27.越冬
「何……これ」
今の今まで見えていたツバメの背中が見えない。そっと手を伸ばしてみれば、確かにそこに壁がある。ほんの数歩先にツバメが通り抜けたはずの場所に。
「ツバメ!」
呼んでみても返事はない。ツバメならすぐに気づくと思うのに。
「
飛燕が場所を空けるよう身振りで示したので、少し下がる。アーチの隙間から見える範囲で視線を巡らせれば、今まで木々や茂みだと思っていた庭の境目が、高さ二メートルほどの黒い壁になっていた。
私は
「あちらも同じ状態のようですね。そこにいますが、遮音されているようです。解除を試みたようですが、弾かれた、と」
「通信も遮断しないと、筒抜けか。なるほど傍にいなくてもいいわけだ」
するりと伸ばされた手を、飛燕が素早く反応して掴まえる。私と
「ボディガードらしい。だが、わかっていれば、対処法はある」
捻られそうになった腕を同じ方向に身体ごと回して抜け、流れるように背後に回り込んだ。かと思うと、手にしていた端末の端を飛燕の首に軽く当てる。バチっと大きめの音がして、飛燕はその場に崩れ落ちた。
「飛燕?!」
「再起動には問題ない。少しの間眠っててもらうだけだ。どうせ、ゲートも
「そう長くない時間だと言うなら、なんのために!?」
「嫌がらせに決まってるだろう」
「わかるか?」
数字の横には「℃」の記号。私は黒い壁を振り返った。
と、腰に腕を回され
「危ない人間からは目を離しちゃいけない。お嬢さんに恨みはないが、まあ教訓だと諦めてもらおう」
「マイナス五度くらいで勘弁してやる。悔しいが、凍える前には解除されるだろう。凍えてくれれば笑ってやるんだが」
言いながら私の両手首を合わせて頭上に持ち上げ、片手で拘束しながらブラウスの一番下のボタンに手をかけた。
「……細っせえな。もっと肉付きのいいのが好みだと思ってた。安心しな? 最後まではやんねーよ。あいつがやったのと同じとこまでで許してやる」
「……ツバメが、何をしたの?」
「訊かない方がいいんじゃないか?」
ふと、
「ツバメは、何をしたの?」
震える声で同じ質問を繰り返せば、彼の瞳は私を見た。
「俺の女を、無理やり抱こうとしたんだよ」
「その頃のツバメは、ずいぶん見境なかったんですね?」
「……いや」
「じゃあ、
「それも、ない。そんな素振りひとつも……だから!! 何のつもりで!!」
当時の怒りの炎が再燃したかのように、彼の瞳が燃える。すごく好きだったんだろうなと解るのだけど、きっと私と同じように違和感も抱えてる。
「ツバメ、そんなことするかな」
「したんだよ。踏み込んで、引き離して殴りつけて、あいつは言い訳もしなかった」
だから、苦しい。
「『俺を殴りたきゃ殴ればいいさ』」
「……なに?」
「ツバメが父に言ったセリフです。私を傷つけようとしたのは別の人だったのに。それに、『他人のものに興味はない』とも。『繋がってる相手に下手な誤魔化しはしない』とも。
「だから、なんだ。無理やりではなかったとしても、
ごうっと冷たい風が吹き抜けた。
振り向けば、所々髪の白くなったツバメが幽鬼のように現れて、そのままずかずかとやってくる。
「あー、くそ。ムカつく」
一メートルくらいは飛んだだろうか。
「……早いだろ。まだ、何もしてねえ」
「してたら殺してるとこだ」
物騒なことを言いながら、ツバメは何か掌に収まるくらいのものを
「……タグ?」
「俺が仕込んだもんを、残しとくんじゃねーよ。何年経ってると思ってる」
「お前が入り込んだら判るようにだよ。こんな仕組みにしてたのか」
「それも置いてく。元々は不測の事態でアクセスできなくなった時に直接呼び出せるように仕込んでたんだよ。もうお前らに関わる気はなかったんだ」
不機嫌にそう言い放ってこちらに視線を流したツバメは、ぎょっとしてすぐ反対を向いた。
「ボタン!! ボーっとしてんじゃねーよ!!」
「あっ。うん」
そうだった、と慌てて背中を向けてボタンをかけていく。上から半分くらいまでかけたところで、ふと、手を止めた。
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