24.花園

 背筋がぞくりと冷えそうになったけど、すぐにツバメの背中がそれを遮ってくれた。


「言ってんだろ。お嬢さんは俺の「主人」だ。何かしやがったら本気で潰しにかかるぞ」


 私にはツバメの背中しか見えていないけど、その声がツバメに出会ってから一番尖っていたことは判った。

 会長さんが小さく息をついてから、にこりと笑む。


「では、お嬢さん。このじじぃにひとつ約束してくれるかの」

「なんでしょう……」


 少し身構えれば、お婆ちゃんのように茶目っ気のあるウィンクを返された。


「そこの生きのいい野鳥に「見学以外の余計なことはしないように」よぅく言い聞かせておくれ」

「最初からそう言ってるだろ?!」


 私は一度、二度、と瞬いて、それからツバメの袖を引いた。


「一緒に庭を見るだけよね?」


 振り向いたツバメが、一瞬だけ固まって、それから片手で顔を覆ってしまう。


「ああ、くそ。!」


 とても棒読みな返事だったのだけど、会長さんも飛龍さんもそれで納得したようだった。紅余ホンユーさんだけはまだ渋い顔をしてたけど、さっきの怖い雰囲気はもうなくなっていた。

 その紅余ホンユーさんの肩を飛龍さんが軽く叩く。


「案内してやれ」

「……はい」


 不承不承というように頷いて、紅余ホンユーさんはこちらに下りてきた。


「よろしくお願いします。あの、ありがとうございます」


 紅余ホンユーさんと会長さんに頭を下げれば、とても対照的な表情で二人は頷いた。





 再び竹林の中を移動して、「庭の入口」へと向かう。庭なので先ほどの場所からもすぐ出られるらしいのだが、見学ならそれらしいコースがいいだろう、と紅余ホンユーさんが言ったのだ。

 ツバメは紅余ホンユーさんよりも前を歩きながら、時々ぐるりと視線を回している。


「あの……私、ネットでここの庭がたまに公開されているような話を目にしたんですけど、あれは間違った情報、ということですか?」

「一般に公開されることはないが、会長が気まぐれに文化人や政治家なんかを招いて見せることがある。政治色の強いものから、ほんの趣味の繋がりまで様々だから、それが少々誇張されてるのかもしれない」

「だから、『見学コース』があるんだよな」


 前を向いたままツバメが口を挟むと、紅余ホンユーさんは小さく舌打ちをした。


「あの『予約』はやっぱりお前か」

「一存で破棄するのは越権行為じゃねーの?」

「生憎、俺にはその権利があるんでね」

「はーん。お偉くなりましたねぇ」


 紅余ホンユーさんの目が少し座った気がして、私は慌てて次の質問を口にした。


ホンさんはお庭の管理もされてるんですか?」

「庭は、当たり前だが業者に入ってもらってる。見てもらうと判ると思うが、普段は施設の空調やスプリンクラーなんかのシステム管理の方を引き受けてるんだ。そいつはロクデナシだから、案内係では少々荷が重い」


 あー……、と苦笑すると、ツバメがちらりと振り返って肩をすくめた。


「その金魚は素手の格闘だとちょいと劣るが、先の尖ったもん持たせたら、とたんに油断できなくなるからな」

「わかってんなら、背中に気をつけろ」

「ご忠告どーも」


 ひらひらと振られる手には緊張感はない。


「……あの……聞いてもいいですか? どうして、“金魚”?」


 最初にツバメは「金魚のフン」と言ったけど、その後はずっと「金魚」と呼んでいる。ほとんどの人の名前を呼ばない彼が、あだ名とはいえ、そういう呼び方をするのは珍しい気がした。


「赤い魚といえば金魚だろ」

「え?」


 脈略がないように思えてとまどってしまう。紅余ホンユーさんは特に赤い服を着てるわけでも、魚の小物を持っているわけでもない。昔はそうだったのだろうか。


「中国語では「余」と「魚」は同じ「ユー」という発音なんでな。そいつは「紅色の魚」と言ってるわけだ」

「そう、なんですね?」


 ツバメに何か恨みがありそうではあるんだけど、その呼び方にはそれほどイラついているようでもなく、慣れてしまっているのか、諦めなのか、もっと複雑な何かなのか……二人を交互に眺めているうちに、石造りのアーチが見えてきた。


「さて、そこを潜ると通称『春の庭』だ」


 石のアーチは少しの感覚を開けて六つほど連なっている。三メーターほどのトンネルを潜り抜けると、ふわりと梅の香りがした。すぐ脇に梅の木が並んでいて、白や赤の花をつけている。少し向こうには菜の花の黄色、ムスカリの青紫色が見えて、その向こうの淡いピンクは桜だろうか。

 足元に目を落とせば、小道の脇にフリージアやヒヤシンス、タンポポも色とりどりに咲いていた。


「春もいくつかのブロックに分かれていて、ここから見えないところに他の花も植えてる」


 ひらひらと黄色い蝶が目の前を横切って、思わず目で追いかける。ツバメがアーチを振り返って空を見上げたりしていた。どこからか鶯の鳴き声も聞こえてくる。


「……映像か」

「え?」

「ご名答。さすがだな。案内はいらないんじゃないか」

「無いなら無いであとで自分で調ぞ」

「……可愛くないヤツだ」

「仕事させてやってんだろ」


 ツバメは吸いかけだった煙草を携帯灰皿に放り込んで、改めて庭を見渡した。


「庭の上部はごく薄い有機ELディスプレイで覆われてる。外側は透明度の高い特殊なアクリルで、だいたいはその日の天候そのままを映し出しているから、違和感はないはずだ。もちろん、手動で変えることもできるし、投影をやめれば本物の空が拝める」


 紅余ホンユーさんが手元の端末で何か操作すると、空は一気に暗くなり、星が瞬き始めた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る