39.調整

「え? メンテ? そんな時期だっけ」


 飛燕に告げられたのは、三月の頭だった。


「もう少し先でもいいのですが、そうすると採蜜の時期に重なって忙しくなりそうなので」

「そうよね。宇宙船ふねは使えそう?」

「はい。押さえておきました」


 連絡ついでに揚羽さんに届ける荷物がないか確認したり、あちこち調整していると、また着信があった。よく確かめずに通話にしてしまう。


「はい。えーと、揚羽さん?」


 気配はあるのに、声がしなくて、端末を耳から離して確認してみた。

 見慣れないアイコンにちょっと慌てて、冨士君の名前に疑問符が浮かんだ。


「あ、ごめんなさい。冨士君……? 今、あちこち連絡入れてて」

『……ちょっと、話したい。出てこれないか』

「え? 今? ……行けないこともないけど……どこ?」

『図書館。通話拾ってるんだろ。地図は出してもらえ』


 面食らって、飛燕に視線を流す。軽く頷かれたので了承して通話を切った。


「な、なんの話だろう……」

「さぁ……」


 飛燕も心当たりはないようだ。見学の写真をシェアしてからは何のやり取りもしていない。天野さんとは時々会っているようなのは彼から聞いているけれど、変わった様子は聞いていないし……

 地図のマークは建物内ではなく、隣接している公園のようだ。公の場所だし、飛燕もいるので、とりあえず行ってみることにした。




 冨士君は、離れて並ぶベンチの一つに腰掛けていた。サンドイッチを頬張りながら、書類か何かを片手にタブレットを眺めている。何人かそういう人たちがいて、冨士君もすっかり景色に溶け込んでいた。


「こんにちは……お昼、ですか?」


 おずおずと声をかければ、こちらを見ようともせず「座れば」と返される。飛燕は近くの木の下に立って広場の方に視線を向けた。

 腰を下ろせば、ちらりとだけこちらを向いて、ぼそりと声が落ちる。


「それ、あいつにもらったやつか」

「え?」


 思わず胸元に手をやると、冨士君は微かに眉を顰めた。

 円の中に揺れるシンプルな紫陽花の花は何にでも合って普段使いしやすい。デザインをやりたいと言っていただけあって、センスがいいなと感心していた。


「天野さんに聞きました?」

「能天気に何でも話す」


 ふう、と呆れたような溜息は、でもおそらく心配も含んでいるのだろう。


「冨士君は、その後変わりなく?」

「俺のことはいい」


 ぴしゃりと跳ね除けると、冨士君はまっすぐ顔を上げた。こちらは見ない。


「婚約、決めるのか。断ると思ってたんだが」

「まだ、決めてませんけど……なぜ、断ると? 決めた方が冨士君もやりやすいんじゃないですか?」

「俺のことはいいと言ってる」


 ぐっとこぶしが握られる。


「前にも言った。あまり期待は持たせるなと。やりづらい。決めてないなら、断ってくれ」

「……冨士君は、どうするつもりなんですか? やっぱり、伯母様の言うように?」


 ひとつ、ゆっくりと瞬いてから、冨士君はこちらを見た。


「君には関係ない。紫陽しはるは、他人の心配より、自分のことをしっかり考えた方がいい」


 それは、確かに耳に痛い忠告だけれども。

 無表情に淡々と告げる冨士君は、なんだか仮面をかぶっているようにも見えて。


「しっかり考えると、このお話は悪くありません。受けた上で、双方利のある姿を考えるというのもいいんじゃないでしょうか」

「伯母様に盾突くつもりか。さすが、紫苑さんの娘……と言いたいところだが。何か策があるようには思えないな。本当にそれで後悔しないんだな?」


 立ち上がり、見下ろされる。

 そうなると、冨士君とは対立することになってしまうのだろうか。


「冨士君も、友達を失いたくはないでしょう?」

「……だから!」


 イラついた息を吐き出して、冨士君は背中を向けた。書類の入ったカバンを持ち直す。


「ひとつ。あいつ、この春のコンペで入賞する」


 くぐもった声を訊き直す間もなく、冨士君は足早に行ってしまう。

 仕方なく、飛燕に確かめた。


「確かに、「入賞する」と」

「この春って……」

「結構色々ありますので、すでに締め切られたものなのか、これからのものなのか、判りかねますが……」


 どこからの情報なのか、それをどうして知らせたのか……良い情報のはずなのに、ただ喜ばせたいだけではないのが解って、鉛を飲み込んだような気分になった。

 「ハンデになる」とは、こういうことを予想していたということなんだろうか。

 私は、誰の邪魔をしたいわけでも、誰かを騙したいわけでもないのに。


 ひとまず、目の前のことを片付けなければならない。

 数日後、私は飛燕と花の星へと飛んだのだった。





 花の星に、この時期にまだ紫陽花は咲いていない。少し寂しけれど、スミレや菜の花が春の訪れを告げてくれていた。

 午前中に着いたので、ツバメはどこかで作業しているようだ。小さな白い洋館には人の気配はなく、連絡はしていたものの、勝手に上がり込むのに少々気が引けた。


「アンドゥも外かな」

「そのようですね。東側の一角にいるようです」

「少し、手伝ってこようか」

「ああ、いえ。戻ってくるようですよ。座ってらしてください」


 飛燕は持ってきた荷物を物置や所定の位置に片付けていく。お昼に食べようと持ってきたチキンやポテトだけ預けられてしまった。でも、テーブルの上に置くだけだ。

 そわそわしていたら、猫の鳴き声がした。窓を開ければ、アンドゥが飛び込んでくる。


「久しぶり! アンドゥ。ああ、待って。足、拭かなきゃ」


 アンドゥを抱えたままウェットティッシュに手を伸ばせば、アンドゥは申し訳なさそうに耳を寝かせた。


『すみません。うっかり飛びつきました』

「いいの。気にしないで。安藤もたまに失敗すると思うと安心する」

『それはあまり安心されたくないやつですね』


 笑っていたら、土まみれのツバメが戻ってきた。


「このクソ猫! いいだけ土かけやがって……!」


 足を拭き終えたアンドゥは腕の中からするりと逃げていく。相変わらず、仲がいいのか悪いのか。ツバメはいつものように機嫌が悪い。「お帰りなさい」と挨拶すれば、つい、と横を向いて「おぅ」とそれだけ。

 軽く土を払って、玄関の方へ回り込んでいってしまった。




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