37.父母

 揚羽あげはさんは足を止めて、壁に手をつける。


「ここに、もう一つ扉があった気がしたんだけど」


 そう言われてみれば、確かにそこだけ少しドアとドアの間隔が広い。ただ、部屋二つ分開いてるかというとそうでもないので、天野さんもざっと他の扉を見渡して首を傾げていた。端末で見取り図を呼び出している。


「……特に、図の上ではおかしくはないですね」

「そう……大きめの納戸みたいなのがあったのだけど……ほら、かくれんぼしてたって言ったでしょう? 入り込んで荷物を崩して怒られたのよ。潰しちゃったのね。もし、壊すことになったら、何か残されてないかちゃんと調べてみることをお勧めするわ」


 天野さんは頷いて、メモを走らせていた。


「まあ、うちが関われるかはわかりませんが。貴重なお話をありがとうございます」


 私も、念のため、と写真を残しておく。

 水回りや応接室はもう何度もリフォームしているのか、設備もそこそこ新しいもので見慣れた感じだった。

 地下のワインセラーまで一通り写真に収めれば、外はすっかり暗くなっていた。庭木の電飾がチカチカと流れたり消えたり、昼とは違う華やかさになっている。

 少しだけ見惚れていたら、着信音が響いた。自分の端末をチェックしようとしたものの、揚羽さんが応答したことで音は止まる。二言三言話して、揚羽さんは私たちを振り返って笑った。


「迎えが来たから、私はここで」

「迎え、ですか?」


 作業着を揚羽さんに返して、どうせ帰るのだからと駐車場まで一緒に歩いていく。薔薇園の開放時間も終わって、閑散とした駐車場の一番手前に白っぽい乗用車が停まっていた。運転手らしき人が立って待っている。

 揚羽さんが手を振ると、彼も手を上げてこちらに向かってきた。


「あ。面倒にならないうちに連れて帰るね。来られて良かった。天野さん、紫陽しはるをよろしくお願いしますね。紫陽、楽しんでらっしゃい」

「あっ。ハイ!」


 思わず足を止めてビシッと姿勢を正した天野さんを置いて、揚羽さんは小走りで行ってしまった。男の人の……父さんの腕を掴むと、まだこちらに来ようとする父さんを無理やり車に押し込んでいる。

 助手席でにこやかに手を振って、でも車は渋るようにのろのろと動いて行った。


「……えっと……俺、挨拶しないでよかったのかな」

「母には敵わないようなので……大丈夫だと思います」


 苦笑してなんとなく視線を合わせてしまって、お互いちょっと気まずくてすぐに視線を逸らした。


「あっと……さ、寒いですし、車、乗りましょう!」

「で、ですね!」


 飛燕がいるとはいえ、二人きりになるのは初めてだ。妙な緊張感が漂っているのに気付いたのか否か、飛燕が助手席のドアを開けて私を促した。


「紫陽様が助手席にどうぞ」

「え!? でも、私、ナビとか全然!」

「お話しにくいでしょう? ナビは後ろからでもどうにかなりますので」

「そ、そう?!」


 にこりと笑った顔が、安藤だった。飛燕はこんな意地悪な笑い方しない。

 もう、と思いつつ、文句も言えなかった。

 ドキドキしながら助手席に乗り込んでシートベルトを締める。


「飛燕さんはあまり威圧感とかもなくて自然にそこにいるから、時々ボディガードだということを忘れるね。秘書でも通用しそう」

「え!?」


 無駄に驚いてしまって、天野さんがびっくりしている。


「紫陽様は学生ですので、外部から秘書アプリを参照してサポートすることもあります。そんなに緊張されていると、天野様も気を使いますよ?」

「ああ。なるほど。そういうやり方もあるんだ。すごいな」


 ふふ、と含み笑いをする飛燕のフォローにも、なんだか素直に感謝が湧いてこない。


「帰りは変な道通らないから、そう心配ないよ。寝てもらってもかまわないし」

「あ、いえ。疲れているのは天野さんもですし。眠くなるようなら……飛燕が運転しますから!」


 私が、と言えないところがちょっと情けない。


「うん。ありがとう。多分大丈夫だけど。俺もちょっと……だいぶ? アドレナリン出てるっぽい」


 天野さんはそう言って、肩をすくめつつ、笑った。




 車が走り出し、空中高速帯スカイウェイに入ったところで、天野さんは一息ついた。自動運転に切り替わって、ちょっと伸びをしている。やはり疲れているのかなと様子を窺えば、先ほどまでと違って遠慮がちに口を開いた。


「え……っと、さ。自動運転の方が眠くなるから……眠気覚ましって言ったら失礼なんだろうけど、無理には、答えなくてもいいんだけど、その。お母さんのこと、訊いてもいい?」

「あ、はい。全部答えられるかは、私も自信ないんですけど」

「よかった。興味本位ってわけじゃないんだけど、不思議なことも多くて」


 そうだよねって、私も笑うしかない。


「「お母さん」って呼ばないんだね?」


 ひとつ頷いて、前方に視線を移す。


「前にちょっと話しましたけど、母は『いない人』だったんです。私には死んだ人と同義でした。代わりに面倒見てくれる人はいて、それで済んでたので母が恋しいということもなく。なので、再会しても正直戸惑いの方が強くて。揚羽さんにも色々理由があって、後悔もしてて……私を嫌ってたわけじゃないって話してくれたから、まだちょっと母とは呼べないんですけど、避ける理由もないから。ちょっと、理解されにくいとは思うんですが」

「あー……うん。その割には、そう他人行儀でもない、よね?」

「揚羽さん、星の庭にも関わってて。その仕事を手伝わせてもらったりしてるので、えっと、親子というよりは、今は先輩後輩みたいな気分が強いかも」

「なるほど。ええと、それから……名前、久我を名乗ってるのは――訳あり、だよね?」


 必要ないのにハンドルを握る手に力がこもっているのは、さすがの天野さんでも事の大きさを感じているということだろう。


「籍は抜けてないんですけど、というか父が強固に抜くのを嫌がったらしいんですが。世間には別れたと思わせたかったようで。今はまた一緒に暮らしてるので、そのうち戻るかもしれません」

「あ。そう。そういう感じ? 確かに、自然に仲良さそうだったから、それも不思議で」

「父とは普通に恋愛結婚だった、という話なんですけど、伯母様や他の親族との折り合いが悪かったみたいで……」


 その程度しか言えないのだけど、そこは言わなくともわかるというように彼は深く頷いた。




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