蛇足

番外:孤独なヒーロー・前

 あれは春先のことだったと思う。

 日中の日差しは暖かくて、遊んでいなさいと放置された庭では、上着のボタンを外していた気がする。別に駆け回っていたわけではないのだが。

 年上の従兄たちとは反りが合わないし、お互い上辺だけの笑顔でやり取りしていた。年下の従妹はまだ小さくて話が合うどころではない。

 お婆様の家本家はいつ来ても肩が凝る。


 母もその雰囲気が苦手だと極力足を向けないくせに、俺には従兄の二人に負けるなと、あれこれ口を挟んできていた。大きくなった今では伯母様と張り合いたかったのだろうと解るのだけど、あの伯母様を負かせるような人間なら、父の嫁になっていなかったのではないかとも思う。

 そんな感じで、八歳だか九歳だかの俺は、ずいぶん人生を達観した子供だった。

 「頭いいね」とか「大人っぽいね」とか、黒縁の眼鏡のせいか「ガリ勉メガネ」なんて陰口を言われもしたけれど、反論するエネルギーも無駄だと思っていたので、大方はただ無口な人間と思われていただろう。

 家では勉強しているふりでアニメを見たりゲームもしたし、特に話題に入ることはなかったけれど、周囲の話に乗り遅れていることもなかった。


 『崋山院』というカテゴリが、どこに行っても特殊だと気づくのは、もう少し後だ。


 だから、その時の集まりでもなんとなく従兄たちの後をついて歩いて、橋ではなく、飛び石を渡っていく彼らの真似をして渡った。従兄には、おとなしく追従しておけば物事はだいたい上手くいったから。

 それが間違いだと気が付いたのは、背後でドボンと派手な着水音がしてからだ。

 俺が従兄たちの後をついて行ったように、従妹も俺についてきたらしい。

 全員が振り返って、かいさんが「あ〜……」と低い声を漏らす。

 水の中に座り込んだ格好の少女はぱちぱちと瞬いた後、落ちた時に擦りむいたのか、血のにじんだ手を見たとたん泣き出した。


 従兄たちは顔を見合わせて、距離が一番近い僕へと「任せた」という視線を向ける。

 ずるいな、と思いつつ、小さい子を助ける図は大人たちへのアピールになるかもしれないと、ちょっと計算もしていた。

 手を引いても起き上がってこないので、仕方なく水に入り込んで抱き上げる。思ったよりも水が冷たくて、顔をしかめてしまった。彼女は濡れていることなどお構いなしにぎゅっと抱き着いてくるし、こちらまで濡れネズミだ。

 ようよう土の上に下ろしたところで、女性の使用人が飛んできた。「着替えを」と、彼女……紫陽しはるを抱きかかえて、俺の背中を押す。


 着替えて案内されるまま行けば、伯母様が待っていた。

 いつもピリピリとした人で、きっと負けることを自分が一番許せない人なんだろうなと思う。

 思いはするが、好きかどうかはまた別で、どちらかといえばやはり好きじゃない。

 他に人がいなくて二人きりというのもあまりないことで、少し緊張していた。


「何があったの?」


 詰問調の声に肩が強張る。こういう時、黙っている方が事態は悪くなると知っているけれど、声はなかなか出てこなかった。


「桐人たちは見ていないと言うし、あなたが突き落としたんじゃないでしょうね?」

「ち、ちがう! ちがい、ます」


 さすがにあらぬ疑いには声が出た。ちょっと呼吸を整えて、自分も何もしてないし、ついてきたのに気付かなかったと、ありのままを話した。


「ああ。もう。小さい子が見ているのだから、あなたたちが模範的な行動を見せないといけないでしょう? 桐人たちにも言うけれど、紫陽の前であまり変なことはしないでちょうだい。あの子は女の子だし、目立つ傷でも残ると色々大変なの。あの子にも言い聞かせはするけど、どこまで理解してくれるか……」


 目立つ場所に傷が残ると、嫁に出したくても支障が出る。そんな風に言いたいのかと勘ぐってしまう。(そんな風に思ったのは、当時何か古い漫画を読んだせいだと思う)

 だから、まあ、言い訳というほどではないが、ほんの軽い気持ちで口をついたのだ。ケガの程度が軽いのも知っていたし、そんなことにはならないと高をくくってもいた。


「じゃあ、もし紫陽の貰い手がいないようなら、僕が責任をもって面倒を見ます」


 伯母様は一瞬言葉を失って、それからそれまでの倍くらいの勢いで怒り出した。

 「そういう問題じゃない」とか、「軽々しくそういうことを言うな」とか、「崋山院として自覚を持て」とか……他にもあった気がするけど、びっくりしすぎてあんまり覚えてない。その場しのぎに聞こえたのだとしても、それほど怒られるようなことだとは思えなかった。でも、もしかしたら、彼女は紫陽が崋山院にとても利をもたらすようになるかもと、お婆様はそう育てるのだと、どこかで思っていたのかもしれない。


「おばさま……! ごめんなさい! わたしがかってにおちたの。ふじくんをおこらないで」


 ぱたぱたと駆けてきて、紫陽は俺に横から抱き着いた。

 そのまま今度は紫陽が叱られている。

 俺に抱きついたまま顔も伏せている紫陽に呆れたのか、諦めたのか。伯母様は深く溜息をつくと、「今日は紫陽から目を離さないように」と俺に言いつけて行ってしまった。




 理不尽に怒られた上に幼児の面倒まで押し付けられて、俺はちょっと不機嫌だった。紫陽はそんなことに気付きもせず、どこかで聞いたような歌を歌いながら気ままに歩いて行く。見失う訳にもいかず、少し後ろをついていけば、いつもは入り込まないような庭の奥まで来ていた。物珍しさでキョロキョロしてしまう。


「あ! つばめ!」


 弾んだ声がしたかと思うと、紫陽は駆け出した。慌てて後を追う。

 確かに紫陽の視線の先には燕が飛んでいて、しかも何やら暴れている。よく見れば、木の枝を伝って猫が卵を狙っていた。


「ねこ! ねーこ! だめよ!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら抗議しても、小さな紫陽ではまったく脅威にならない。俺がジャンプしてもちょっと届かない高さだったから、石とか落ちていた枝を投げつけて、どうにか追い払ってやった。


「ふじくん、すごいねぇ! ニャンジャマンみたい!」


 キラキラした目をしながら、近頃人気のヒーローもののアニメに例えられる。


「……ニャンジャマン見てるのか?」


 そういえば、さっきの鼻歌はニャンジャマンの主題歌だったかもしれない。


「うん! おべんきょうおわったらみていいのよ? あのね。つばめはしあわせをはこんでくれるの! ふじくんもしあわせね!」

「あー……うん?」


 話題が飛びすぎてついていけない。


「そうだ! ふじくんがニャンジャマンなら、わたしは……」


 Uターンして戻ってきた話題に、マー・タタ姫かな、と、その稀有な能力故に毎回敵に攫われるヒロインを思い浮かべる。

 去年はよく姫になりきっている女子を見かけた。一度も助けたいと思ったことはないけど。まあ、紫陽なら小さいから、お姫様抱っこもそう苦じゃないだろう。

 姫を助け出すときの決まり文句を思い出しながら、従兄たちが見えなくて良かったと思う。さすがにちょっと恥ずかしい。

 片膝をついて手を差し出そうとした俺に、紫陽はビシッと指を突き付けた。


「勘違いするな? 俺はいつかおまえを倒す。だが、今はその時じゃない。戦うべき時でないのなら、背中を預けるのも一興!」


 突然の流暢りゅうちょうなセリフ回しに、ぽかんとしてしまった。


「『解っているとも。だから今お前はニャンジャブラックだ』でしょ!?」


 幼児にダメ出しを喰らってしまった……

 敵方でありながら、たびたび主人公を助けてくれる仮面の黒装束の戦士。一部女子には確かに人気のようだが、幼児の選択としてはだいぶマニアックではないだろうか。


「……いつかその時が来るまでは、我らの正義を貫こうぞ」


 高々と上げられる小さな掌が、パァンと思いの外いい音を立てて合わされる。


「うふふ。ふじくんがピンチのときは、しはるがかけつけるね!」


 ニャンジャマンじゃないのかと苦笑して、ガキ臭い対抗心が湧く。


「ニャンジャマンは時々ピンチになるけど、俺はならないぞ。ピンチを助けるのは俺だけだ」

「なにそれ! ずるい! ずーるーいー!」


 ぽかぽかと殴られて、笑ってしまう。助けるといってるのに怒られるなんて訳がわからない。


「わかった。わかったって。じゃあ、お互いがピンチになったら、助けることな」

「うん! やくそく!」


 まあ、所詮子供の言うことだ。すぐに忘れるんだろう。

 そう思いつつ、どうしてか俺は、その約束を忘れることが出来なかった。




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