10.待人

 右に左に身体が振られて、目が覚める。窓の外には木々がびっしりで、進行方向の道幅分しか空きがないような気にさせられる。思わず後ろを振り向いて道路があるのを確認してしまった。


「お目覚めですか? もう少しです。山道に入ってから接続が途切れがちなので、すでに通信は切ってあります。機能制限がかかるかもしれませんので、ご了承ください」


 安藤は引っ込んでるってことね。


「大丈夫よ。ありがとう、飛燕」


 言ってるうちに周囲も開けてきた。山の奥深くまで入り込んだと思ったけれど、宿の周囲は綺麗に整備されていた。広い駐車場に、竹垣の向こうは庭になっている。その奥に建物があるようだった。どっしりとした屋根が見えていて、二階か三階程度しかなさそうだ。

 そんなことに気を取られていると、徐行していたタクシーがさらにスピードを落とした。木製の門が見えてきて、誰かその門柱に寄り掛かっている人がいる。

 赤いシャツにサングラス。目を引くなぁと思ったけれど、あんまりジロジロ見るのも失礼だ。門の前に止まったタクシーから降りるのに、私はできるだけ視線を向けないように努力した。

 先に降りた飛燕が、車のトランクから荷物を降ろしてくれる。

 そのまま彼について歩き始めたけれど、飛燕は門のところで立ち止まってしまった。視線はそこで煙草をふかしている男性に向けられている。


「入らないのですか?」


 挨拶するでもなく、いきなりそんなことを言ったので、私は不思議に思って顔を上げた。

 スニーカーにチノパン、赤いのはアロハシャツで、前は開きっぱなし。黒いTシャツが覗いている。苦々しそうに歪んだ口元に頬から顎にかけては無精髭。髪はオールバックにしているけど、サングラスの乗っかっている顔の中央には一文字の傷跡があった。


「ツバメ?!」

「どこの組の者ですか。ずいぶん……浮かれたチョイスですね?」

「お前に言われたくねぇ! どこの中華マフィアだよ」


 確かに、飛燕はネイビーのカンフースーツを着てるけど、マフィアに見えるかな? 見える、かもしれない? ああ、いや、それよりも。


「どうして、ツバメが?」

「主催がアレだし、久我の所縁のもんも来るっていうし、通信できる範囲決まってるみてーだから、手が足りなそうだって。リゾート感覚で来い、なんて言うから……!」

「リゾートしに来いとは言わなかったはずですが」


 秘書安藤のデータにはアクセスしてないはずなのに、やっぱりやり取りは似てくるのね。

 わざとらしくからかう雰囲気がないのが、逆に皮肉に聞こえちゃう。

 ツバメも同じことを思ったんだろう。頬を引きつらせたけど、舌打ちひとつで会話を切り上げていた。外したサングラスを胸ポケットに突っ込んで、前髪をぐしゃぐしゃと適当に戻している。

 久しぶりに間近で見た三白眼とその傷跡は不機嫌さも相まって、とてもガラの悪い印象だ。


「……なんだよ」

「え。その……サングラス外した方が人相悪いなって……」

「わーるかったなぁ!」


 大股でずかずかと門をくぐっていく、そのアロハシャツの裾を、私は慌ててつまんで引いた。


「あ、でも、怖いって思ったんじゃないの。久しぶりだな、って……」


 後ろをちらりと振り返ってから、ツバメは私の手を払った。叩き払うというよりは、押しのけるようにしてだったから、気を使ってくれたんだとは思う。


「相変わらずだな。お嬢さん。人の良さそうな顔したやつにコロッと騙されそうだ」

「そうでもないと思うけど……」


 鼻で笑って、ツバメは三歩先を行く。ボディガードだった時は少し後ろからついてきてたし、そうでなければ私が見るのはいつも彼の背中だ。並んで歩かせてはくれない。

 それでも……その背中を見ることができて、心が浮き立ってしまう。ラグのないやり取りをまだ続けたいと。

 正面玄関に着く前に、小さな太鼓橋がかかっていた。

 川なのか池なのか、水がたたえてあるのだ。


「ねえ、ツバメ。プシーにも水は循環させてたよね? 日本庭園風のは造らないの?」


 太鼓橋の上で足を止めて、ツバメは庭をぐるりと見やった。


「お嬢さんが欲しいって言うなら作ってもいいぜ。大きな木は数植えられないが、枯山水はすぐできそうだな。もう一つのドームができれば、そっちを和風、中華風で纏めてもいいし……」

「……そっか、工事中断してるんだっけ」


 そっと並んで見上げれば、ツバメは口をへの字に曲げてガリガリと頭を掻いた。


「親父さんが厳しいからなぁ。今の売り上げくらいじゃ、二つ目を維持していくのに足りないって、まあ、現実的なんだが。お嬢さんも学生だし、現状維持できてるだけでも儲けもんっつーか」

「そ、そうね。枯山水作るくらいなら、蜜の採れる花を増やす方が建設的だものね……」


 お婆ちゃんのように趣味で回せるほど甘くない。父さんに資金提供してもらうのだって、相応の担保がなければ駄目だと言われた。私が成人するまでの仮オーナーは父さんだし、その期間は現状維持してくれるようだけど。


「簡易宿泊施設を作って、庭を開放して観光地化する手もあるにはあるけどな。『新婚旅行は花の星へ』なんてキャッチでも付けりゃあ、退屈してる金持ちにゃあ喜ばれそうだ。土産はもちろんうちのハチミツで――」


 ハッとしてツバメは背を向けた。再び歩き出す背中を追いかける。


「そういうのもいいかも。意外と考えてくれてる?」

「そうなったら雇う人間が増えるんだった。面倒になる。忘れとけ」

「あら。ツバメが管理するなら、フルオートメーションにすればいいんじゃない?」

「導入コスト無視すんな」


 ひらひらと振られる手に黙らざるを得ない。けれど、ツバメが前向きに星の運用を考えてくれてるのが嬉しかった。一緒にやっていってくれる気があるということだもの。

 建物に入ると、先に行っていた飛燕が受付から戻ってきて、ツバメとすれ違う。お互い、赤の他人のようなのはやっぱり安藤じゃないから、なのかな?

 そういえば……と、辺りを見渡してみたけど、アンドゥの姿がない。ツバメの荷物は背中の小さなショルダーバッグ一つだし、置いてきたのだろうか。

 飛燕から部屋のカードキーを受け取って、口を開きかけた時、ロビーの一角から声がかかった。




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