アリス・クエスト
★ ★ ★
暗闇を落下していたはずのなぎは、怪我もなく降り立っていた。
一体、何が起きたのか理解出来ないが、ただただウサギの影を追っているうちに、巨大な草むらをかき分け、海に出ていた。
「いきなり海っ!?」
「夢の世界だからね。めちゃくちゃなんだよ」
その声に振り返ると、ローズガーデンで出会った少年キャンディが、にこにことしながら立っていた。
「ここは『不思議の国』という夢の国なんだよ。キミは、この世界を楽しんでくれればいいんだ。普段は頑張ってるけど報われない子に、ちょっとしたプレゼントだよ。夢の世界だけは自由にしていいんだよ。白ウサギを追ってごらん。やることはただそれだけ。簡単でしょ?」
なぎは、先ほどから、キャンディの頭の上に生えているものと、グレーのふさふさの尾のようなものを見つめていた。
「ああ、耳とシッポかい? ボクはこの『不思議の国』ではヤマネだからね」
「まさか、わたしもどこかに……?」
なぎが自分のスカートの後ろを見ると、尾のようなものはなかったのでホッとした。
だが、キャンディが取り出した手鏡を見ると、頭の上に黒いリボンがまるでウサギの耳のように二本あったのだった。現実世界ではワイヤーなどが入っていない限り有り得なかったが二本のリボンはピンと立ち、風がなくてもなびいていた。
「このリボンは何?」
「それをつけていると、とってもかわいいよ」
「そ、そう?」
なぎがリボンを触るが、なぜか外せそうになかった。
「いいじゃない、別にそれがあっても。キミたちだってディズニーランドに行ったらネコ耳とかネズ耳とかリボンとか付いたカチューシャを付けるんだろ? それと同じことさ」
「別にわたしは付けないけど」
「夢の世界にいる間はどうせ取れないから、気にしなくていいよ」
不思議そうな顔になるなぎに、キャンディは手を振った。
「それじゃ、この世界を楽しんでね」
「え? 一緒に行ってくれないの?」
「大丈夫だよ、なぎ、キミひとりでも。この世界では危険なことは何もないし、皆やさしい。ただの夢なんだから、目が覚めて現実に戻った時もここでの記憶はない。だから、安心して思い切り楽しんで」
手を振っていたはずのキャンディの姿は、次の瞬間、なぎの目の前からパッと消えた。
「え……?」
目を凝らしても、そこには砂浜と海が見えるだけで、彼の姿はない。
楽しい夢なら、覚めてからも記憶があるといいものだけど。
記憶……?
「ここに来るまでの間って、……わたし、何してたんだろう?」
荷物も何も持っていない。
水色の膝丈まであるワンピースを着ていて、白いサンダルを履いている。
普段はこんな服は着ていない……気がする。どこかに出かけようとしていたみたい。
この夢を見る前までの出来事が思い出せない。
キャンディのことは覚えていた。
だが、どうやって彼と出会ったのか、その前まで自分は何をしていたのか。
それだけではなく、どこに住んでいたのか、何をしていたのかまでまったく思い出せなかった。
覚えているのは、ただ自分の名前とキャンディだけ。
なぎは、一気に心細くなった。
ぼうっと佇んでいると、砂浜を走っているものたちを見つけた。
よく見てみると、ぴょこぴょこ走っているのは魚やネズミ、小さい鷲、カモや南国にいるような巨大なインコなどだ。
近付くにつれわかったのは、どれも自分と同じくらいの大きさだったということだった。
「やあ、珍しい! こんなところに『アリス』が来たとは!」
背後から声がして振り向くと、整えた黒髪に顎の下に短い髭を生やしたダンディな中年男だった。
「イケオジ……?」
海パンを履いた、日焼けした鍛えられた上半身の男は、海で泳いできたように海水を滴らせているのをタオルで拭きながら、にこっと笑った。
口元では、白い歯が光った。
* * *
「いきなり濃ゆいおっさん来たーっ! あいつは、ドードーじゃないか!」
弥月が鏡を見て言った。
海パンの後ろから、ふさふさの鳥の尾のようなものが垂れ下がっている。
「あいつ、トリのくせに、あんなイケオジに進化してるのか!?」
「しかも半裸で! 水も滴るいいオトコと言わんばかりに!」
弥月と紫庵が身を乗り出し、リゼも茫然と鏡を見つめる。
キャンディは高らかに笑った。
「『夢の国』にいるなぎは、現実世界のことは記憶にない。その方が存分に夢を楽しめるだろ? 当然、セクハラされたことも、紅茶館で働いていたことも、キミらのことも覚えていない」
「……てことは、セクハラがトラウマになって、今までオトコを拒絶していたなぎちゃんも……」
紫庵がリゼを見る。
キャンディが笑い声を上げた。
「そうだよ! トラウマに囚われることもなく、何も気にすることなく、素の彼女のままで自由にボーイ・ミーツ・ガール出来るってことだよ! 女子の夢がいっぱい詰まった夢の中で! それも、夢から覚めれば夢での記憶もなくなる。これから彼女はどんどんイケメンたちに出会っていく! それを、キミらはここで黙って指を加えて見ているしかない。最っ高だね!」
「でも、獣人だろ?」
弥月が、けろっと言った。
「あのカチューシャをすれば彼女もウサギになったようなものだから、本人も獣人に対して変だとは思わないし、気にならない」
「ふ〜ん」
弥月は気にも留めずに、キャンディとは別のソファであぐらをかいたが、紫庵とリゼの顔色は変わっていった。
「だからって、トリのおっさんを、あんな鍛えられたカラダのイケオジにするとは、どんなサービスだよ?」
「オマエにはないカッコ良さだからって、妬くなよ」
ニヤニヤとキャンディが笑う。
「なぎさん、ご無事で……」
リゼは祈るように呟いた。
★ ★ ★
「あ、あの……ドードーさんておっしゃいましたか?」
「ああ、いかにも、お嬢さん」
ドードーは、よく響く低音で答えた。
「あの、わたし、いろいろわからなくて。人を探している気がするんですけれど……」
「うんうん、そうだろう。なんでも教えてあげるよ」
ムキムキの筋肉から目を逸らせないでいるなぎに、ドードーは他のトリたちが運んできたフルーツや花で飾られたグラスを差し出した。
「暑いから、飲み物はいかがかね?」
グラスには、「DRINK ME」と書かれている。
「どんな人を探してるんだい? あちらのパラソルで聞いてあげよう」
イケオジはさりげなくなぎの肩を抱き、突然現れたパラソルに連れていく。
* * *
「ああっ! 知らない男に肩を抱かれても、なぎちゃんが嫌がってない!」
鏡を見入っていた紫庵が、声を上げる。
リゼも隣でまじまじと鏡を見つめる。
「言っただろ? 彼女のトラウマはなくなってるんだよ」
「へー、ホントだったんだ……?」
自慢気なキャンディは、弥月がそう言うのも満足気に眺めている。
★ ★ ★
「さあ、お嬢さん、聞かせてくれないか? いったい何があったのか、誰を探しているのか。私で良かったら、知っていることは全部答えよう」
「ありがとうございます、ドードーさん」
「さあ、まずは、そのジュースを飲んで」
グラスの「DRINK ME」の文字が濃く、先ほどより強調されているようだった。
「とても美味しいジュースだよ。さ、遠慮なく。お代もいらないから」
「本当に美味しそう」
ドードーの黒い瞳がじっとなぎを見つめる。
「きみは、なんて可愛らしい……」
なぎがグラスに口をつけようとする寸前だった。
ドードーが肩を抱き、顔を近付けていく。
「大変だ! もうこんな時間だ! 公爵夫人のところに急がなくちゃ! お待たせしたらヒドい目に合わされる!」
目の前を、あたふたと赤髪の長身の男が駆けていく。始めはなかった白い耳と白いフサフサの尾が、そして、服装までがハートの柄の赤と白の格子模様に変わっていた。
「白ウサギだわ!」
なぎがいきなり立ち上がるとテーブルが倒れ、ドードーとジュースは砂浜に突っ込んだ。
「ごめんなさい! 白ウサギを追いかけなきゃいけないのを思い出したので、急ぎます!」
なぎは「待って〜!」といいながら、青年を追いかけていった。
* * *
「ナイス! リゼ!」
紫庵が親指を上に向けてウインクして見せた。
キャンディがふてくされた顔をリゼに向ける。
「オマエは、なぎの恋路を邪魔するつもりか? 白ウサギ」
「そんなことぼくに言われても……」
「恋路も何も、あんなのただの不審者だろ?」
弥月が、リゼの淹れたアイスティーを飲みながら言った。
「でも、ぼく、なんだか変な服着てたし、耳もシッポもあって変でした。ぼくじゃないみたいで」
「だよなー、リゼは鏡の国では夜ウサギになっちゃうだけで、普段は耳とかシッポはねぇし」
「ボクの妄想……いや、想像の世界なんだから、別にいいだろ?」
「さっき、公爵夫人って言ってたな」
紫庵が呟くと、リゼと弥月が注目した。
「……ってことは、夢の中のリゼは、僕に会いに行くところなのかな?」
「そうかもね。あの評判の悪い公爵夫人は、オマエの母親だったもんね」
意地悪く、キャンディが答えた。
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