49.散歩

 早く起きすぎた私は、読書しながらうとうとしてしまい、気付いたらお昼を過ぎていた。

 少しぼぅっとしながら適当にサンドイッチなどをつまむ。窓に映る景色は天気の良さもあって、とても爽やかに見えた。

 車も、人もいない。木や伸びた草が時々風にそよぐ。

 ゆったりしすぎて、ダメ人間になりそうだ。


「散歩?」


 横山さんはイヤホンを片方外しながら顔をしかめた。


「瓶を返しに行くだけ。ちょっと、風に当たりたくて。この時間は人もあまりいないみたいだし」


 飛燕によれば、車の行きかう道路から百メートルほどだという。端末の電源も落としたままなら、特に捕捉されることもない。迷子になることもないだろう。

 横山さんはしばらく黙って机の上をコツコツと爪で叩いていたけれど、ふっと息を吐いて肩を回した。


「わかった。ただし、普段着ないような服で、ウィッグと帽子を被って。飛燕さんを置いて私が一緒に行く」

「飛燕を置いて?」


 ちょっと驚く。


「マスコミにしてみれば、君たちはニコイチだろうから、普段表に出ないつかさが一緒の方が目につかない。こういう時にはジーナはちょっと目立ちすぎるからね」

「ご、ごめんなさい。お仕事の邪魔をするつもりは……」

「うん。まあいいよ。私もいい気分転換になりそうだし」


 立ち上がり、私の頭にぽん、と手を乗せて「おいで」と先導する。

 ウォークインクローゼットであれこれ吟味するけれど、横山さんのサイズなのでどれも私には大きい。結局、自分のジーンズに、わずかに透ける薄い地の七分袖のプルオーバーをベルトで締める形にした。大きな花柄のプリントが入っているのは、確かに私は選ばない感じ。

 ロングパーマのウィッグとキャップを合わせて甘辛になるコーデは、ちょっと覚えておきたいかもしれない。


 ベースとリップくらいに留めて、と言われるまま顔を整え、終わる頃には横山さんも着替え終わっていた。ざっとチェックされて、仕上げに口元にほくろを書かれた。「帽子は目深にね」とウィンクしたかと思うと、自分もワックスを手に取ってサイドの髪を撫でつけていく。

 親子ほどの年の差があるはずと解っているのに、並んで鏡に映るのは、どう見ても普通のカップルだった。


「これもしていこうか」


 だんだん楽しそうな声になっているのは、横山さんも仕事漬けでストレスが溜まっていたのかもしれない。お揃いのミサンガを腕に巻き、トレードマークの銀縁眼鏡も外して(今回は普通の)コンタクトレンズにすれば、それだけでもだいぶ印象が変わった。

 なんだか百メートルのためだけにするにはもったいない気もする。


「もしも、誰かとすれ違っても知らん顔してて。挨拶とかも考えなくていい。この辺では声をかける奴は不審者くらいの感覚だから。いるけどいない。それが暗黙のルール」


 頷いて、外に出た。思っていたよりは暑くて、爽やかさは少ない。

 それでも開放感のある景色と青空は、美味しい空気を作っているようだった。深く吸い込んで草いきれを楽しむ。


「はいはい。腕組んで行くよ」


 とんとん、と自分の腕を叩いて差し出す横山さんをぱちぱちと見返す。

 そこまでしなくとも、との心の声はダダ洩れたらしい。だって、誰もいない。


「誰も見ていないと思っている場所での行動が、意外と大事なの。後ろで着替えてても動じなかったし、このくらい平気でしょ?」

「え!? あの、着替えは飛燕もするし……」

「飛燕さんか……なるほど。私もたいして変わらないよ」


 ちょっと呆れた顔をして、私の手を持って行く。ビニール袋も取り上げられて、近すぎる距離は少し歩きにくい。

 大きな道路を横切って、舗装のされていない道を進んでいく。と、途中で着信音が鳴った。久しぶりの音にびっくりしてしまう。


「おっと」


 横山さんは取り出した端末を一度拒否にして、慣れた手つきで何か入力している。


「出なくていいやつですか?」

「こっちは出られないことも多いから、大丈夫。メッセージで済むよ……でも、あとで出掛けなくちゃかな」


 すべて片手で済ませて、端末はまたポケットにしまわれた。


「……忙しそうですね」

「忙しい方がね、余計なこと考えないから。ただ時間が流れるのを待つのは、苦痛だよね」


 「ほら、そこ」と、プレハブの屋根の付いた小屋を指差す。小屋の前には瓶を収納するプラケースが置いてあった。すでに何本か収まっているそこに、もう二本加える。

 小屋には扉はなく、オープンだ。中のテーブルに鍵の付いた箱が乗っていて、小さな冷蔵庫に真空パックされたチーズやベーコンがいくつか入っているのが見えた。もうひとつのケースは何だろうと覗いてみると、アイスクリームのようだ。

 結構な霜がついているので、買おうか迷っている間にバイクの音が近づいてきた。少し離れた場所で止まって、足音が近づいてくる。少し緊張した身体を、横山さんが抱き寄せた。

 コインの落ちる音の後にぬっと差し出された手に思わず顔を上げると、フルフェイスのヘルメットを被ったままの人物が冷蔵庫に手を伸ばしていた。邪魔そうな様子を察して、もう少し横山さんに身を寄せる。

 チッと、小さな舌打ちが聴こえたけど、さっさとチーズを掴んでその人は出て行った。

 ほっとして力を抜く。


「あんな感じだから、マスクとかしててもよかったかもね。ついでだし、野菜販売所の方も見てくる? あっちももうほとんどないと思うけど」


 もう百メートルほどだというので、連れて行ってもらう。さっきのバイクが野菜販売所にも寄っているのが見えて、トラクターがごとごと走っていった他は、もう誰も見かけなかった。

 しなびたニンジン以外何もなく、そのまま戻る。短い散歩でも少しだけ気分転換になった。

 家に帰ると、横山さんはジーナさんに変身して「遅くなるから」と出掛けて行った。倉庫には軽からワンボックスまで車やバイクが停めてあって、ジーナさんもバイクに乗る。抜け道を通っていくそうだ。


 その夜は、飛燕と二人カードゲームをして、おとなしく過ごしたのだった。




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