60.決手

「あれの中身は何?」


 天野さんの様子から、変なものではなさそうだけど、訊いておく。


「ただの伝言。お前はそのままもうちょっとそうしてろって。……紫陽しはるにも、「おとなしくしてろ」と言ったはずだが」

「脅しにしか聞こえなかったもの!」

「信用してくれてるんじゃなかったのか?」


 自虐なのか、嫌味なのか、薄く笑って眼鏡のブリッジを少し押し上げる仕草は、さっきまでのへたり込んでた姿と違って可愛くない。


「もう少し待っていてくれれば、安全に出してやったのに……」


 溜息をこぼしながらツバメや飛燕を見る目つきには、複雑な思いが見て取れた。


「どうするつもりだったんだよ?」

キーさえあれば、ドアは開く。建物の管理会社にはマスターキーがあるだろ。万が一久我の者に見咎められても、俺は一応関係者だ。しばらくは言い逃れできる」

「ほぉん。そうかい。無駄足でご愁傷様。あとは任せて、帰っていいぜ」

「そうもいかない」


 冨士君とツバメの間にぴりっと冷たい糸が張りつめた。


「紫陽には、もうしばらく隠れていてもらわないと。崋山院からも」

「……なに?」


 付け足された一言に、ツバメが眉を寄せた。


「紫陽は聞いたんだろう? 相馬が別の交渉をしてるってこと。社の利益になるなら、社長は否を言わないかもしれない。君が龍臣を嫌ってないと知っているからな。その線で話が進まれると、どうしようもなくなる。力ずくで拇印を押されるようなことを避けるには、本人を隠すしかない」

「それで、冨士君は私の指紋で交渉をするの? 何を?」


 全体の絵は見えてきた。でも、冨士君が何をしたいのかが見えてこない。

 ふっと彼は笑った。


「俺の交渉はずいぶん前に。さあ、どうする? このままここでぐずぐずしてたくないんでな。俺と来るか……このまま崋山院に身を任せるか」


 差し出された手をじっと見つめてしまう。冨士君を疑う気持ちは大きくない。でも、彼と行ってどうなるのかも不安がないわけじゃない。


「……冨士君も、崋山院だよね」

「紫陽もな」


 決めかねる私を、ツバメが抱き上げた。


「じゃあ、星に連れてく。あそこなら文句ねーだろ」


 このまま連れ去ります、というような雰囲気に、嫌ではないけど少し困ると態度で反抗しておく。


「それも考えはしたが、距離的にちょっと。あと、宇宙港は張られているかもしれない。先のためには、乱闘みたいな派手なことはやめてほしいし……まぁ、信用ならんというのも理解する。だからどうだろう? あなたの猫、あれを紫陽に貸すというのは」


 ツバメも飛燕も一瞬だけ「は?」という顔をして、それから顔を見合わせた。


「アンドゥ?」

「紫陽に懐いているようだし、あなたのことだ。何かしらの通信方法も積んでるんだろ? その代わり、あなたたちには少し黙っててもらうことになる。そう、長くはない、と言っておこう」

「おま……」

「決めるのは紫陽だ。俺は紫陽の決定に従う。ここに連れて来た時も、無理にした覚えはない」


 抱き上げられたまま、いつもより近い距離でツバメと目が合う。

 力で解決することなら、ツバメに頼るのも悪くないけど……


「……星は守られる?」

「おそらく」


 決め手だった。

 冨士君は言わなかったり、主語を誤魔化したことはあるけど、どれも嘘ではなかった。

 少し身を捩って冨士君に手を伸ばす。


「お嬢さんっ」


 咎めるのではなく、心配そうな響きに笑いかける。


「アンドゥを貸してね。崋山院の問題は、崋山院が片付けなくちゃ」


 ツバメの力が緩んで、冨士君の手に手が届く。軽く握り返されたところで、冨士君は苦笑した。


「まあ、カッコつけてみても、バイクがああだから。ひとりならいいんだが、紫陽を乗せるのは心配だ。あれも運べる車を用意してもらえると、ありがたいんだが」


 ツバメはちょっと呆れた顔をして私を抱え直すと(その拍子に冨士君の手は離れてしまった)、紅余ホンユーさんを振り返った。


「こっちで用意するよか、お前の方が早いだろ」

「違うバイクを取りに行くまでだから、送っていただけるなら、さらにありがたい。車、返す手間もなくなるんで」


 紅余ホンユーさんは肩をすくめて、端末でどこかに連絡を入れてくれた。


「その間に、紫陽の着替えも用意してもらうといい。二、三日分で大丈夫だと思うが、シャワーなんかはないからスプレー式のシャンプーとか、汗拭きシートがあるといいかもな」


 冨士君は自分の端末でどこかの地図を出すと飛燕に見せた。


「待ち合わせるなら、そこで」


 飛燕は面白くなさそうに冨士君を睨みつけつつも、黙って頷いた。

 場所を移して、ツバメたちが乗ってきた車で待機する。車にはアンドゥが留守番していて、尻尾をゆるりと振って迎えてくれた。

 冨士君が倒れたバイクを点検しに行っている間に、飛燕とツバメに本当にいいのか確認される。特に飛燕は、一度私を見失ったのがだいぶショックだったようだ。


「ごめんね。でも、今度はアンドゥが一緒だから。通信も特に禁じられてないし、報告くらいはできるみたいだし。何をするのか知らないけど、やっぱり疑うよりは信じたいから……冨士君の言う、もう二、三日が過ぎたら、迎えに来て?」


 飛燕を渋々納得させて(と、いうよりは、命令に従った形なのかもしれないけど)、紅余ホンユーさんの用意してくれた軽トラにバイクを積み込んで向かったのは、高速のとあるパーキングエリアだった。




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