眠りネズミ

紫庵シアン、なぎさん見ませんでしたか?」


 洋館では、赤茶色のくせ毛、長身の白人男性リゼを、テーブルでベルガモットの香りを楽しみながらアールグレイ・ティーを飲んでいた長身の外国人が見上げた。


 褐色の肌に無造作に伸ばした黒髪をかき上げ、定休日くらいゆっくりしたいと言わんばかりの、水色と緑色の中間の色をした瞳を向けている。


「さっき、ローズガーデンの方に行ったのがそこの窓から見えたよ」

「それが、いなかったんです。待ち合わせてたのに。ローズガーデンも展望台も探しましたが」

「あんな見通しのいいところで見つからないわけないよな」


 首を傾げると、気怠そうに組んでいた足をほどき、紫庵は立ち上がった。


「おい、弥月ミツキ、お前、なぎちゃん知らない?」


 リビングのソファに寝転んでいた弥月が、むくっと起き上がり、もともと跳ね上がっていた金髪に寝グセがついているのも気にせず、腕を伸ばし、大きくあくびをしてから答えた。


「知らね」

「早く言えよ」


「ありすどこ行ったの?」


 弥月が半開きの瞳でく。


「だから言っただろ? ありすはユウさんのバーでお茶とパフェご馳走になって、ついでにチェスを教えて、その後、博士と一緒にスリランカの茶葉を見てくるご予定だ、って」

「あっそ。ありすいないんじゃ遊べないし、つまんねぇな〜」


 紫庵が答える隣で、リゼも続く。


「博士はこの間インドに行った時にぼくの時計を壊して帰ったからね、ありすが気を利かせて、一緒に行ってくれることにしたんだよ」


「お前も、よく大事な時計をりずに貸すよね?」

「仕方ないです、今お店は出張費が払えるほどお金ないんですから」

「……だよな」


 苦笑いする紫庵とリゼだった。


「なんか匂う」


 弥月が窓の方に目をやった。


「なんだって? まさか、なぎちゃんの元上司の、あのセクハラ豚野郎がまた来たのか!?」

「あの悪臭を放つ粗暴な大柄男性ですか!?」


 紫庵が顔をしかめ、リゼも窓の外を見張った。


「いや、あの豚野郎の匂いとは全然違う、もっと甘い匂いが……この匂いはジャムじゃなくて……シロップ!」


「あ!」


 窓の外を見ていたリゼが声を上げた。

 弥月も紫庵も見ると、サラッとした髪の外国人少年が立っていた。


「……きみは……誰?」


 窓を開けて問いかけたリゼに、少年は少し残念そうな顔になったが、弥月と紫庵を見て、ニンマリと笑った。


「キミらは知ってるよね、ボクのこと」


 弥月があんぐりと口を開けるのを、クックッと笑うと、少年は悦に入った顔になった。


「誰?」


「おおーい! まさかホントにこのボクを忘れたのか!? タルジーの森でアッサムと一緒にお茶を飲んでた仲じゃないか!」


「……ああっ!」


 弥月がぽんと手を打った。


「眠りネズミのキャンディ! お前か!」

「やっと思い出したか」


 少年は忌々いまいましそうな顔を、そのまま紫庵にも向けた。


「そして、お前は、ボクが一度ここに来た時、ネコ化して襲ってきたよな? あの時の恐怖は忘れてないぞ!」


「ああ〜、だと鏡の国の民はには動物化するんだよね〜。当然、お前もネズミになってたわけだからね」


「細かいことを言うと、ヤマネだ!」


「悪い、悪い! ネコ化してる時の記憶はなくてさ。それと、ヤマネって呼ぶとアズサとなぎちゃんみたいだからさ、とりあえずネズミでいいだろ?」


「……」


 キャンディは、じとっと、ニヤニヤ笑う紫庵をにらんだ。


「それで、お前、何しに来た?」


 きょとんとして尋ねた弥月を、キャンディは信じられないという顔で見上げた。


「お前、ボクがここにいて不思議に思わないの? お前とキ◯ガイ帽子男アッサムがボクに何をしたのか忘れたとは言わせないよ!」


「キチガ◯って言っちゃいけないらしいぜ」


「そんなことはどうでもいいよ!」


「そんなことはどうでもいいので、早くなぎさんを探さないと!」


 割り込んだリゼを、面白くなさそうに見上げた少年は、気を取り直したのか、ふふふと薄笑いを浮かべてみせた。


「あの子は『アリス』として、今は『不思議の国』に行ってるよ」


「え? なぎさんは、ありすではありませんよ?」


「あんた天然か!? それも相当な!? ありすと『アリス』を間違えてるわけじゃない。赤の国のプリンセス・ありすとは別に、ボクの選んだ少女を『アリス』として、ボクの造った『不思議の国』へ招待したのさ」


「『不思議の国』……?」


 なんのことかわかっていないリゼの隣では、紫庵と弥月は警戒したように、ピクッと目の端を上げた。


 キャンディはうっとりとした目になり、語り始めた。


「『不思議の国』で『アリス』となることは、お姫さまになれるも同然! ボクの『アリス』として選ばれるのは、相当ラッキーなんだよ! 地味で目立たなくて、幸薄さちうすそうな、恋愛とは無縁だった女の子に多くのアオハルを体験させてあげる、まさに夢のような夢さ!」


「お前、何気になぎちゃんのことバカにしてんの?」

「ヒドいです。まったく失礼なネズミですね!」


 呆れて手を腰に当てる紫庵に、少々プンスカとしたリゼが続いた。


 構わずうっとりと宙を見上げたまま、キャンディは語った。


「数々のイケメンたちが彼女を口説いていくことになる。ボクの想像の世界で幸せになってもらう、まさに夢の国……!」


 弥月が窓枠に手をかけて身を乗り出した。


「なあ、そんな変なネズミーランドなんかより、オレはディズニーランドの方が行きたいぜー!」


「黙れ、三月ウサギ! お前のことは連れて行ってやらない! なぎだけだ! アズサが歳を取ってしまったなら、今は、なぎがなんだからね! だいたい、お前はあのイカレた老害帽子男と一緒になって、このボクを暗い暗い闇の中に押し込んだ! ポットの中にシロップがなければ、生き延びられなかったよ。いいか、後で絶対仕返ししてやるからな、覚えておけよ!」


 威勢よく人差し指を突き出して睨みをきかせている少年を、弥月はぽか〜んとして眺めていた。


「ちなみに、夢の中で恋に落ちてイチャラブしようが恋愛依存症にもならないし、ここ現実世界ではなんの影響もない。子供が出来ることもない」


 えっへん、と咳払いをして、どうだと言わんばかりに、キャンディは言い放った。


「なんか今ものすごく危険な妄想設定を堂々と漏らしてましたよ!? 彼はインキュバスですか!?」


 リゼが慌てて紫庵に訴える。


「いや、夢魔じゃない。ただの妄想家だ」

「その妄想、止められないんでしょうか?」

「言っておくが!」


 と、キャンディが両手を腰に当て、そっくり返った。


「こいつ、急にハンプティ・ダンプティみたいに威張り出したぜ!」

「うるさいぞ、そこのウサギ!」


 弥月を睨みつけると、キャンディは弥月だけでなく、紫庵とリゼにも視線を移した。


「なぎが眠っている間、ボクに危害を加えてみろ? 彼女は永遠に夢の世界から出られない。彼女が自分でクエストを終えない限りは戻れないし、戻っても、夢での出来事は忘れてしまう。ほ〜ら、なにも問題はないだろ?」


 三人は無言で少年を見下ろす。


「ほんのわずかな時間、夢を見ているだけさ。有り得ないほどモテモテでアゲアゲの楽しい夢を。何がいけないんだい? まあ、夢の国の住人イコール鏡の国の住人で、キミらみたいな残念なイケメン獣人ばっかりだから、ラブラブになっても羨ましくも嫉妬のしようもないけどね」


 ふははっと笑ったキャンディを見てから、弥月が紫庵とリゼを振り返る。


「なんかすごい失礼なこと言ってるぜ?」

「ああ。とってもとっても失礼だな」


 呆れた目になった紫庵も、感情のこもっていない表情で肩をすくめた。


 真面目な顔で考えてから、リゼは顔を上げた。


「……どうしたら、クエストはクリアになって、なぎさんは目覚めるんですか?」

「彼女の決めたパートナーと花火を見たら」


 威張って答えるキャンディを見て、ぱちぱちっと瞬きをしてから弥月が言った。


「やっぱ、ディズニーランドじゃん?」

「まあ、でも、そんな可愛らしいものならまだ……」


 リゼと顔を見合わせた紫庵も「まあね」と言った。

 大した害にはならないだろうと、二人は踏んでいた。




「お茶!」

「はいはい、ただいまお持ちしまーす」


 紅茶館に裏口から入り、休憩室のソファに悠々と腰掛ける少年に、紫庵が適当な返事をして紅茶を運ぶ。


 目の前の暖炉の上の飾り棚マントルピースには置き時計と、燭台、小物入れが置いてあり、その上には全身がすっぽり入れそうなほどの、天井近くまである巨大な鏡がある。 


 そこには、彼らには見覚えのある、緑の多い見渡す限り自然の風景が映っていた。


「あっ、あそこ!」


 弥月が指差すと同時に、リゼと紫庵が叫んだ。


「なぎさん!」

「なぎちゃん!」


 水色のカジュアルなワンピースを着たなぎが、なぎよりも背の高い草むらをかき分けながら、ウロウロと進んでいるのが見えたのだった。

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