08.浅慮

「安藤! ねぇ、冨士さん、温泉に来ると思う?」


 自宅のドアが自動ロックの音を立てた瞬間、私は振り向いた。

 飛燕が呆れたように私の前に手のひらを突き付ける。


飲食物コーヒーの処理を先にしてしまいます。「安藤」とのお喋りは少々お待ちください」


 綿シャツに羽織ったジャケットを脱いで私に預けると、彼はシャツのボタンに手をかけながら洗面所に消えていった。

 安藤は食べたものをある程度エネルギーに変えられたらしいのだけど、飛燕はタンクに溜めた後、処理しなければいけない。固形物の処理は面倒なので、気軽に一緒に食事できないのが少し残念だ。タンクの容量も多くはないし、お茶できるだけでも贅沢なのは解ってるつもりだけど。

 も丸洗いOKなタイプなので、傍から見ればシャワーを使いに行くように見えるだろう。

 ジャケットを軽くブラッシングしてクローゼットにかける。男物の服が並んでいるのは、最初少し違和感があったのに、最近はすっかり慣れてしまった。


 水音が途切れ、しばらくして上半身裸のまま飛燕が戻ってくる。チャイナカラーのシャツを手渡せば、軽く目礼して受け取った。私はそのまま空いた洗面所で手洗いとうがいをしてしまう。部屋に戻る頃には飛燕は着替えを終えていて、充電のための彼の椅子に腰かけていた。

 彼が来た当初は物珍しくて、全ての挙動を眺めていたのだけど、さすがに今はそんなことはない。

 不自然じゃないようにと小ぶりのダイニングテーブルと椅子を入れたので、ちょっと部屋は狭くなってしまった。同棲みたいねという友人の言葉に、なるほどこれがと頷いたものだ。


 飛燕に向かい合って座れば、彼は小さくため息をついた。

 ボディガード仕様のその身体は表情が豊かに出るようには作られていない。でも、不思議なことに安藤のデータにアクセスしている間は、その表情にもわずかな差が出る。今日はジーナさんのお店に行くからと、外でのアクセスはしないことにしていたので、安藤の雰囲気にちょっと緊張した。


「冨士様、でしたね。状況から推測するなら、来るおつもりだと思いますよ? QRコードは一般連絡用の公開IDのようでしたから」

「そう……冨士さんって、ひとりで旅行に行く感じ? 桐人きりひとさんみたいにボディガードは連れてないみたいだけど……」

「どちらかというとインドアではありますが、おひとりで出掛けることもあるので、まあ、おかしくはないですね」

「今日の態度は? いつもあんな感じなの? 久々にちゃんと話したからちょっとびっくりしちゃった」

「私もよく知るわけではないのですが、社内の噂等調べてみても目立った話が出てこないので、職場では上手くやっているのでは。仕事ぶりは、そうですね……蓮様よりは、紫苑様の方に近いですかね」

「どういうこと?」

「蓮様はカスミ様のライバルとしてバリバリと手を広げるタイプなのですが、紫苑様はそんなお二人の手を出さないところや取りこぼしたところを細かく調整すると言いますか……上手く拾い上げると言いますか」


 なんだか意外。でも、確かにバリバリという感じはしないかも?


「桐人様とかい様がタイプは違えど、やはり積極的なタイプなので、違う方向へ活路を開きたいのかもですね」

「ああ……」


 それはなんとなくわかる。


「あと、現金で払ってたの、ちょっと気になって。電子決済もカードも使えるのに」

「痕跡を残したくなかったんでしょう」

「ランチを食べに来ただけなのに?」

「どういう店か、知っていたのでしょう。天野さんに聞いていたのかもしれませんし」

「『情報屋』のお店ってこと? でも、ジーナさんのことは知らない風だった……」


 ふっ、ともう一度安藤は息をつく。


「紫陽さんは少し気を許しすぎですよ。横山様のしたことを忘れたのですか?」

「えっ……そう、かな? でも、あれから言葉通り一度も接触はないし……今回だってちゃんと店員さんとして接してくれたし。仕事として接するなら大丈夫だって安藤も……」

「……そうですね。確かに言いました。ただ、冨士様と天野様の微妙な問題にかかわるような旅行に参加するのは、少々リスクが高くありませんか?」

「え!? だって、宿が一緒なだけで必ず顔を合わせるわけじゃないし、温泉行きたかったし……一般のツアーより安全かなって……そう思うなら、なんで止めてくれなかったの?」


 飛燕はこめかみに指を当てて、目を閉じた。


「あんまり的確な忠告をすると、ジーナさんに気付かれるからですよ。飛燕はボディガード。天野様のことも冨士様のことも、表面上のデータでしか知らないはずです。そこから関連付けるの関係など、いちいち気にしません」


 安藤に慣れ切ってしまっていると、当たり前のことが見えなくなるようだ。反省して肩を落とす。


「じゃあ、やっぱり行かない方がいいかな……」


 飛燕はこめかみに指を当てたまま、切れ長の目を私に向ける。少し冷たくも見えるその表情は、いわゆる「イケメン」に属するもので、アイドルや俳優のよう。ツバメの時と違って、友人からの評判もいい。


「そうですね……と、言いたいところなのですが、こちらも直接情報収集できるいい機会ですからね。旅行には行ってもらいます」


 飛燕の口角が少しだけ上がる。アンドロイドが作る社交辞令用の笑みではない、挑発的ともとれる表情かお


「私はボディガード以上の口出しは出来ませんので、言動には気をつけてくださいね。助っ人には連絡しておきますが」

「助っ人?」


 少し楽しそうに意地の悪い言い回しをするところにツバメを重ねてしまうのは、基礎設定を彼が組んだからなのだろうか。こういう時、私の心臓はいつも少し乱れがちだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る