69.次代
ジーナさんの店に夜来るのは初めてだった。
結構怪しい人もいると聞くので、個室を貸し切っている。カフェの装いとは違う、間接照明で照らされた店内は、ジャズなんて流れていて大人の雰囲気だった。
「いらっしゃいませ」と迎えてくれたボーイさんが、流れるように奥に案内してくれる。途中で白いチャイナ服のジーナさんが変わった。
「
心なしか、笑顔が怖い。
「……お久しぶりです。お元気ですか?」
「最近ようやくベッドで寝られるようになったわよ? お父様にはくれぐれも、くれぐれも! よろしく言っておいてね?」
「聞く耳持つかはわかりませんが、伝えておきます」
苦笑すれば、ふう、と息をついて飛燕を見やった。
「飛燕ちゃんの調子はどう?」
「特に変わりありませんが。ジーナ様は今日もお綺麗にしてますね」
「お世辞が上手くなったわねー。お部屋はそこだけど……ちょっと飛燕ちゃん貸してくれない?」
「どうする? 飛燕」
飛燕はちょっと悩んで、「では行ってきます」とジーナさんについて行った。
ドアを開ければ、すでに二人は座っている。思わず時間を確かめて、まだ時間前なのを確認してしまった。
「お待たせしちゃった? 冨士君、よく間に合ったね」
「用事があるなら調整するだろう」
「紫陽さん、久しぶり!」
「お久しぶりです」
ドリンクを選んで二人の前に座る。
「……なんで並んで座ってるの?」
「飛燕さんも来ると思ったから……一人で来たの?」
「うるさい旦那は来なかったんだな」
「まだ旦那じゃないから! 飛燕は、ジーナさんが貸してって。そのうち戻ってくると思うけど」
ずれにずれ込んだ食事会は久しぶりの顔合わせではあったんだけど、日程合わせのために結構連絡取り合っていたので、気分的にはそう懐かしいという感じでもない。
運ばれてきたドリンクで乾杯して、「お疲れ様」と労をねぎらう。
「あ。それだ。買ってもらったヤツ。見てもいい?」
「どうぞ」
右の薬指から外して、天野さんに渡す。胸元で揺れる紫陽花に笑ってから、彼は丁寧に指輪を受け取った。
「失くされるぞ。それも、よく嫌な顔されないな」
「冨士君には渡さないから大丈夫。これも、いい顔はしないんだけど、可愛いに罪はないし……時々で、一緒につけてるなら、渋々?」
「ちょっと待て。聞き捨てならないことを言わなかったか?」
天野さんが吹き出してる。
「紫陽さんも言うようになったね。エメラルドとアメトリンかぁ。控えめだけど、よく見たら紫陽花色だ」
「誕生日の石らしいの。色は偶然なんだけど」
アメトリンの横に小さいエメラルドがついていて、ちょうど紫陽花の花と葉のように見える。安藤にも相談したんだろうけど、センスがないという割に頑張った選択だと思う。普段使いしやすいようにシンプルに石も埋めこまれているタイプで、服に引っ掛ける心配もない。
婚約指輪というわけでもないけど、着けておけと言われるので、すっかり日焼けの痕がついてしまった。
戻ってくる指輪を憮然と視線で追いながら、冨士君はビールを傾けた。
「やっぱりちょっと面白くないとかあんの?」
「は?」
「冨士君もプロポーズしたって聞いたけど」
傾けたビールを吹き出して、冨士君は咳き込んだ。
「だっ……どこ、から!! 違う!!」
「あれ? だって、冨士君も紫陽さんのこと、好きだろう? よく考えてみたら冨士君、興味ない人の方が丁寧に対応するもん」
「お前は、適当に思いついたことポンポン喋るのやめろ! あれはプロポーズじゃなくて協力してもいいというだけの話だし、その話を知ってる人間は限られてるからな? 飛燕は言うはずないし、紫陽は――プロポーズだと思ってないだろうし」
「ツバメさんに聞いたけど」
天野さんの胸ぐらを掴んだまま、冨士君は深く息を吐きながら脱力した。
「紫陽……あのおっさんに、いい年して手の込んだ嫌がらせはやめろと伝えておけ!」
「嫌がらせなの? っていうか、ツバメとやり取りしてるの?」
「あ、俺、父さんと『オルタンシア』に移ることになったから、社員証作る関係で手続きしてたら……あれ。そういえば割り込みだったかな。まあ、そんな感じでなんとなく。冨士君ともゲームのスコアで張り合ってるらしいじゃん」
「張り合ってはいない」
「いや、お互い数字だけ送り合ってるログ、割と狂気だから……」
「だから、なんでそんなこと!!」
私を睨まれても。
「……楽しそうね? えっと、『天龍社』の方はどうなるの?」
ツバメへの文句を私に向けられても困るので、話題を変えてみる。意外とフランクな付き合いを続けているようなのは、いい傾向なのかもしれないけど。
「うん。他二人に任せて、それでも久我と上手くいかないようならまた考えるって。父さんと仲のいいとこは割と情報欲しがってるから、久我側の下請けも動きがあるかもしれない。冨士君は来ないの?」
父さんと仕事をしたいと思っているはずの冨士君が、崋山院に残るというのはどうしてか……私も気になるところだ。
「崋山院は今ダメージが大きいから。たぶん、今やっと紫苑さんがだいぶ支えていたこと実感してると思う。ここで少し踏ん張れれば、力はつくと思うし、紫苑さんの変わり……というのはちょっとおこがましいんだが、そうなれるようやってみたくて」
「うわ。真面目」
「茶化すな。言ってみたところで、俺がいなくても崋山院は立ち直る。父も社長もヤワじゃない。それも、わかってるさ」
「そっか。じゃあ、景気づけに若者でイベントやろうぜ。俺デザインやるから冨士君設計な」
「それ、今やるなら久我から誰か呼ばないと意味ないぞ」
「だな。飛びつくの何人かいそうなんだよ」
今は二つの大きな柱が、近いうちに三つになって、そのうち円を描くようになるのかもしれない。まだ話に混ざれない私は、少し羨ましく二人を見る。
静かに戻ってきて、隣に座った飛燕の口の端に赤い口紅が残っていた。ちょっと笑いながらティッシュを渡してあげる。
「襲われたの?」
「……試してみたい、と、言われて……私は『飛燕』だからと再三申し上げたのですが……」
「どうだった?」
「わかりません。毒ではありませんでした」
口元を押さえて、少し紅潮した頬で戸惑う様子は、私がさせられる表情ではなくて新鮮だ。
飛燕もボディガードから秘書へ転向する日が来るかもしれない。プログラムを入れ替えるだけと言われればそうなのだろうけど。
「何事も経験ね」
「……そうでしょうか?」
「何が役に立つか、わからないものよ……って、お婆ちゃんは言ってたもの」
天井に映し出される
☆ 第三部「月に叢雲風に花」 終幕 ☆
宙の花標・完
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