34.成長
せっかく寄ってもらったのだけど、狙っていたチョコレートケーキはすでに売り切れていた。メロンのショートケーキとチョコのタブレットで折り合いをつける。
家に帰りつけば、どっと疲れが襲ってきて、椅子に座り込んだまま放心してしまった。
「……そんなに、お疲れですか? 無理に甘いものを買いに遠回りをしなくともよかったのでは。昨日の特集もそれほど熱心に見ていたわけではないでしょう?」
飛燕が少しテーブルに乗り出して首を傾げた。
「うん……でも、紫陽なら、そうしたかなって。安藤と久しぶりに二人きりになったら、もう少しってわがまま言う方が自然でしょ?」
「
「そうね。私も、少しは変わったのかな……わかんないや」
正直、顔合わせよりも安藤がずっと傍にいる方が気になっていた。
思っていたよりも、仕事中の安藤は安藤で……おそらく事情を知らない人から見れば、振る舞いも以前の安藤と見分けはつかないだろう。
プログラムと学習で動いている、というのを実感させられた気分だ。
「横山さんを恨みたい感じ……」
「何故です?」
「うっかり話しちゃいけないことまで話しそうになるから」
真顔の飛燕の手が伸びてきて、そっと頬に触れた。
ふふっと、その表情に合わない含み笑いが続く。
「飛燕?」
「『飛燕』は『安藤』が羨ましいようですね。えぇ。それは、『羨ましい』ですよ? 仕方ありません。時間は分けてあげられませんから。参照はしても共有はしない方がいいでしょう? 『飛燕』は『安藤』ではないのだから」
安藤の説明的なセリフは、きっと私にも聞かせるためのものだ。内部で行われるデータのやり取りは私には見えない。それでも、安藤が必要以上に自分の学習データを飛燕に適用していないのは、はっきりした。
「まあ、私は会話用AIが基ですので、飛燕とは元々用途が違います。それを悩むというのは筋違いですよ」
「……悩んでるの? 飛燕が?」
「そこまでのことではありません」
憮然と、少し険しい目つきで見ているのは、私ではないのだろう。
なんだかおかしくなって、そうしたら甘いものを食べる元気が湧いてきた。
メロンはジューシーで香り高く、スポンジはふわりと柔らかい。クリームにはホワイトチョコが混ざっているようだ。ふと思いついて、一口分を飛燕に差し出した。
「食べる?」
「いえ……」
断りかけて、思い直すと、彼は口を開いた。
もちろん、彼にも味覚はない。毒物用のセンサーはあるので、毒味の練習、になるだろうか。
「おいしい?」
「毒ではありません」
「そうね」
笑えば、飛燕はちょっとだけ眉を寄せて下を向いた。
寝支度をしていると、冨士君から連絡が入った。IDを交換してから連絡が来たことはなかったのだけれど、顔合わせは気になっていたようだ。
特筆することもないので、天野さんが二日前まで何も知らなかったことと、無事済んだことだけ報告する。既読がついただけで、それ以上はない。
「そういえば、ツバメには報告したの?」
「アンドゥとは共有しておりますが、報告という形で伝わっているかは……紫陽様から一報入れられてもいいのでは」
ちょっと迷ったけど、簡潔に送っておく。
こちらもしばらくしてから「了解」と一言帰ってきただけだった。
私の周辺の男性陣は淡白が過ぎると思うの。ついつい、『安藤』とお喋りしたくなるのは、仕方ないことなのでは?
そんな風に自分を正当化して、ベッドに入る。
疲れはすぐに眠気を呼んで、あっという間に朝になった。
☆
しばらく後回しにしていた講義を受けたり、ツバメからもらった春期の蜂蜜の量と予想売上を纏めたりしているうちに、また季節は移っていった。台風や雨のニュースが多くなり、いつの間にか山が色づいて、木枯らしが吹き始める。
秋のうちに一度、冨士君を交えてランチという名の情報交換をしたのだけれど、多少監視の目が緩くなったくらいで、それほど変わりはない感じだった。そのまま研修期間を終えたようなので、気にはなるけどなんとなく聞けないでいた。「余計なお世話だ」と言われるのは目に見えている。
イルミネーションがクリスマスカラーに色づくころ、天野さんから消極的なお誘いを受けて、久我の旧家の豪邸の見学に行くことになった。手放すことになったので、少しの間、公開されているらしい。
「俺は建物が見たいんだけど、庭も綺麗に残されてるから、紫陽さんも飽きないかと思って。で、ついでというか……その。帰りにクリスマス的な、ご飯でも……ほら、その日周辺は人も多いだろうけど、ちょっと外れてるし、あ、いや、無理にとは。二人が心配なら、冨士君とか、誘ってもいいし」
「ご飯は別に構わないんですけど、見学の方はちょっと相談させてください。問題ないとは、思うんですけど……」
そういうことで周りの意見を総合した結果、揚羽さんも連れていくことになった。
父さんと、それから珍しく冨士君にも写真を撮ってきてほしいと頼まれる。気にはなるけど、なるべく崋山院の影を薄くしたいがための苦肉の策のようだ。
崋山院側も、伯母様が別で見学の予定を入れているので、それ以上目立ちたくないらしい。
揚羽さんには見学の後は帰るから、と笑われて、なんだか無駄に恥ずかしい思いをしてしまった。
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