59.同胞

 しばらく、誰も動かなかった。

 飛燕がそっとツバメを下ろすと、ツバメは私を抱えたまま尻もちをついた。私を抱きしめる両腕は緩まず、重力でますます密着感が増す。

 息を詰めていたらしいツバメがようやく息を吸い込むと、ドン、と彼の心臓が強く鳴った。他人の心臓の音ではなく拍動が顔に響くのを初めて感じる。そのまま早鐘を打つその音を、動けない私はただ黙って聞いていた。


「……紫陽しはる……?」


 走ってきたのに、その場に立ち尽くして怖々と私を呼ぶ声に、ようやくツバメの腕も緩んだ。顔を上げて振り返れば、冨士君もその場にへなへなと座り込む。ツバメの大きな溜息と、また別のくつくつ笑う声が闇の中からして、私は少しだけ身体をこわばらせた。


「すげぇな、お嬢さんは」


 建物近くの暗がりからこちらにやってきたのは紅余ホンユーさんだった。手には小型のドローンを持っている。最初に窓にぶつかったのはあれだろうか。

 そう思って見上げると、天野さんがこちらを見下ろしているのが見えた。無事をアピールするのに手を振ってみる。天野さんも座り込んだのか、そのまま窓の向こうに沈んでいった。


「大丈夫のようですね……」


 飛燕もホッとした声を出している。


「あんなに高かったのね」

「何をっ! 今更!! 死ぬつもりか!? 馬鹿なのか!?」


 容赦ない怒鳴り声に身を縮める。


「ツバメが……受け止めてくれると思ったから……」


 そして、現に受け止めてくれた。


「俺の寿命は縮まったぞ!? ここは宇宙じゃねぇんだ! 二度とやめてくれ」

「……気をつけます……」


 しおらしく答えたつもりだったのだけど、ツバメはギロリと睨みつけてから、また何か言おうと息を吸い込んで、それから諦めたように頭を抱えて、吸った息を全部吐き出した。


「……飛燕、大丈夫か」

「人口筋繊維が数本切れましたが、これ以上無理しなければ大丈夫かと」

「聞いたよな? 高くつくぞ」


 もう一度睨まれて、さすがに反省の気持ちが湧いてきた。


「……ごめんなさい」

「で」


 よいせ、と立ち上がり、ズボンの汚れを払いながら、ツバメは次に冨士君に視線を移した。


「お坊ちゃんは何故ここにいるのかね?」


 冨士君も気を取り直したように立ち上がる。


「……紫陽を迎えに」

「あ?」


 冨士君と私の間を遮るように、ツバメと飛燕は立ちはだかった。

 『幻のエデン』を見学に行ったときのように頼もしいけれど、私も確認しなくてはならないことがある。


「冨士君、フェリーに乗ったんじゃなかったの?」


 ツバメの腕を押しやるようにして横から顔を出せば、嫌そうに振り返られた。


「荷物だけ載せて降りてきた。元々、その予定だった」


 冨士君は悪びれる様子はなく、ポケットから何かを取り出す。ツバメがそれに反応して私を再び背中に隠すように押しやった。


「別に武器とかじゃない。さっき、部屋に何か投げてただろ。これも頼みたいんだが」


 飛燕に近づいて差し出されたのは、掌に隠れるくらいの記録媒体だった。多分、コードレスで読み書きできるやつだ。

 飛燕は受け取る前に私を見る。頷けば、それを受け取った。


「龍臣!」


 冨士君の呼び声に、少しして天野さんが顔を出す。飛燕がちょっと手を掲げれば、彼は頷いて下がっていった。記録媒体は窓に吸い込まれるように入っていき、冨士君はじっとその窓を見守っていた。

 そんな私たちの様子を少し離れてのんきに見守っている人物にも、聞きたいことがある。


紅余ホンユーさんはどうしてこちらに?」


 彼は笑みを浮かべながらちょっと肩をすくめる。


「「お前の金魚を探し出せ」って、無茶振りをね」


 冨士君から目を離さないツバメの背中を指差して、紅余ホンユーさんはニヤニヤと笑った。

 私は端末ケースについた金魚のキーホルダーを今更のように思い出して、「あっ」と窓を見上げる。部屋に置いたままだ。


「でも、どうやって?」

「あれは本来、尻尾を捻って出た信号を大雑把に拾ってから、場所を特定していくものなんだが……電波の届く範囲もあんまり広くないんでな。広域で探すのは少し骨が折れる。まあ、その分、捉えられればピンポイントで場所がわかるんだ。たとえば、電波を通さない特殊な建物があっても、内側に入っちまえば中ではたいてい電波が飛ぶ。んで、たいがいのビルや金持ちの家には清掃業者が出入りしてたりする。観光名所なら旅行客が、造成地なら家や土地を見に来る人々が……外国人だと、色々入り込むこともある」


 今朝の、騒々しい人たちを思い出して、まじまじと紅余ホンユーさんを見つめてしまった。


「応えた電波を拾った送信機にはその場所が記録される。持たされた者がそれが何か知る必要もないし、報告義務もない。普通に通信できる範囲にあるものはこちらでモニターできるからな。周波数の調整も楽なものさ」

「そいつらの同胞はやたらとどこにでもいて、送信機は日常品なんかに仕込まれて、そうと知らず持ち回ってる奴もいる。バッチやペンや腕時計、ネクタイピンなんかにな。あの界隈でプレゼントなんて素直に受け取れやしねぇ。どこに受信機が仕込まれてんだか」

「お前は女からの贈り物もたいがい捨てるか分解してたな」

「女名であって女じゃねえことがほとんどだったろ! おかげでいまだに素直に受け取れねぇ」


 冨士君の方を向いたままぼやくツバメを、紅余ホンユーさんはくつくつと笑っていた。

 そうこうしているうちに天野さんが窓から顔を出した。少し身を乗り出すようにして、冨士君に両手で頭上に大きな丸を作ってみせる。冨士君はほっとしたように片手を上げて応えた。

 私はちょっと飛び跳ねながら手を振って天野さんの関心を引いて、「ケース」と言いながら指で四角を作る。刻一刻と暗くなっているので、そろそろ伝わるか心配になってきていた。

 幸い、天野さんはすぐに気づいて窓から落としてくれた。

 それから笑って、手を振った。




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