56.久我
流行のスイーツにファッション、わいわいとスタジオで交わされるわざとらしい宣伝。
そんな中に埋もれるようにして「仲睦まじい美女と野獣」の話題が挟まっていた。具体的な場所は言わないけれど、目撃者という名のサクラだろうか。最初のロミジュリの設定は無かったことになっているのかもしれない。
『お二人とも出てこないのは、手に手を取って駆け落ちの最中だから……! だったりしてぇ!』
頬染める女芸人はジーナさんに聞いたままを宣伝してくれてる。
天野さんはちょっと唖然とそれを見ていた。
「いやいやいや。うちはともかく、そちらは探してるよね?」
「崋山院というか、飛燕とジーナさんは探してくれているはずですね」
「え? ジーナさんも? それは……心強いけど、そんなに仲いいんだ」
「ええ。まぁ。成り行きみたいなところもあるんですけど……」
言えないことが多すぎて、笑ってごまかす。
「ただ、冨士君が何かもっともな言い訳をしていると、厄介かもしれません……」
飛燕と
ああ。でも、ツバメは。疑り深いツバメなら、きっと全力で探してくれる、かな。
窓の向こうを見上げて、広々とした視界に少し落胆する。
見通しがいいということは、監視カメラさえつける場所もないということだ。
「食べ物とかはどうしてるんですか? 飲み物も一通りあるって言ってましたけど」
大きな倉庫があるような感じではない。デリバリーなどで人との接触があるなら、やりようはあるかも?
「冷食が多いんだけど、補充は相馬さんかその周辺の人がしてたね。デリバリー対応あるのかな……相馬さん以外は会話してくれないから、もう、ストレス溜まっちゃって。申し訳ないけど、
「そ、そう……?」
解らないでもないので、苦笑しておく。
「昨日来たばかりだし、見た通り建物もまばらで、人もいるんだかいないんだかだからな……」
通信は通じているようだけど、支給されたパソコンには通信機能がないらしい。「暇なら仕事をなさっててください」って、結構辛辣。天野さんは逃げ出すわけにもいかないのだろうし、それは確かにストレスが大きいだろう。
結局、しばらくは周囲をよく観察することくらいしかできないと判って、二人で溜息をついたのだった。
☆
夜。天野さんにどうやって建物のデザインや設計をしていくのか、3Dソフトでプロトタイプを見せてもらっているときだった。
不意にスライドドアが開いて、相馬が入ってきた。
並んで宙に浮かぶ家を眺めている私たちを見ると、「おやおや」と上機嫌に笑った。
「新居の相談ですかな? なんだ。乗り気なんじゃありませんか」
無遠慮に端末をかざして写真を撮る男に眉を顰める。
「違うよ。意見をもらってたんだ。暮らしていくにはデザインだけじゃ不便もあるからね。俺じゃ女性目線はなかなか」
天野さんはやんわりともっともらしいことを言ってくれて、そういうところは営業もやってた大人なんだと思う。
「そろそろ帰していただけるんでしょうか」
だから、私もにっこり笑って訊いてやった。
「そちらに拇印を押すか、こちらに直筆の署名をいただければ、お帰り下さって結構ですよ?」
相馬は新たに持ってきた封筒を差し出す。
「おわかりかと思いますが、私の一存では勝手に決められません。私の持つ星については、社の方でも思うところがあるようですし」
「……星ですか。それが、二人の仲を妨げるもののようなので、少し別の交渉をしてみたのですが――」
「……え?」
相馬はくすりと笑った。
「二人の結婚が成った暁には、星を崋山院に売ってしまうのはどうでしょう。若い二人がこれから不自由なく暮らしていける資金が手に入るし――もちろん、天野さんの借金も返せるでしょう。崋山院側は成長させがいのある物件を手に入れられる。手ごたえは、悪くありませんでしたよ? 両社が歩み寄れる、またとないチャンスですから」
……星が目当てじゃない?
血の気が引くのがわかった。その交渉なら、父さんはともかく、伯母様は首を縦に振るかもしれない。父さんや揚羽さんも、私が天野さんを選んだなら、強固な反対はしないだろう。
「久我は……久我は何を手に入れるっていうんですか……」
「あなたですよ」
全てをその手の上で転がしているような、傲慢な笑みを浮かべて、相馬は私を指差した。
「
相馬は軽く天井を仰いで恍惚と手を広げる。
「久我龍臣、紫陽夫妻に、わたくし、相馬が生涯、お仕えしましょう」
「星は売りません!」
思わず出た声に、相馬は心地よい眠りを妨げられた時のように、眉を寄せてゆっくりと目を開いた。
「……若い二人には、負担でしょう?」
「あの星は、利益云々を求めて花を植えたんじゃない。だから……」
チッ、と、不機嫌な舌打ちが私の声を遮る。
「ああ。まったく。こういう時のための指紋データなのに。彼が戻ってくるまで待機ですか。さては、彼はあなたがそう言うと知ってたんですね? 抜け目ない男だ。もう一取引するつもりでしょう」
「……冨士君が? だって、あの器具はあなたに……冨士君はどこに?」
軽い溜息をついて、相馬は微笑を口に戻した。
「あれは二つ用意されていたようです。あなたの分は、彼が持っているのでしょう。彼は、あなたたちの端末を持って那覇行きのフェリーに乗るため、神戸に。那覇で関係者に端末を渡されるまで丸二日ありますが……どのみち同じところに行きつくのなら、今サインしても同じじゃありませんか?」
封筒から書類を取り出して、相馬は私の前に差し出した。
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