14.記録

「ほらよ」


 ツバメは天野さんに右手を差し出す。

 疑問顔の天野さんはちょっと眉間に皺を寄せてそれを見下ろした。ツバメが鼻で笑う。


「メモリーチップ」

「え?」


 冨士君の声に、天野さんはもう一度ツバメの手を見下ろして、彼の指先に隠れそうな小さな四角いものをそっと摘まみ上げた。


「俺がもらって覗いてもいいんだけどな。おたくのとこの人間だろうし? この方が角が立たないだろ。後で確認してみな? 同じような写真、たぶん、別のヤツも撮ってると思うぞ」

「……さっきの端末から抜いたのか?」


 ツバメは小さく肩をすくめただけだった。


「写真、なの?」

「他のデータも入ってると面白れぇんだがな。まあ、今回は許してやる。本人に返すでも、データを抜くんでも任せるよ」


 ポケットから煙草を取り出して咥えると、ツバメは建物の方を振り返って窓から窓をじっくりと眺めていった。


「紫苑さんはあなたをずいぶん信用してるんだな」

「信用はねーだろ。変わりもんなんだよ。崋山院の坊ちゃんも気をつけないと、お嬢さんのボディガード代ふんだくられるぞ」


 ちらりと冨士君に視線を流して、ツバメはまた鼻で笑った。

 冨士君の耳にも桐人きりひとさんの話は入っているのだろう。私を見ると、嫌そうに顔を顰めた。


「だから、危ないことする前に止めただろう?」


 ツバメは肩を揺らすと自分の端末を操作して私たちの前に突き出した。

 そこにはまるで恋人同士のように、愛おしそうに後ろから私を抱きしめている冨士君の姿が写っていた。


「えっ」

「なっ……」


 驚く私たちとは対照的に、天野さんは顎に手を当てたままじっくりとそれを覗き込む。


「加工してるね。俺、正面から見てたけど、冨士君こんな顔してないし、する人間じゃない……あ……ったっ」


 光の速さで冨士君に耳を引っ張られた天野さんが、その耳を抑えながら涙目になっているのをツバメが笑う。


「ちょっと弄れば、何でもアリだ。まあ、今のお嬢さんにはいくつも監視の目があるから、親父さんにはすぐわかるだろうけどな」

「当然だ。やましいところなど何もない」

「あんたはそうでも、悪意はいろんなとこに転がってるぜ? せいぜい気をつけな」


 端末を後ろポケットに突っ込んで、ツバメはひらりと手を振って行ってしまった。

 少し呆然とそれを見送って、「言われなくても」という冨士君の小さな呟きに我に返る。振り返れば、もう冨士君は丘を下り始めていた。



 ☆



 その後は三人少しぎくしゃくと庭を一周して、飛燕ひえんもいるはずのITルームに行ってみることにした。

 窓もない二十畳ほどの四角い部屋には、パソコンが衝立で仕切られて並んでおり、コンセント完備の二人掛けのテーブルが間を開けて置いてあった。見回しても飛燕しか見当たらなく、私は他人の目が届かないことに少しほっとしてしまう。

 飛燕は充電用のコンセントを繋げたまま、タブレット端末で何か作業していた。すぐに顔を上げて軽く微笑む。


「お帰りなさいませ。お庭はいかがでしたか? こちらは快適です」

「素敵だった。星にもどこかに取り入れたくなっちゃった。アンドゥも一緒に回ってたんだけど、ロビーではぐれちゃったの」


 飛燕はただ頷いて、天野さんと冨士君に視線を移した。


「飛燕、変換アダプタ持ってない? 端末のメモリーチップ用の」

「ございますよ」


 飛燕は薄いケースを取り出し、そこから変換アダプターをひとつ渡してくれた。私はそれを天野さんへと差し出す。


「さっきの、確認するなら使って?」

「え? ああ。ありがとう」


 天野さんはツバメからもらったチップをセットして、一番近くのパソコンに向かった。


「龍臣、奥のを使え」

「なんで?」

「なんで、じゃない。会社の資料とか個人情報が入ってたら厄介だ」

「開かなきゃいいだけだろ。どうせ社外秘みたいなのは持ち出せない。確認の目は多い方がいいじゃないか。ヤバそうな写真があればすぐ閉じるよ」

「お前な……ここに居るのは、お前以外、崋山院の関係者なんだぞ」


 天野さんはちょっと笑いながら読み取り機にアダプターをセットして、椅子に腰を下ろしてしまった。


「俺がそっちの資料を見たらヤバいかもしれないけど、うちの資料なんて冨士君いくらでも見られるじゃない」


 冨士君はちらりと飛燕を振り返って、画面を隠すように天野さんの背後に立った。飛燕はタブレットで作業を続けていて、こちらを向く様子はない。私も少し近付いて、横の方から画面を覗き込んだ。

 特にロックもなく、ウィンドウが開く。いくつかの文書ファイルとフォルダが並んでいる。天野さんは迷わずに写真フォルダだと思われるものをタップした。

 一番先に目に入ったのは、私と天野さんが頭を寄せ合って話しているところ。写真を選んでいた時だと思うけど、これだけ見るととても親しそうに見える。連射したのか、同じような写真が並び、少し後には冨士君と私の姿も。ツバメに見せられたのと同じ場面だと思うけど、こちらは後ろ姿で顔はよくわからなかった。冨士君と天野さんの二人で写っている写真が何パターンか続き、今日だけのものではないと一目でわかる。

 最後の方にプライベートで撮ったのだろう景色の写真が何枚かあって、天野さんは黙ってウィンドウを閉じた。


「……意外と撮られてるね」


 ちょっと肩をすくめた天野さんに、冨士君は何も応えなかった。


「……映画の時のはなかったみたいね」

「あの時はホント、気を付けてたから。冨士君も上映中以外は眼鏡外しててもらって、服装も取り替えたりして」

「そこまでしなくとも、とは言ったんだが」


 コホン、と冨士君はせきばらいのようなものをして視線を逸らした。

 ああ。じゃあ、あの時、雰囲気が違ったのは私の記憶違いだけでもなかったんだ。ちょっとホッとする。


「それ、どうするの?」

「んー。とりあえず本人に返すよ。紫陽さんの写真は同意の上消してもらうから、安心して。冨士君のも、気分悪いぞって釘刺しとくよ。ごめんな」

「やましいところなど無いから、大丈夫だ……だが、やはり少し自重した方がいいかも……」

「じゃあ、風呂行こうぜ。露天が絶景だってパンフレットに書いてあったぞ!」


 取り出したメモリーチップを手の中に握りこみ、アダプターを飛燕のいるテーブルの上に戻しながら、天野さんは屈託なく笑った。冨士君が呆れた顔をしている。


「お前は何を聞いていたんだ」

「風呂にはカメラなんて持ち込まないだろ? 飯前に行こうぜ!」


 ぐいぐいと冨士君を引っ張りながら、天野さんは私にひらりと手を振った。手を振り返す私を確認することもなく、騒がしく出ていってしまう。残されて、少し寂しく思いながら飛燕を振り返れば、飛燕も立ち上がったところだった。




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