67.誘惑
「冨士君の交渉は終わってる、とは聞いたんだけど、関係あるってことよね?」
「ああ、そうですか。では、そこだけ。冨士様は将来的に
「え!?」
「今の崋山院には魅力がないそうです。そういうところ、ちょっと、若い頃の紫苑様に似ていて、崋山院の血は面白いなぁ、と。出来上がった山をデコレーションしていく者と、まったく興味ない者と……」
少し嬉しそうにそう言うのは、お爺ちゃんの気質なんだろうか。
「
こちらの安藤は、星の行く先が決まった後の指示は何もなかったのだと気づく。お婆ちゃんの遺言の最後の言葉は、そのためのものだったのだ。未熟なばかりの私にお婆ちゃんは何を期待していたのか……あるいは、期待ではなかったのか……
まだ答えが出そうにない疑問は少し脇に置いて、私は次の質問をする。
「指紋データを取るように指示したのも父さんなの?」
「そうですね。相馬に持ちかけて、信用させろ、油断を誘え、と。実の父親の手に渡るのなら、普通はそれ以上警戒しませんからね。あまり、恨まないでいてあげてください」
「つまり、父さんが全部悪いってことね」
口を尖らせれば、酷く困った顔で安藤は笑った。
「紫苑様も、貧乏くじがお好きなので……できれば許して差し上げてください。相馬が強行策に出たところで、紫苑様は崋山院と完全に縁を切る決意をされたのです。以前からそんな日のために少しずつ準備はされていたようなのですが……」
「それは……どうかな。ツバメとは何を話してるの? 安藤、向こうでも聴いてるんでしょ?」
「これからのことですよ。ツバメが、どうしたいのか……ツバメも選び取るのが下手くそですからね」
そう言われてみれば確かにそうだ。私と同じように、ツバメの選べる道も多くなかったのだろう。
「星は売らないって言ってたから……そこは、大丈夫よね?」
焦っていたとはいえ、お金で解決しようとした自分をちょっと反省する。私だってずっと売らないって決めていたのに。崋山院の名に甘えていたと、よくわかる発言だ。前に冨士君に言われたことが深々と刺さっていく。
ふっと苦しくなった息を吐き出したら、そういえば冨士君が出ていく前に何か言っていたなと思い出した。
「飛燕、さっき冨士君なんて言ってたっけ」
飛燕は何故か数秒黙ったので、調子が悪いのかとその顔に手を伸ばしてみる。私とツバメを受け止めた時の衝撃が、今頃どこかに不具合を生じさせてもおかしくはない。ずっとツバメといたはずだから、何かあれば手当てしてくれているはずだけど……
「飛燕?」
私の手が届く前に、飛燕は立ち上がった。ドアに向かっていくのを、目で追ってしまう。
「大丈夫です。冨士様の言葉を復唱しますね。『紫陽。俺はしばらくこのまま崋山院にいる。レースには参加するつもりはないが、手を抜くつもりもない。もし、紫陽が崋山院の名前を必要とするなら……できることはある、と、覚えておけ』」
わざわざ一言一句までそのまま復唱して、飛燕はドアを開けた。
そこにはノックしようとこぶしを上げたまま、ツバメが立っていた。飛燕と視線を合わせて、ちょっと引きつった顔をしている。
「どうぞ」
そう、笑みを含んだ声が聞こえた。そして、そのままツバメと入れ替わるようにして出ていってしまう。
「え? 飛燕?」
呼びかけても、もうドアは閉まっていて、ツバメが所在なげに立っているだけ。目が合ってもなんとなく気まずくて、お互いすぐ逸らしてしまう。
ふっと一度力強く息を吐いてから、ツバメはずかずかとやってきて、私が座っているベッドの足元の方にどっかりと腰を下ろした。衝撃でベッドが揺れる。
「……誰に泣かされたんだよ。……俺か?」
「うぇ!?」
変な声が出て、飛燕に濡れタオルをもらわなかったことも後悔する。赤くなる顔を思わず押さえて、でもツバメは正面を向いたままだったので、顔を突き合わせなくてもいいように、わざとそこに座ったのだとわかった。
「だ、誰というわけでは……いろいろ、混ざって……あの、さっきのは、私も考えなしの発言だったし、ごめん、なさい」
「……お嬢さんが先に謝んのかよ……」
前屈みになって、自分の膝に頬杖をついてツバメはぼやく。
「じゃあ、お嬢さんはそれで諦めて終わりでいいか? 俺も、言い方が悪かったって言いに来たんだが」
「あ、諦めたいわけじゃなくて……安易にお金の話にしたのが悪かったなって。……父さんと、何話したの?」
「ん? んー……商談?」
「商談!?」
早急にって、そういうこと?
自分の父親ながら呆れてしまう。
「職の斡旋とか……まあ、そういう、星の維持費をどこから捻出するかという、具体的かつ、真っ当なノウハウを……」
頭をガリガリかきながら、ツバメは溜息をついた。
「なんか、言いくるめられた気がしてきた」
チッと舌打ちをして、ツバメは今度は後ろに倒れてきた。ちょうど私の膝に頭が乗る。腫れた目元を見上げられるのが嫌で、ぷいと顔を逸らした。
「お嬢さんは――もう、違うのか。まあ、あの親父がいれば、すぐ『お嬢さん』に戻るんだろうけど。紫陽は」
言い直された呼び捨てにドキリとする。目の端で感じるまっすぐ伸びた視線も照れくさい。
「紫陽は、星を取り戻すために崋山院に戻る気はあんのか?」
「戻る? どうやって? 伯母様に私だけ頭を下げる気はないし……それに、崋山院に戻ったからって星は手に入らないでしょ? よくわからないけど、しばらくは学業に専念するつもり。中途半端で何もできないのは嫌だもの……」
ツバメはちょっと苦笑したようだった。
「お坊ちゃんがご丁寧に言ってくれてんだろ。丁寧すぎて伝わってねーのか……」
「え? 冨士君? あ、えーと、そうね? なんだか、そんなことを言ってた……かな? ちゃんと考える前にツバメが来たんだもの」
不意に伸びてきた指が、鎖骨の真ん中辺りを拭った。前にツバメが痕をつけたところ。心臓が跳ねる。
「じゃあ……俺のものになったら、譲ってやってもいい、って言ったらどうする?」
思わず見下ろしてしまって、ツバメの視線に捕まった。
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