44.来訪

 ツバメとの通信を切って数時間後、飛燕安藤が端末の電源を入れた。ほぼ同時に父さんから通話が入る。端末を差し出されて、少し緊張しながらそれを受け取った。


『大丈夫かい、紫陽しはる

「……うん。余計なものは全部シャットアウトしてくれてるから……ネットで少し情報を拾ってる」

『そうか。映画でも見ててくれた方が精神衛生上いいと思うが……』

「自分のことだもの。気になってストーリー入ってこないよ」

『婚約などしていないのだから、お前のことではないよ……とはいえ、マスコミは面白おかしく騒ぎ立てるから……買い物も行けないだろ。人をやる。愚痴でもぶつけるといい』


 え。そんな、と思っているうちに通話は切れて、かと思うとすぐ着信音が鳴った。飛燕が眉を顰めると画面と共に音も消える。


「電源が入っていると、うるさいですね。知らない番号だったでしょう? 出なくてよろしい」

「父さんが人をやるって……」


 飛燕は頷いて、旅行用のトランクを持ってきた。


「しばらく家を空けます。着替えを詰めてください」

「え!? ツバメは出歩くなって」

「ツバメも了承済みです。ここは紫苑様も使いますし、マスコミも張り付くでしょう」

「でも、大荷物で下りたら、すぐバレない?」

「だから、人が来るんですよ」


 にっこりと笑った飛燕に早くと促されて、私は腑に落ちないまま荷造りをした。




 自分の分が終わって、そういえば飛燕の分も、と彼のクローゼットを開けた時、チャイムが鳴った。

 飛燕がカメラを確認してからロックを解除している。その人に荷物を預けるのかなと思ったから、私は慌ててかかっていた服を適当に取り出した。


「ああ、私の分はそんなに要りませんよ。一応予備バッテリーと充電コードを持って下されば。たぶん、用意されているでしょう。荷物は最小減で」

「……え?」


 どういうこと? 父さんがってこと?

 疑問に思っているうちに内側のチャイムが鳴らされる。飛燕が「どうぞ」と応対した。


「お届けに上がりましたよ」


 そう言って、手にした有名ハンバーガーチェーンの袋を掲げ上げながら入ってきたのは、横山さんだった。

 私のトランクと同じようなトランクを転がしながら、ちょっとくたびれた様子で、でも、驚いて固まっていた私を見て笑った。


「朝コーヒー一杯飲んだきりなんだよね。一緒に食べていいかな」


 時計を見れば、十五時を回っている。「どうぞ」とテーブルを指せば、彼は手にしていた袋とタブレット端末をテーブルの上に置いた。


「一仕事してからゆっくり朝食べようと思ってたら、これでしょ。タカトにもせっつかれるし、社長にも圧力かけられるし、その上紫苑さんだもんな。「机に張り付いてるの飽きただろう?」って、親切なんだか何だか……」


 肩をすくめて、適当にハンバーガーの包みを一つ掴み取る。


「まあね。紫陽さんの味方につくって言ったしね。ありがたく従いますけれども」

「ええと……ごめん、なさい?」

「ちがうちがう。笑うとこだから。みんな八つ当たりみたいに「お前が事前にキャッチしてれば」とか言うのに、相変わらず紫陽さんは優しいね」


 ふっと口元を緩めて、横山さんは手招きした。自分は立ったまま、私を椅子に誘導して目の前にドリンクとハンバーガーを置いてくれる。


「横山さんが座った方が……」

「言ったでしょ。ずっと座りっぱなしだったって。とりあえず、なんかお腹に入れて。腹が減っては戦は出来ぬってね」


 見本を見せるようにハンバーガーに齧りつきながら、横山さんは手元のタブレットに指を滑らせた。しばらく黙って画面とにらめっこして、時々画面をスクロールさせたり何か入力したり、ふと手を止めてネクタイを緩めたり……当たり前だけど、普通のサラリーマンのようだった。


「手が止まってるよ。見惚れるほどいい男かい?」


 視線をタブレットから外さずに、横山さんはちょっとだけ笑う。


「なんか、普通に仕事するんだなって……」

「どういう意味?」

「ジーナさんはずっと賑やかなイメージだから……」

「彼女は情報屋だからね。話して引き出すのも仕事。つかさはそうする必要はないから、仕事中はこんなもんだよ。聞きたいことがあれば聞いて。雑談には応じるから」


 そう言われても、なんだか悪くて邪魔をする気になれなかった。「はい」と答えてハンバーガーに齧りつく。それを横目で確認すると、横山さんはまたタブレットに意識を戻していった。

 時々コーヒーを口にする以外は、本当に黙々と画面と向かい合っている。そういえばツバメも画面に向かっているときは真剣でカッコよく見えた。お婆ちゃんは、そういう姿勢に信頼を置いたということなのかな。

 私のコーヒーも無くなった頃、横山さんは見計らったようにタブレットを押しやった。


「よし。じゃあ、始めようか」

「え? 何を?」

「化けるんだよ」


 ウィンクして、横山さんは自分のトランクを開けた。

 入っていたのは、ブラシやメイクセット、それから着替え。着替え以外の一式をテーブルの上に広げて、彼は上着を脱いだ。


「ベースまでは自分でやって。これ、使っていいから。右から順番にね。その間に私は風呂場を借りようかな。着替えるだけだから、心配しないで」


 てきぱきと準備を終えると、彼はお風呂場へと消えた。飛燕を見てみるけど、彼も頷いたので、別に横山さんの独断というわけではないようだ。

 『AAダブリエ』の化粧品は伸びが良くべたつかない。ほんのり甘い香りも私の中では大人の女性のイメージだから、自分が使うのはなんだか気が引けつつもちょっと嬉しい。

 着替えて戻ってきた横山さんはパンク系のへそ出しルックだった。細い腰が強調されて、中性的な雰囲気に変わる。柔らかなその顔とは少しミスマッチで、そう思ったのが顔に出たらしい。


「似合わないって? 貴女のメイクが終わったら、ちゃんとするから」


 笑いながらブラシを手にすると、彼は楽しそうに目をすがめて、指先で私の顔を上げさせた。




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