38.眺宙

「うちみたいにどこに繋がりがあるのか判らないような感じじゃないもんな。名前だけで出自も解っちゃうんだもんな……それで、よく……」

「父はだいぶ後まで母に隠していたらしいんですけどね。「ずるい」って揚羽さん言ってましたし」

「うわ。計画的っぽい! でも、それで競争から降りちゃったの? 上を狙った方が相手の親族とかに納得してもらえそうなのに」

「元々あんまり興味は無かったみたいで。家庭に仕事のことで周りにわいわい口出されるのが嫌だったようです。こちらはそれである程度黙らせましたけど、あちらはそうもいかなかったんじゃないかと……」

「わかるような気がする……でも、ちょっとホッとした」


 どこにだろう? と首を傾げれば、天野さんは笑う。


「父も俺も半分くらいは大企業の気まぐれだと思ってて。あんまりふざけた話だから、顔を見て笑ってやろうって態度でもおかしくないと思ってたんだ。でも、親父さんはこちらの緊張を解いてくれるようにふるまってくれたし、紫陽さんは本音で話してくれた。それが、彼らの通ってきた道の延長上にあるなら、うちが薄いながらも久我と関係があることも、あんまり心配しなくてもいいのかな、って」


 言いながらも、まだどこか不安そうな顔で流れる夜景に目を向ける。


「まあ、父は色々知った上でなお、ああだったんだから、俺が考えるほど簡単じゃないんだろうけど。少なくとも、俺や紫陽さんにはそういうこと心配させたくないのかなって……思ったり」

「そうかもしれないですね。父は一番身に染みてるはずですし……ただ、その、父が大丈夫と思ってることも、周りが大丈夫かはまた違うような気もするので……行動力はあるんですけど、何を考えてるかは、私もよくわからなくて……ごめんなさい」

「ああ、そんな! 紫陽さんが謝らなくても」


 少し慌てて、天野さんは自分の家庭がいかに庶民的かを話してくれた。だから沢山勉強させてください、と。

 空中高速帯スカイウェイを下りて、郊外の落ち着いたレストランでお料理を堪能する。最初の一杯だけシャンパンで乾杯して、好きなアニメやドライブコースの話を少し早口で面白おかしく語る天野さんとの時間は楽しかった。

 けれど、楽しいと思えば思うほど、何かが胸の奥にうっすらと澱のように溜まっていく。

 好意を向けられれば向けられるだけ、冨士君と伯母様の会話がちらついてしまう。

 このままでいいんだろうか。これはなることなんだろう。

 何も決められなくて、ソラを見上げる時間が増えた。





「紫陽さんて、夜景を見てても時々空を見上げるけど、でもそうなんだね」


 幾度目かのデートで『TerraSSテラス』のラウンジに行ったときのこと。一応人目を忍んだ会談に使われる半個室で、初めてだと緊張する天野さんに先輩顔であれこれ説明した後に、そんなことを言われた。

 もう、完全に無意識だったので、きょとんとしてしまった。それから、そうしながらまた地球したではなくうえを見上げている自分に気付いて、頬に血が上る。


「そ、そうですか? 気付かなかった。癖になってて……お婆ちゃんのお墓は地上にちゃんとあるんだけど、私は星に埋めたお婆ちゃんに参ることも多いから、つい……」

「なるほど? それは、俺もいつか挨拶に行かなきゃいけないな」


 そうね。行きましょう。


 そう答えるべきだったのに、喉は塞がった。写真は見せていたけど、直接連れていくのには抵抗がある。そんなことに初めて気が付いた。


「あ! そんな気軽に行けるわけないよな。冨士君とかも手に入れたら有利になるんだろう? ちょっと、俺にはピンとこないから、うっかり。ごめん」


 ゆるく頭を振ると、そっと手を取られた。


「俺はさ、初めてランチした時に冨士君に怒られたけど、紫陽さんの味方でいたいって今も思ってるから。だから、この先も仲良くしてくれると嬉しいし、でも、迷惑ならそんなこと気にしないで断っていいから――」


 上向かせたてのひらに、淡い紫の宝石で四つの花びらを象った紫陽花のネックレスが乗せられる。


「えっと、そんな、たいそうな意味じゃなくて。俺が……押し付けたいだけで。あ、でも、今だけでもつけてくれると嬉しい……つけてもいい?」


 断る理由がない。

 ちょっと震える指で、不器用に首の後ろに回される手は、なかなか離れない。

 いつもより近い距離で、気恥しさに目を逸らす。


「う。ごめん。不器用。もうちょっと……あ、はまった、かな?」


 少し頭を引いて、確認するような視線を感じた後、その距離が不意に縮まった。

 頬に柔らかく、温かい感触。

 パッと離れた天野さんは、自分でしたことにずいぶんうろたえていて。


「ご、ごめん。我慢、できなかった」


 赤くした顔を覆ってしまわれたら、苦笑するしかなくなる。


「……嫌じゃなかったので、大丈夫ですよ」


 指の間からそっとこちらを窺った天野さんは、安堵したように笑って、「気をつけます」と、手を差し出した。

 その手を取ることに迷いもあったのだけど、その迷いが何に起因するのか見極められなくて、結局、私はその手に手を委ねてしまった。

 頬へのキスも、手を繋ぐことも、嫌ではない。

 それでもまだ、決心がつかない。

 春はそこまでやってきているのだけど……

 手を引かれながら、また星を見上げていることに、私は気付いていなかった。




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