横浜港での花火大会はそこ「港の見える丘公園」の展望台は混み合い、紅茶館の窓からも花火が見えるため、店は書き入れ時だ。

 そのため、彼らがゆっくり花火を見る時は、川崎市と東京大田区の間で平日に行われる、六郷土手ろくごうどての多摩川河川敷で開催されるものを見に行こうと決めていた。


 非常に混雑するため、現地からは離れた川崎のショッピングモールの屋上が、いくつかある穴場の一つだった。

 川崎なら、石川町の駅から電車で二〇分だ。


 紅茶館を経営していた祖母の家に幼い頃から夏には遊びに来ていたなぎは、浴衣の着方を教わっていた。

 

 ありすは赤をメインとしたカラフルな花柄にレースのあしらわれた洋風な浴衣、ローズ色の帯、髪はアップの団子にして、レースの飾りを巻いている。


 華やかなありすとは反対に、なぎは紺色の生地に青と藤色の花柄の落ち着いた柄だった。

 髪はハーフアップのままで、和風の小物の飾りのピンをサイドに添えた。


 なぎが来る前から紅茶館を手伝っていた彼らの分の浴衣も、梓が用意していて、彼らも自分で着替えて先に外で待っていた。


「わあ! ありす! とってもかわいいですよ〜!」


 リゼがありすの周りを一周して眺め、ウキウキしている。


「ねーっ? かわいいでしょう?」


 なぎもウキウキしながら、ありすをぎゅーっと抱きしめた。


 紫にダイヤ柄の浴衣姿の紫庵は髪を無造作に一つに束ね、リゼは青と紺色の大きめの市松模様の浴衣を着ている。


「二人とも若旦那みたいねぇ。紫庵、なんかサムライみたい」


 にこにこと、なぎが微笑む。


 途端にニヤッと紫庵が笑い、イジる時の顔になった。


「アズサの浴衣姿は清楚で素敵だったけど、なぎちゃんはまだまだかわいいねぇ!」

「むっ、どーゆー意味かしら?」

「普段より子供に見えるぜー!」

「甚平着たみーくんだって、どう見ても子供じゃないの!」


 青や白の縦縞模様の入った黒い甚平を着た弥月を、なぎはにらんだ。


「どうせわたしは、おばあちゃんやありすちゃんみたいな綺麗系の顔の作りしてないし、浴衣も似合わないわよ」


「そんなことありませんよ。いいじゃないですか、かわいいんですから。すごく似合ってますよ」


 にっこり微笑むリゼを、なぎは見上げた。


「あ、ありがとうございます……」


 明るいうちに待ち合わせ場所で、なぎたちは、なぎの友人の若菜と日和、そしてそれぞれの彼とも落ち合った。


「なんか、いつ見ても、なぎちゃんのナイトたちは圧巻ね!」

「わたしのナイトってわけじゃないけど」

「超イケメン外国人が浴衣着て並んで歩いてたら、さらに目立つよね」

「ありすちゃんは、めっちゃかわいいし!」


 なぎを含めた友人たちは、ありすの両脇に並び、スマートフォンで写真撮影会となってしまった。

 彼たちは、言われるままカメラマンに徹していた。


「結局、あの夢は、なぎちゃんが夢想して……いや、無双して終わりだったな」


 紫庵がリゼの隣で、おかしそうに呟いた。


「そうですね。無双という言葉が妙に似合いましたね」


 リゼも苦笑いする。


「なぎさんは、トラウマがなくても、なぎさんなんですね」

「ああ、そうだね。つくづく色気がないっていうか、恋愛体質じゃないっていうか。恋愛にはまだまだほど遠そうだな」


 意地悪く紫庵が言うと、リゼも苦笑いになり、どこかホッとしたような顔にもなっていた。


 始まる直前に、ありすが見えるよう、リゼが片腕に抱き上げた。

 ありすの小さな手が、リゼの首元の襟に掴まる。


「夢の内容は覚えてますか?」


 花火の合間に、なぎは、そう静かに尋ねるリゼを見上げた。


「それが全然。キャンディくんに会ったことは覚えてるんですけど、夢なんて見てたのかしらっていうくらい、なにも覚えてないんです」


「それなら良かったです!」


 リゼの強い口調に、なぎは珍しいな、と思った。


「あの夢の続き、キャンディの言うように、もしなぎちゃんを助けるホントのヒーローが現れたとしたら、誰だったんだろうね。そいつと花火を見て夢は終わりだったのかな?」


 リゼとは反対側のなぎの隣で、紫庵がリゼとなぎに向かって笑う。


「ありすだったんじゃないですか?」


 リゼが笑って答えた。


「ありすが一番ヒーローにふさわしいです」

「お前ねぇ、どこまで……」


 紫庵が呆れた顔になると、なぎが二人を交互に見つめて首を傾げた。


「リゼさんも紫庵も、わたしの夢の内容を知ってるみたい。なんで?」


 二人は、「ひっ!」と慌てた。


「いっ、いいえっ! 知りませんよ。なぎさんも、このまま思い出さないでくださいね!」

「そっ、そうだよ、なぎちゃん! 思い出さない方がいいよ!」

「は?」


 静かな音楽と共にゆっくりと単発で花火が打ち上げられていく。

 音楽の盛り上がりと共に中盤からは次々と立て続けに大きさも種類も違う花々が咲いていくようだ。


 四〇分間で五千発。羽田空港が近く、低めに打ち上げられるためか音と共に迫力のある見応えのある花火だ。


 三人とも黙って、顔を合わせることなく空を見ていた。

 いよいよフィナーレとなる頃、ふとリゼが言った。


「……本当に、無事で良かったです」


 心からホッとしたような笑顔を見せるリゼを見つめていると、なぎには、何があったかはわからなくても、夢の中での自分のことをよほど心配してくれたんだろうかと思えた。

 じんわりとあたたかい想いが湧き出し、癒された気にもなった。


 壮大な音楽と連動して、絶え間なく空に響き渡る音と華やかな花々が眩しい。

 全て打ち上がると拍手や歓喜の声が上がった。


「楽しかったね!」

「すごい迫力だったよね!」

「来年は河川敷の方でも見てみようか? あそこもすいてて穴場なんだって」


 短い時間であったが花火を鑑賞し終えると、そんな話をしてなぎの友人たちとは別れ、混んだ電車に乗って帰る。

 その後は、誰もなぎの夢の内容には触れなかった。


 休憩室の暖炉の上には、静かにティーポットが置かれていた。

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【不思議の国編】ありす紅茶館でお茶をどうぞ♪ かがみ透 @kagami-toru

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