45.変身
目を伏せてとか、少し口を開いてとか、そう時間はかからずに色が乗っていく。鏡がないので、自分で使ったことがないような色がどういう風に使われているのか心配なのだけど、タブレットを覗き込むより真剣な瞳に任せるよりほかない。
「ん。まあ、いいかな」
筆を置く横山さんにちょっとほっとして、飛燕に確かめる。
「ど、どんな感じ? 飛燕」
飛燕は目を合わせると、言葉に詰まった。なんだか不安になる。
「まだ終わってないからね。心配しなくても、ちゃんとなるよ」
横山さんはニヤニヤしながら、今度はヘアアイロンを取り出した。慣れた手つきできつめに巻いていく。オレンジのポイントカラーを適当にあちこち塗り入れて、サイドは残し、高い位置で結い上げた。巻きをほぐしながら整えて、スプレーで軽く固めていく。
「はい。よくなったでしょ」
飛燕が目を丸くしながら小さく頷く。その反応もなんだか心配だ。
「じゃあ、これに着替えてちょっと待ってて。私もやっちゃうから」
着替えを渡されて、場所を入れ替えられる。テーブルの上に折り畳みのミラーをセットして、横山さんはお風呂場を指差した。
お風呂場の鏡を覗き込むと、つり目のギャルがいた。その子が私と同じように驚いたので、なんとか自分だと認識できた。目元がこれでもかと書き込まれていて、チークも濃い目のオレンジだ。目の縁には赤い差し色まであって、派手の一言に尽きる。
顔だけ浮いていて外に出て大丈夫なのか新たに心配になったのだけど、渡された服に着替えたらすっかり馴染んでしまった。肩のずるずる落ちる黒のプルオーバーは指先まで隠れるほど袖が長いし、あちこち切り込みが入っている。鎖のベルトがついたジーンズのホットパンツはプルオーバーにほとんど隠れちゃうし、オレンジとピンクのシマシマのニーハイは絶対人目を引きそうだ。
普段私がしないであろう服装に、「化ける」の意味はわかったけれど、人目を忍ぶ気は全くないように思える。
恥ずかしいながらも部屋に戻れば、飛燕がもう一段驚いた顔をした。
「顔認証にはかろうじて引っかかりますが、肉眼であればわかりませんね……」
「骨格はなかなかね。まあ、充分でしょ」
そういう横山さんも、髪をネットキャップで纏めてしまっていてグレーや黒で顔色の悪い化粧をしている。右が長く、左は刈上げというアシンメトリーでざんばらなウィッグを被れば、中性的美人なロッカーが出来上がった。
仕上げに、と、また別のケースを開ければ、ずらりとカラーコンタクトレンズが並んでいた。真っ赤なものを選んで、嵌めていく。
横山さんはざっと全身をチェックして、最後に自分の咽喉に触れた。
「んふ。今日は性別不詳なカンジ? ちゃんと目立ってるー?」
化粧や声のせいだけではなく、たぶん立ち姿も女性的に寄って、そこにいるのはジーナさんだと判るようになった。変身の過程を見ても、なんだか信じられない。横山さんはどこに行ってしまったんだろう。
ざっと片付けて、次はネイルチップをつけられた。きゃっきゃとはしゃぎながらの作業に、私は世の中のことを何も信じられないような気分になるのだった。
飛燕が横山さんのトランクを持って、私たちは私のトランクを引いて、それぞれ部屋を出た。
横山さんが用意してくれたのは厚底の編み上げロングブーツで、慣れないせいでとても歩きにくい。いつもよりだいぶゆっくり、ぎこちなく歩いているのだけど、それでいいのだと彼は笑った。ちなみに彼の足元は十五センチはあろうかというピンヒールのショートブーツだ。それで綺麗に歩けるのが信じられない。
正面には崋山院の社用車が停まっていて、飛燕が近づくと運転手が降りてきて荷物を受け取る。そのまま飛燕はその車に乗り込んだ。
私たちは他人の顔をして、その向こうに呼んだ無人タクシーに乗り込んだ。何人かマスコミの人らしい人物がこちらを見ていたけど、その目は主にジーナさんの派手な姿を捉えていた。彼女が気付いたふりで投げキッスをしている。
車が動き出してから、ようやく私は肩の力を抜いた。
「だ、大丈夫でしょうか」
「だいじょーぶ。堂々としてれば、みんなそんなに気付かないのよ」
ジーナさんがこれまで気付かれていないのだから、その言葉には確かに信憑性があるのだろうけど。
他に、もしかしてと思ったことを確認する。
「……父も、ジーナさんのこと」
「気付いてるんでしょうねぇ。はっきり言わないところが腹黒いわよね。ほとんど接点ないのにぃ。久々に冷や汗かいちゃった。報復がこういう形で来るとは思ってなかったわぁ」
「報復、なんですか?」
「報復でしょ? 緊急時の業務を片手間にさせて、個人の財産を無償で開放しろなんて」
「財産?」
桐人さんの時みたいに何か要求したのだろうか。
「滞在場所にうちを指定されたの! 前回とは違うとこだけど。「使ってないようだからいらないなら買い上げるが」とは言ってたけど、絶対買い叩くつもりだったわ」
「え?」
「「点検もできるしちょうどいいだろう」って……ほんと、
組んだ脚の上で頬杖をついて、半眼で愚痴をこぼすジーナさん。端末で時間を確認すると、小さく溜息をついた。
「報道されてから八時間ちょっと、かぁ。他県にいたのよね? 無駄がないなぁ。普段はのほほんとしてるのに……」
「ちょっと、大げさすぎる気もするんですけど」
「そうかしら。紫陽ちゃん、昨日誕生日だったんでしょ? 意識的にはそう違いはなくても、もうあなたの一存で、あなたの手にしたものをどうにでもできるのよ? 何かにサインするときは充分に気をつけなさい?」
はっと身を固くする。
ブブっと震えた端末に素早く指を走らせて、ジーナさんは真面目な顔になった。
「ワタシは星に興味ないから、使われたのよ」
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