白ウサギの家で

      ★ ★ ★


 なぜ、白ウサギを追いかけなくちゃいけないのかしら?

 困ってるみたいだし、何か手伝えってことかしら?


 そう思いながら、なぎは青年の後を追って走っていた。


 だが、ぐんぐん距離は引き離されていき、森の中へと入ると、すっかり見失ってしまった。


 途方に暮れて、とぼとぼと歩き出したなぎは、梯子はしごを抱えた青年とすれ違った。


「あの、この辺で走ってる人を見かけませんでしたか?」


「走ってる人?」


「はい。白ウサギの男の人なんですけれど」


「ああ、白ウサギのリゼさんかな? この森の奥に家があるよ」


「ホントですか!?」


「ちょうど俺も呼ばれててね。煙突掃除に行くところだったんだ」


「じゃあ、ご一緒させてもらっていいですか? わたし、白ウサギさんに会わなくてはならないんです」


「なんで?」


 何気なく聞かれたその言葉に、なぎはすぐには答えられなかった。


「なんでって……なんでかはわからないんですが、……会えばわかるのかも?」


「よし、わかった! リゼさんにも取り次いであげるよ」

「わあ、ありがとうございます!」


 梯子を抱えた、細身で茶色のつなぎの服を着た男は、ビルと名乗った。


      * * *


「煙突掃除屋のトカゲのビルまで、ちょい悪オヤジ風な人間になってるのか!」


 弥月が驚いた。


「シッポはあるけどね」


 キャンディは、お茶けのカップケーキを頬張った。


「ぼくの家は、あんなところにはありません」

「だよな、リゼはメアリー・アンのところで雇われてたし、そのあとは赤の城にオレたちと一緒に住んでたからな」


 バリバリと海苔のついた醤油煎餅を食べながら、すっかり観客気分の弥月が言った。


「さっきからおじさんばっかなのが気に食わないな」


 紫庵が顎に手を当てて、眉間にシワを寄せた。


「言っただろ? 女子の夢を詰め込んでるって」


 美味しそうに弥月の作ったカップケーキを食べ、指についた分も舐めているキャンディの返事に、紫庵もリゼも疑わしい目を向けていた。


      ★ ★ ★


「あのー、家なんて全然見えてきませんけど?」


 心配そうに、なぎはビルを見上げた。


 突然、ビルが、近くの木に手を突き出し、驚いて後ずさったなぎの背が木にぴったりとくっついた。


「壁ドン……?」


 なぎが呟いた。


 ビルの細い目を見上げると、長い尾がくるくるとなぎの手首に巻きついた。


「なあ、俺と一緒に花火見よう?」


 ビルはわけのわからないことを言い出した。


「花火って……そんなことよりも、これ、離してくれません? わたし、白ウサギさんに会わなくちゃ……」


「わかってて、のこのこ付いてきたんじゃないのか? 知らない男でも」


 キャンディは、危険はないと言っていた。

 なぎ自身も、このような状況にあっても危険は感じていなかった。


      * * *


「なぎさん逃げてー!」

「なぎちゃん、気をつけて!」


 リゼと紫庵が鏡の前に立つ。


「おい、見えないじゃないか!」


 キャンディが首を伸ばす。


      ★ ★ ★


「ぎゃっ!」


 ビルは、叫び声を上げて花火のように宙を舞い、その身体は次の瞬間地面に叩きつけられた。


 手首に巻かれた尾を、もう片方の手で掴んだなぎが、振り上げたのだった。


「こんなことが出来るなんて! キャンディの言ってた通りだわ! 不審者はこうやって撃退出来るから、危険なことなんてないのね!」


 なぎはさっさと尾を解くと、伸びているビルを放ってそこから走っていった。


      * * *


「……」

「……」


 紫庵もリゼも、鏡の前で突っ立っていた。


「なぎちゃん、きみって子は……トラウマがなくてもそんなだったの?」

「……あのぅ、今のなぎさんには、ホントにトラウマはないんですよね?」


 キャンディを振り返ったリゼが、静かに訊いた。


「無理矢理襲われるのが好きな女性もいると聞いたことがあったけど、彼女はそういうのは好みじゃなかったみたいだね」


 キャンディが、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「そんなの好きな女性がいるか!」

「まったく、どういうリサーチしてるんです!?」


 紫庵とリゼが詰め寄るが、キャンディは、ふふんと鼻で笑うだけだった。


      ★ ★ ★


 そのまま森を抜けると、赤い屋根が見え、白い二階建ての家があった。


 小さな門があり、『白 ウサギ』と彫られた真鍮しんちゅうの表札があった。


「ここが、あの白ウサギさんの家ね!」


 あんなに歩き回ったのに、全然疲れていない!

 夢って楽でいいわね!


 と、なぎが思っていると、ものすごいスピードで草を撒き散らして走ってきたものが、突然止まった。


「白ウサギさん!」


 なぎの横で門を開けたウサギは、初めて気がついたように、なぎを見た。


 なぎがよく見ると、これまで会ってきた——といっても二人だけであったが——とは違う、やさしそうな青年に思えた。


「どうかしましたか?」


「あの、わたし、あなたに会いたかったんです!」


 なぎはやっと会えた嬉しさで、頬が染まっていた。


「なぜですか?」


 白いウサ耳を生やした赤髪の青年は、微笑んで尋ねた。


「え……、それは、会えばわかるのかと……」


「じゃあ、すみませんが、手袋を取ってきてもらえませんか?」


「手袋?」


「ぼくの家の二階にあるはずです。小ヤギの皮で出来た手袋です。これから公爵夫人の家に行かないとならないので、手袋が必要なんです」


 なぎには意味不明だったが、あんなに急いでいた割には、その公爵夫人とやらの家にはまだ行ってなかったのかと、ちょっと思った。


「わかりました。二階のお部屋ですね?」

「はい。小物入れに入っていると思います」


 わかっているなら、どうして自分で取りに行かないのかしら?


 そうも思ったが、家に入ると、白ウサギが一階でカバンに書類を詰め始めたのを見て、なぎは階段を登って行った。


「二階って、……この部屋しかないみたいね」


 二階のフロア全体が一つの部屋になっていて、クローゼットや小物入れの棚はすぐに見つかった。

 棚にはウサギの耳の形の飾り板があった。

 床に敷かれたラグもウサギの形をしていて、部屋の中央には、広めのベッドが置かれ、ウサギの形をした枕なのかクッションなのかがあった。


「寝室なのかしら? なんだかかわいいわね」


 微笑ましく思いながら、早速小物入れの引き出しを開けると、皮の手袋があった。

 ベッドのサイドテーブルには、目立つようにガラスケースに菓子が入っていた。


「お菓子なんて食べるのね」


 なぎは、くすっと笑って、ケースの上からちょっと覗いてみた。


 中に見えるクッキーには、「EAT ME」とチョコレートで書かれている。


「『EAT ME』って、わたしを食べて……ってこと? クッキーを?」


 なぎが首を傾げていると、ウサギが階段を上がってきた。


「手袋は見つかりましたか。お礼にそのクッキーをどうぞ」


 にこやかにそう言うと、手袋を受け取り、カバンにしまう。


「そういえば、なんだかおなかが空いてるような……?」


 親切なウサギさんだな。

 そう思い、なぎはクッキーを口にした。


「『EAT ME』を食べたということは、『わたしを食べて』と言っているも同然ですよね?」

「え?」


 にっこり微笑んだ白ウサギの青年は、いきなりなぎをベッドに押し倒した。


 頬をペロッと舐めると、なぎが小さく「あっ」と声を上げた。


「気持ちいいですか? もっと?」


 ウサギはなぎの首筋にも舌を這わせていった。


      * * *


「ぎゃーっ! 何てことするんですかーっ!? あのエロウサギー!」


 鏡の前で、リゼが騒いだ。


「なぎさん、逃げてーっ!」


 鏡をバンバン叩く。


「あんな屁理屈で口説くなんて、サイテーです! アズサに申し訳が立たない!」


「うるさいぞ、そこのウサギ!」


 不機嫌な顔でキャンディが頬杖をついて文句を言うが、リゼは構わずキャンディの胸元のブラウスを掴んでがくがく揺すった。


「ぼくもあそこに連れて行ってください! なんとかアイツの魔の手からなぎさんを救わないと!」


「や、やめろ……ケーキが詰まって……く、苦し……!」


「ええっ!?」


 リゼが手を離すと、キャンディは苦しそうに喉に手を当てた。


 その背を弥月がバン! と叩くと、カップケーキの端が、ぽろっと吐き出された。

 ゲホゲホ言ってから、キャンディはリゼを見上げた。


「まったく危険なウサギだな! ボクに何かあったら、なぎも夢から出てこられなくなるって言ってるだろ?」


「うっ……で、でも……」


 青ざめた顔で落ち着かないリゼとは逆に、鏡に見入っていた弥月が言った。


「なぎなら、いないぜ」

「えっ!?」


 鏡の中では、うずくまってるリゼだけが映り、なぎの姿はなかった。


「『やだもー、くすぐったい!』とか言って笑ったら、うっかりリゼの腹を蹴り上げて、『ごめんなさいっ!』って脱出してたぜ」


「あ、……そ、そうですか……」


 ホッとしてすぐに複雑な表情になったリゼは、黙ってラグの上に座り込んだ。

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