公爵夫人の家で

      ★ ★ ★


「白ウサギさんに悪いことしちゃったかな…… 」


 なぎはウサギが怒って追いかけてこないか怖かったので、ウサギの家から離れた草むらに屈んで隠れた。


「キャンディくんには白ウサギを追いかけろって言われたけど、実際会ってみても何もわからなかったし……別の白ウサギさんのことだったのかしら?」


 ふと、ウサギが愛情を示す時は相手のウサギを毛繕けづくろいすることを思い出した。


「あれって、もしかしたら、手袋を見つけてくれたお礼だった……? やだ。だったら、やっぱり悪いことしちゃったわ。謝らないと……」


 なぎは立ち上がると、キョロキョロと辺りを見渡した。


「ここは、どこかしら? ……あれは……?」


 背伸びをして見ると、花が咲いていて、林の中とは違うと思われるものが見える。

 近付くと、煉瓦で作られた花壇があった。

 広い庭の向こうには、煉瓦造れんがづくりの洋館が建っていた。

 どうやら、どこかの庭に紛れこんだようだ。


「誰かの家だわ」


「大変だ、大変だ! 遅れた、遅れた!」


 そう声がし、草を撒き散らして誰かがやってきた。

 なぎの横でキキーッと急ブレーキをかけたように止まった。

 風でなぎのスカートがまくれ上がったのを、なぎは慌てて押さえた。


「あっ! あなたは……!」


 なぎが後退りするが、見覚えのある白いウサ耳を生やした赤髪の青年はきょとんとしていた。


「どなたですか? あなたも公爵夫人にご用があるのですか?」


 声も先ほどの白ウサギと同じであり、見た目もあのやさしそうな白ウサギとそっくりであったが、着ている服が違う。

 青年は、ピンク色のひらひらしたブラウスに紺色のスラックスを履いていた。


「……リゼさん……なんですか?」


「はい。ぼくの名前をよくご存知ですね」


 驚いているリゼは、まじまじとなぎの顔を見ていたが、用事を思い出したのか斜めがけした皮カバンから、封筒を取り出した。


「すみませーん、公爵夫人、遅くなりましたー!」


 白ウサギのリゼは、木の扉をドンドンと叩いた。

 なぎが見つけた小ヤギの皮で出来た手袋はしていない。


「やっぱり、別人みたい」


 ホッとしたなぎは、とりあえずリゼについて行けば何かわかると思った。


     * * *


「なんだ? 違うリゼなのか?」


 紫庵がリゼを向く。


「そいつもきっとヘンタイに決まってます! なぎさん逃げてー!」


 リゼがまた鏡をバンバン叩いた。


「そんなことしたって無駄だ。には聞こえないんだから。オマエ、バカなの?」


 キャンディが意地悪な顔をして笑っている。


「『白ウサギ』は夢の国では案内人なんだよ。ヘンタイだろうが何度でも出会うことになってる。『アリス』が道を迷わないようにね」


「でも!」


「それよりも、そんなに叩いて鏡が割れたらどうする? 大変だろ?」

「タイヘンタイヘン! ヘンタイヘンタイ!」


 言いながら、弥月がゲラゲラ笑い出した。


「いよいよ、オマエと対面するらしいな、ネコ。覚悟は出来てるか?」


 意地悪い顔のまま、ニヤリとキャンディが笑った。


 紫庵の顔も青ざめていく。


「どんなヘンタイ男になってるんだか……! なぎちゃんに何かあったら……あああ! アズサに怒られる! 幻滅される! 軽蔑される!」


 紫庵が頭を抱えて嘆いた。


      ★ ★ ★


 木のドアを開けて中から出てきたのは、二本足で立った緑色の顔をしたカエルだった。

 貴族のような良い身なりに、カールさせた白い髪のカツラを被っている。


 ギョッとしたなぎだったが、リゼの方は普通に封筒を渡した。


 封筒には、赤い封蝋ふうろうがされていた。

 ハートの模様と旗が刻印されているのが目に留まった。


「こっ、これは、もしや、女王陛下の?」

「そうです。公爵夫人に招待状です。クロッケーゲームの」

「わっ! これは大変! 早く公爵夫人にお渡ししないと!」


 カエルの召使いだか執事らしい男は、慌てて二人を玄関に通すと、バタバタと奥へ入っていった。


 リゼは勝手を知っているように、長い絨毯の敷かれた廊下をスタスタと進み、その後ろから遠慮がちになぎも歩いていく。


 なんだか豪勢ね。

 公爵って言ってたし、いかにも貴族って感じの家だわ。


「公爵夫人、女王陛下からの招待状ですぅ!」


 カエル執事の声がする。


 リゼとなぎは足を早めると、開けっ放しの扉から広い部屋に入った。


「きゃっ!」


 驚きのあまり、なぎはリゼの背に隠れた。


 そこには、なぎの身長近くもある巨大な頭をした——正確には、宝石をあちこちにくっつけた豪華な被り物も相当割合を占めていた——男か女かわからない、人間かもわからない黒ずんだ、魚のような顔をした者だった。


 頭部に比べて、身体はなぎの身体よりもずっと低いが、どっしりと、頭部を支えられる分の横幅はあった。


「女王陛下がお呼びとは! 急いで支度をしなくては!」


 招待状を見た公爵夫人が、リゼやなぎには気付かずに大慌てで別室に駆け込むと、ガシャーン! と何かをひっくり返したような、次々と破壊音が聞こえる。

 カエル執事も大慌てで外に出ていき、馬のいななく声も聞こえた。


 馬車の用意でもしてるのかしら、となぎは思った。


「お茶でも淹れますよ」


 そんな状況でも動じることなく、リゼはにっこり微笑むと、勝手を知ったようにキッチンで湯を沸かし、棚からティーカップを取り出した。


 そうこうしているうちに、ドタバタと物音がし、ドアをバタン! と閉め、馬車が出発していった。

 静まり返った頃、リゼが紅茶を運んでテーブルに置いた。


「あら? どうしてカップが三つあるの?」


 なぎが尋ねると、「それは僕の分もあるからだよ」と、声がした。


 廊下から姿を現したのは、褐色の肌に白い装束を巻き付け、白いターバンを巻いた、長い三つ編みを片側の肩に垂らした男だった。


「アールグレイ伯爵ですよ。公爵夫人の息子さんの」


 リゼが紹介する。


「よろしく、お嬢さん」


 入り口の扉に手を突き、切れ長で睫毛の長い、水色の魅惑的な瞳がキラッと光った。


 なぎは目を逸らせず、彼に見入ってしまって遅れたが、慌てて頭を下げた。


「お茶を飲んだ後はどうします?」


 リゼが尋ねると、アールグレイは「そうだね」と考えた。


「うるさい母親がメアリー・アンのところでクロッケーなら、当分帰ってこないだろうから、久しぶりにタルジーの森にでも遊びに行こうか?」


「そうだね。なぎさんも一緒にどうですか?」


「森?」


 なぎは、眉をひそめた。


「さっき、白ウサギさんの家の近くの森で、ビルとかいう不審者に会ったわ。だから、あんまり気が進まないわ」


「ああ、あの森とは違って、タルジーの森はもっと開けてるし、花がたくさん移動しながら咲いてる楽しいところですよ」


 リゼがにっこりと笑い、ティーカップに口をつけた。


「花がたくさん、移動しながら咲いてる……?」


 首を傾げるなぎを見て、アールグレイがくすっと笑った。


「きみ、どこから来たのかわからないなら、タルジーの森に、帽子を被ったアッサム博士っていうご老人がいるんだけど、会ってみたらどうかな? 彼は物知りだから、もしかしたらきみの帰り道を知ってるかも知れないよ?」


 なぎの顔がパーッと晴れていった。


「ね? 子猫ちゃん」


 肘掛け椅子で頬杖を付き、ゆったりとした雰囲気をまとう彼を、なぎは見つめていた。


 お茶を飲み終わり、公爵家を出発すると、二人の青年は、なぎが警戒することなく、森に向かう道中も紳士的に接していた。

 話も楽しかった。


 艶のある長い黒髪を一つの三つ編みにし、目立つからとターバンを外した彼の頭には、ネコの耳が生えていて、公爵家では見なかった長い縞模様の尾も現れていた。

 だが、不思議と、その姿の方が彼には馴染んでいる上に、さらに魅力を引き出しているようにもなぎには思えた。


 二人の言った通りに、森は見通しが良く、色とりどりの花や、鳥たちもやってきて、やっとホッとする場に来られた思いがしていた。


 道を案内するリゼが前を歩き、なぎは時々、隣を歩くアールグレイを見上げる。

 それに気付いたアールグレイが微笑み返すと、なぎの頬は赤らんでいくのだった。


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