41.墓参

 しばらく放心していたのだけど、身体の感覚が正常に戻ってきてからお婆ちゃんに会いに行った。

 小さな墓標にはユリの花が刻まれている。季節にはその花が咲き乱れるこの場所も、今は少し寂しい。

 手を合わせて、色々報告して、叱ってほしいと思うのだけど、イメージの中のお婆ちゃんは笑っているだけだった。

 目を閉じていれば、近くを流れていく水の音が聞こえる。

 目を開けば、綺麗に整えられた土や芝に、ツバメの口に出さない気持ちが見える(気がする)。

 そっと土に手を伸ばして、ふと、上を見上げた。

 そこに空はない。明るさだけが調節される、白い天井が見えるだけ。

 だからだろうか? 私はここに来て、空を見上げていない気がする。もちろん、ここにお婆ちゃんが眠っているからには違いないのだけど。


 立ち上がった拍子に胸元で弾んだ小さな衝撃に、そこに刻まれた熱さを思い出す。

 また頬が火照って、さすがに外しておくことにした。

 物に罪はない。気に入ってもいる。だけど……


「わざとなの?」


 その場所を意識するたび、ツバメを思い出してしまう。

 ツバメがしたのが、私の言った確認のキスだったのかどうか。なんだか微妙な気もするけれど、天野さんからのプレゼントまでしまったことは確かだ。

 白い洋館を振り返って、もうひとつ気付いたことを確認する。

 私が見上げていたのは、お婆ちゃんだけではないけれど……




 しばらく庭を散策してから戻れば、リビングの窓辺でアンドゥがそわそわと外を窺っていた。

 こちらに気付いて玄関までお出迎えしてくれる。


「ただいま。どうしたの? もうメンテ終わった?」


 抱き上げれば、やや意外そうな安藤の声がした。


『お一人で、どこに行ったのかと。いえ、どこにも行けないのはわかっているのですが』

「暇だから、お婆ちゃんに挨拶してきたの。安藤はもうお手伝いしなくていいの?」

『えぇ……その、追い出されまして』


 歯切れの悪い返事に、心配してくれたのかなと笑う。


『スキャンに時間がかかるから寝る、と言ってましたので、なんなら引っ掻いてきますが』

「寝かせといてあげて。いいの。確かめたかったことは、確かめられたから」

『そう、ですか』


 何故かアンドゥの方が納得いかない顔をしている。

 見えているはずの胸元の痕に言及しないのも、早々に飛燕が奥の部屋に引っ込んだのも、安藤のなんらかの気遣いだったのだろう。

 放置していたチキンとポテトをつまんで、夕方起き出してきたツバメに作業の手伝いを申し出れば、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をされた。

 視線を背けて気まずそうに指示する姿に笑いそうになる。

 それぞれの持ち場に向かう時、背後で小さくぼやく声が聞こえた。


「……何だったんだよ……」


 にゃあ、と鳴いたアンドゥが何か答えたのは聞こえなかった。


***


『ユリ様になんだか似てきた気がしますね』

「やめてくれよ。熱くなってた俺がバカみたいだろ。あんな、何でもねー顔されたら……」

ではないですね』

「んだと? スクラップにすんぞ?」

『保護者ぶりたいのであれば、あんな大人げないことせずに諭す方法を選んでください。紫陽さんの方がよっぽど大人に見えますよ』


***


 ツバメの蹴りを華麗に避けて、アンドゥがこちらに駆けてくる。安藤が何か言ったのだろう。鈴からはくすくす笑う声がしていた。

 その調子のまま作業を始めれば、アンドゥも楽しそうに土を掘る。ツバメが土だらけになっていた理由がよくわかった。





 『TerraSSテラス』に戻る宇宙船ふねの操縦席で、飛燕が真面目な顔でこちらを向いた。


紫陽しはる様。紫陽様が何を確かめたかったのか、お訊きしてもよろしいですか? 嫌と言われれば共有はしません。記録ログにも残しませんから」


 通信が不安定になるワープ準備時間中のストレートな質問に、飛燕自身の疑問なのだということが感じられた。


「そこまで気にするほどじゃないけど、残すなら鍵をかけておいてほしいかな。恥ずかしいから。そうしても見られちゃう?」

「……彼らなら、見ようと思えば……ですが、理由もなく開ける方々でもありません」

「そうよね。飛燕にもそういうファイルがあってもいいと思う」


 頷いて、彼は少し姿勢を正した。


「紫陽様は、ツバメ様の言葉や態度に傷ついたりしなかったのですか? 『安藤』はそこを心配していたようですが」


 アンドゥやツバメの少し戸惑った表情を思い出して、「なるほど。共有とは便利なものね」と、感心してしまう。


「ツバメの口や態度が悪いのはいつものことじゃない。気にしてたらキリがないもの。私が確かめたかったのは、ツバメがどう答えるか、じゃなくてその答えをどう感じるか、だったから」

「紫陽様が?」

「そう。おかしいでしょ? 自分のことがわからなかったの」

「しかし、では、『傷つかないこと』が判った、と?」


 ふふ、と笑ってしまう。

 まだ薄く残る痕に触れて、飛燕の視線を誘導する。


「ツバメがどういうつもりでそうしたのかはよくわからないけど、『嫌じゃないキス』が『好き』とは違うということが解ったし、ツバメが管理人をやめる気はないのも判ったし、私がツバメにを望んでたわけでもないこともわかった」

「ツバメ様を好きだったわけじゃない?」

「好き……なんだと思う。でも、きっと世間の「好き」には追い付いてないか、ずれてるのね。ツバメに触れられるのは嬉しいけど、恋人のようにしたいわけじゃない。したくないわけでもないんだけど……今はね。今、私はツバメとあの星を作り上げたい。一緒に仕事をしたい。お嫁さんになって一緒に暮らして、というのとは少し違う。だから、ツバメが私と仕事をしてくれる気があるのなら、全然落ち込むことなんてないの。ただ……」

「ただ?」

「ツバメが言うように、私、お子様なの。まだ学生なのよ。ただ指示されて作業するだけなら今でもできるけど、それは、やりたいことと違う。肩を並べて歩きたいなら、ちゃんと学ばないと。能力のある人たちに混じって一生懸命背伸びしたって、邪魔にされるのが関の山。凡人の私に足りないのは、やらなきゃいけないのは、どこに嫁ぐかじゃなくて、勉強。それがよくわかった」


 当たり前のことを当たり前に口に乗せただけなのに、飛燕は少しぽかんと私を見ていた。


「……婚約は、なさらない?」

「そうね。申し訳ないけど。でも、冨士君もそうしろと言ってたし、よかったのかも……何か力になれるなら、そうするのだけど。ダメかな?」


 飛燕はしばらく考えて、「いえ」と首を振った。


「良いか悪いか私に判断はできませんが、紫陽様らしいと、思います」

「よかった」


 今の段階なら、これは私だけの問題で済む。そう、思っていた。



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