68.団円

 肩から落ちて顔にかかった髪を、ツバメの大きな手が掬い上げて耳にかけた。指先が、わざとらしく耳や頬や首筋をくすぐっていく。


「譲るって……タダでってこと?」


 ツバメは少しだけ肩をすくめるような仕草をした。

 取り乱していた先ほどまでなら、飛びついていたかもしれない。でも、今ならあれこれをちゃんと思い出せる。ツバメは、一度手に入れたものは手放さない。身体の関係だけで譲るなんてきっとない。以前に同じように言った私の誘いも断ってる。これは意趣返しなのかも。私は、試されているのかもしれない。


「タダほど高いものはないって、お婆ちゃんが。魅力的な提案だけど、できれば私がまともな交渉ができるまで待っててくれないかな」

「二年?」

「その後、庭師ガーデナーの勉強をしたいから、三年か、四年」

「なげーよ」

「どっちにしても、ツバメは手放す気なんてないんでしょう? だったら、星に関わっていくのに必要なスキルを身に着けて、雇ってくださいって面接に行くわ」


 くくっと、ツバメは楽しそうに笑った。初めてまともに彼の笑顔を見たかもしれない。


「宇宙船の運転も覚えた方がいいぞ」

「あっ。やることを増やさないで! これでも、一番短くて済む方法を……」


 ぐいと頭を引かれた。

 煙草の匂いが近づいて、唇が触れ合う。抵抗はしなかったけど、放してもくれなかった。

 やや長い触れ合うだけのキスの後、照れくさくてまた顔をそむけた私の頬に、ツバメは起き上がってキスをした。胸元にも。


「ツ、ツバメっ」

「うるせぇっ。今日はこれで終いだ。四年か? その間に他の男に手ぇ出させたら、その男殺すぞ。自分がどういう男をその気にさせたのか、後悔するがいい」


 どうして捨て台詞みたいになってるのか、ちょっと理解が追いつかない。


「えっと……四年後には、雇ってくれるんだよね?」


 おそるおそる確認した私をちょっとぽかんと凝視して、ツバメは頭をガリガリと掻いた。


「なんで伝わってねぇんだ? 嫁に来いって言ってるんだ」

「はい!?」


 なんで伝わると思ってるの!?


「紫陽も俺もちょっとそういうことに疎いから、雇用形態の方がしっくりくるのは解ると思ったんだが……マジで面接に来るつもりか? どっちでもいいが、俺は手付金もらったから、は我慢しねぇぞ」

「て、つけきん? そっち?」


 ツバメの人差し指が私の唇に触れた。また頬が熱くなる。


「あっ。あ、でも、もうそんなに価値は……」


 以前に、私のキスは高額だという話をしたことを思い出して、現在はどうだろうと身を縮める。

 ツバメは不思議そうに首を傾げた。


「俺にとって価値がありゃあ別に問題ないだろ」

「ア、ハイ」


 価値があるんだと思って、の意味が解ったら全身が赤くなった気がする。


「あ、あの、でもどうして急に結婚?」


 ツバメの口から、一番出るわけないと思ってる単語だもの。


「『夫婦でともに築き上げたものは共有財産とみなされる』だったか? すぐにとはいかないが、一緒に花の世話や蜂の世話をしてりゃあ、星は俺だけのものと言えなくなる。返す気はさらさらねぇが、それなら、まあ、仕方ない……よな。寿命的にも俺が先に死ぬんだろうし、そうしたら」


 他に身内のいないツバメの財産は、自動的にお嫁さんのものになる。

 ようやく思い至って涙が出そうになった。


「……父さんが、そういうことを言ったの?」


 ちっ、と舌を打って、ツバメはちょっとだけ口ごもった。


「言った。が」


 逡巡したものの、曇る私の顔を見ると、続けた。


「だいぶ前から、他の奴には渡したくねぇと、俺は勝手に……思ってたみてーだから……」


 伸ばされた手が、もう一度胸元をそっと拭う。


「気付かされたら、言い訳はできねえ。本当は、津波黒の名は残したくもないんだが、アイツの苗字を名乗るのもなんかムカつくから、紫陽が好きな方を選べばいい」

「無理してない?」

「義理人情に流される人間じゃねーって。たぶん、紫陽の方が大変だ……仕事も、新しい会社のシステム系任せるって話を……されて? くそ、言ってたらやっぱりちょっと嵌められてねぇか? あわよくば氏名ロンダリングでこき使う予定じゃね?」


 ちょっと我に返ってきたツバメを笑う。


「まだ間に合うよ?」

「お嬢さんが断る気はねーのかよ」

「……無いかな」

「じゃあ、無理だ。俺は手放せない。くっそムカつく」


 やや乱暴に抱き寄せられて、二度目の契約キスを交わしてしまい、星はいつかの未来に戻ってくることが確約された。





 『崋山院次男の反乱』と題されて、それからしばらくの間、世間は大騒ぎだった。本人は飄々と「宣伝代わりだ」と毎日マスコミを連れ歩いている。私や揚羽さんのところにもたまにカメラが来るのだけど、その都度「家族には迷惑かけないように」と、どこからか圧力がかかるらしい。


 相馬の方でも『崋山院』でなくなった人間にうま味が無くなったのか、それ以上の関りは逆にマイナスと踏んだのか(あるいは久我の方でストップがかかったのかも)、天野さんも無事に解放されたようで、連絡が来てほっとした。

 少ししたら現状報告も兼ねてご飯でも食べようと、グループチャットで会話する。

 冨士君は「懲りないやつらだ」と溜息をついてるけど、断らないのだから同類だと思う。


 父さんは結局、担当していた顧客や業者を三分の一くらい引き抜いてきたらしい。横山さんはこの先の崋山院の情報収集のため、という理由で父さんに残留を言いつけられたそうだ。だいぶ私情が入っているような気がする。ただ、安藤がアクセスするための踏み台となるはずなので、安藤の存在は気付かせてあげるのかもしれない。

 崋山院から分かれた安藤は、そのうち『オルタンシアエステート』のメインアシスタントに収められる。アンドゥはそのままだけど、担当がツバメなので不都合はないだろう。


 ツバメは、蜂蜜の委託販売契約を結んで、完全リモートでシステム開発部に所属する。二つ目のドームと、採蜜時など繁忙期の人材提供を受けて、少しずつ儲けを増やしていくということだ。

 揚羽さんの働く『高城造園』とも業務提携を結ぶ予定ということで、仕入れや輸送も今まで通りだ。私もできるところは手伝っていこうと思う。




 いつの間にか夏が過ぎ、金木犀の香りが漂う頃、ようやくあれこれが落ち着いてきた。




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