36.見学

「買い手にもよりますが、庭木や石は個別に売りに出されるかもしれません。欲しいものに値をつけて投函するオークション形式になると思うので、欲しいものはチェックしておくべきですね。しっかり手入れされた立派なアカマツなんかは、造園業者だけじゃなく、建材としても狙われていそうです」


 天野さんが軽い説明を挟みながら奥へと進んでいく。

 揚羽さんは指差されたアカマツやイチイの木なんかを写真に収めていたので、私も真似をして撮っておいた。

 池を越え、竹藪の中に続く道を行けば、分かれ道の先に小さな建物が見えた。

 飛び石が続く手前にベンチのようなものが置かれている。


「あれが茶室ですね。今回は公開されていないので入れません」


 言いながら、天野さんも何枚か写真を撮っている。

 ゆるく上るカーブした道に沿って行けば、竹藪の出口から洋風の庭を見下ろすことができた。

 規模は小さいながらも、迷路のようになった低い生け垣が綺麗に整えられている。花の季節なら、生け垣で囲われたスペースに色とりどりの花が配置されているのかもしれない。


「こちらはハーブガーデンのようですね」


 坂を下り、迷路を右手に見ながら、左手の噴水のある広場に入っていく。残念ながら水は出ていなかった。蔓バラを絡ませたフェンスや、アーチには電飾が巻き付いていて、冬季の夜間は花ではなく明かりで目を楽しませていたようだった。

 ぐるりと周ってきたのか、最初の広場の逆側に出てきた。


「竹藪を挟んで和と洋で趣が違って面白いな」

「迷路は楽しそうですね。あれは、以前から?」


 揚羽さんに質問を投げかけると、彼女は少し考える仕草をした。


「私は、記憶がないから、比較的新しいのかも。子供がいれば、いい遊び場になるでしょうね」

「もう少し拡大して、レジャー施設的運用もできたりするかもですね。建物は博物館にしてもいい規模ですし、すでにバラ園もありますので」


 頷きながら、来た時とは建物の反対側を通って正面に戻る。

 左右が塔のように少し前に出て、中央入口が凹んでいる二階建てのレトロな洋館。端末を向けて、外観もしっかりと収めておいた。

 中に入ると、ホールから話し声が聞こえてきた。ちょうど前のグループが帰るところらしい。上品な装いの一行は、親族を思わせた。

 軽く頭を下げつつ、すれ違う。


「……揚羽さん?」


 ふと足を止めたご婦人が、小さく呟いた。


「ああ、やっぱり揚羽さんよね? まあ。何年ぶりかしら」

「……ご無沙汰しております」


 作り笑顔で困ったように答えた揚羽さんは、声をかけてきた一行に見えないように先に行けと手を振った。

 気になるので、離れつつも様子を窺う。


「あなたもこの館を? 戻ってこられるのかしら。……あら。でも、その恰好……」

「ええ。私は仕事で。ですが、懐かしいので、見ておきたかったんです」

「まぁ。崋山院では嫁もまともに養えないのね。本当に、いつでも戻ってきていいのよ? 蜜也みつやさんも心配しているでしょう?」

「兄は何も。それに、仕事をしているのは私の意志なので。紫苑さんは私の我儘を聞いてくれているだけですから」

「いいのよ。そんな、いまさら庇い立てしなくとも。若い貴女を騙して連れ去っておいて、こちらには不義理ばかり! その上、兄姉の顔色を窺ってろくに主張もできないようでは……」

「紫苑さんは、言うべきことは言うし、やるべきことはやっています。誤解無きように。すみません。時間もないので」


 ぴしゃりと遮って、足を進めかけた揚羽さんの背中に、「まぁ」と眉を顰めた女性の声は続く。


「では、娘さんはどうなの? あんな風に会社の駒に使われて。貴女は悔しくないの? 貴女の手に取り戻したいとは思わないの?」


 揚羽さんは振り向いて何か言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。


「娘が助けを求めてきた時は応じます。それが、親の役目ですから」


 低く言い捨てて、揚羽さんはもう足を止めなかった。

 こちらに合流してもそのまま黙って階段へと向かっていく。二階へと追いかければ、ようやく足を止めて肩を落とした。


「……ごめんなさいね。気にしないで」

「私より、揚羽さんが……御親戚でしたか?」

「兄のお嫁さんの方の、ね。彼女だって久我の名が欲しくて……ううん。よくないわね。やめましょう。言った通りだから。紫陽が悩んだ時はちゃんと味方になるから。私も紫苑さんも」

「……はい。心強いです」


 真剣な顔の揚羽さんに微笑めば、彼女も笑ってくれた。

 居心地悪そうな天野さんを促して、奥の部屋から見学を再開していく。家具もそのままだったので、豪華な客間やピアノルーム、サンルーフのある寝室などに目を瞠った。

 確かに古くて修復が必要そうなところもあったけれど、壊してしまうとしたらもったいない気がする。


「お婆ちゃんも古い造りが好きだって言ってたな……」

「そうね。無駄と思える空間も邪魔だと思う柱も、その家の個性だって。みんな同じじゃつまらないでしょう? って」


 あちこちカメラを向けながら、天野さんは「へぇ」と呟いた。


「業界トップは考えてることも大きいなぁ。効率、とか動線とか空間の確保に意識が奪われがちだけど」

「もちろん、そういうのが必要な人にはそういう家を。でも、できれば少しの余裕を提供したいって……話したことがありました」

「……難しいな」

「ですよね。お婆ちゃんは何でも簡単そうに言うけど」


 天井を見上げて、肩をすくめれば、小さな笑い声が重なった。


「買い手がすっかり建て替えることになっても、資料として残せるよう、いっぱい写真撮りますね。ええと、どういうところがあればいいのか、教えてもらえますか?」


 パンフレットに載せるような引きの写真の他に、柱の位置や電源の位置、天井の構造などが判るように天野さんの真似をして撮っていく。少しは父さんや冨士君の役に立つだろうか。


「あら。ここ……」


 暖炉のある部屋を出て、隣に向かう時、揚羽さんが首を傾げた。




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