26.秋心

「……今更まともに生きたところで、過去は消えないし、ロクデナシも治らんぞ」

「誰がまともに生きてるって言ったよ? ブラックな仕事はしなくなったってだけで、世間様とも遠のいてるし、個人ではまだ黒いことにも手ぇ出してる。んなこた言われなくても解ってるよ。あんただって俺を追いかけきれてなかっただろ。表に出るような派手な仕事は出来ねぇんだよ」


 紅余ホンユーさんはじっとツバメを睨みつけるようにしていたけど、その顔には葛藤が見えた。一度何かを飲み込んで、絞り出すように声を出す。


「なんでお前、情報アレを売った……」


 ツバメは眉をひそめた。


「何? 女のこと根に持ってんじゃないのか? アレは俺じゃないって言っただろ?」

「聞いてない。誰に言った」

「ああ。あんた荒れてたから……憶えてねぇな。誰か、若いヤツ。伝えとくって……ああ、あれもそうだったのか」


 ツバメはひとりで納得して、肩をすくめると歩き出した。


小鷹シャオイン!」

「俺の悪評の半分は俺じゃねーんだよ」

「じゃあ、なんで姿を消した!」

「タイミング?」


 私が聞いても嘘くさい気の抜けた返答に、紅余ホンユーさんはシャツの内側に手を入れた。腕の中のアンドゥがそれに反応して飛び出して行く。一気にツバメまで駆けて行ってその背中に飛びついてどつくと、紅余ホンユーさんを振り返った。

 紅余ホンユーさんは今までおとなしかった猫が飛び出してきたことに驚いたのか、動きを止めている。

 どつかれたツバメも振り返って、渋い顔をしながらアンドゥを抱き上げた。


「……ってぇな。「伝えておくから、ほとぼりが冷めるまでちょっと隠れてろ」って、言われたんだよ。ちょうど別の方とも繋がりができてたから、そっちにシフトした。それだけだ。爺さんに筋は通したぞ。爺さんが何も言ってねーならその方が都合が良かったんだろ」

「それを信じろと?」

「別に。訊かれたから答えた。今まで好きに信じてたんだろ? 好きにすればいい」


 投げやりに言って、ツバメはまた先へと歩き出した。

 こういう世界は疑心暗鬼も多いのかもしれないけど(崋山院うちだってそうだ)、ツバメがあんまり人を信用してなかったり、説明を省きがちなのは、こういうことの積み重ねがあったかからなのかもしれないと思う。

 それでも、お婆ちゃんや揚羽さんがちゃんと話に耳を傾けたから、今安藤に促されれば渋々でも答えるようになったのかと。

 紅余ホンユーさんはじっとツバメの背中を見ていた。眉間に皺を寄せて、苦しそうに。信じたいけど、信じきれない。そういう顔に見えた。


「……次は、秋のお庭でしょうか」


 彼を追い越しながら訊けば、「そうだ」と力ない声が答えた。




 石のアーチの連なりを潜ると、今度は虫の音が聴こえてきた。

 夏の庭で聞こえていた暑さが増すような力いっぱいのものではなく、どの虫も柔らかく耳心地のいい音だ。

 時々頬を撫でる風は少し冷たく、見上げれば赤とんぼがスッスッと独特の飛び方をしている。ゆったりと揺れるススキの穂に止まったものに、ツバメの腕の中でアンドゥが狙いをつけているのが見えた。


 夏の庭から続く河原に赤と白の彼岸花が植えられ、川向こうの丘にはコスモスが揺れる。もう少し行けば、金木犀の香りが迎えてくれるに違いない。

 ぽつぽつとリンドウや桔梗の青い色も見えて、色から色へ視線を誘導されているようだ。

 足元から視線を上げれば楓やツタが赤く色づいているのも見える。


「……お婆ちゃんも来たことあるのかな」


 ふと、疑問が漏れた。尋ねたわけではなかったのだけど、紅余ホンユーさんは答えをくれた。


「崋山院ユリなら、何度か訪れている。もちろん、他の招待客と一緒に、だが」

「そうなんですね」


 じゃあ、安藤は庭の構造もわかっているのね。アンドゥが比較的おとなしくしているのも、だからかもしれない。

 いつの間にかツバメとの距離が少し開いていて、私は追いつこうと足を速めたのだけれど、三歩行くか行かないかのうちに腕を引かれて引き止められた。


「堅気のお嬢さん。あなたはどうして彼といるんだ。崋山院が彼を使うのは、意外だが理解できる。だが、彼はあなたを「主人」だと言った。誰の下にも着かない。そういう奴だと思ってたのに」

「それは……少々複雑な事情があって……私が引き継いだものの管理をツバメがしていたから……でも、引き継ぐには一緒にやっていかなくちゃならなくて」

「崋山院ユリの指示というわけか。それでも、強制というわけではなかったのだろう? 突っぱねることもできただろうに。俺にはあなたがそれのために渋々組んでいるとは思えない。どちらかというと……」


 みなまで言われるのは少し恥ずかしい気がして、私は慌てて口を開いた。


「つ、ツバメは下品だし態度も悪いけど、彼が管理している花も蜂も綺麗に整ってた。きっかけは興味とは遠いところだったみたいだけど、今の仕事には誇りを持ってる。それがわかるから、何も知らない私よりはずっと頼りになるって」

「後ろ暗いことばかりしてきたヤツだ。お嬢さんには相応しくない」

「相応しいって何? ツバメは、自分の力で生きてきた。悪いこともしたんだろうけど……何も知らずに、庇護されたままレールの上をぼんやりと歩いてきた私とは違うのは解ってる。相応しくないというなら、私の方だわ」


 つい、むきになった私の言葉は紅余ホンユーさんを驚かせたらしい。掴まれていた腕が放され、私はまた足を踏み出す。

 近付いてきていた飛燕も動きを緩め、少し訝し気に振り返ったツバメも、それを見てまた進み始めた。ツバメはもう石のアーチを潜ろうとしている。あの先はきっと『冬の庭』だ。


 ツバメがアーチを潜り抜け、私はアーチに差し掛かろうというところ。ほんの、三メートルほどの距離。

 見えていたツバメの背中が、不意に黒い壁で遮られた。




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